ボクは、世代のせいか?「サーカス」という単語に
どこか小昏いイメージ…幼い子供が厳しく芸を仕込まれるみたいな?
…を抱いてしまうんですが(汗)
甲斐さんが、かつて甲斐バンドのツアータイトルに冠されたこともあり
奥さんにとっては、薄暗いテントの中で
まばゆい照明や哀愁のある、あるいは緊張感が高まるメロディと共に
手に汗握るショーの数々が繰り広げられるさまは
江戸川乱歩の小説に漂う「妖しさ」も含め
まさに甲斐さんのライブに先立つ「原体験」のようなものらしい(笑)
そういう意味では、AGライブで使用された「つかしん・テント・イン」は
その「原体験」をちょっと彷彿させる会場だったんだとか…(笑)
文化人類学者の松村圭一郎さんが、子供の頃にご覧になって以来という
木下サーカスをご家族とご一緒に観に行かれ
「かすかに獣の臭いがする」
「外とはまるで違う空気が充満する」テントの中で
「人間の身体がしなやかに躍動する
動物たちが跳びはねる振動や、その息遣いが直に伝わって来る
幼い頃のかすかな記憶が蘇る
でも懐かしさだけではない
こんな生身のエンターテイメントには久しく触れていなかった
感動で身震いがする」
「今はインターネットで、世界中の面白い映像や動物の動画など何でも観られる
ただ、それはディスプレイ越しに間接的に鑑賞しているだけだ
サーカスには動物愛護の観点からの批判もある
安全上のリスクもある
でも、その生身の直接性にこそサーカスの魅力はある」
「思わず、子供そっちのけで歓声を上げ
力いっぱい拍手を繰り返していた
気づくと、周りの観客の反応が薄い
生身をさらすパフォーマンスには
生身の身体で応じるべきだと思うのだが…」と、おっしゃってます
インターネットの動画サイトはもちろん
「娯楽」自体が今ほど多くはなかった時代
「映画を観る」といった比較的身近な楽しみとは違って
お芝居やサーカスが街にやって来るというのは
お祭りのごとき「ハレ」だったでしょう
ボクの田舎には、なかなか「ハレ」の一団が訪れることはなかったけど(苦笑)
名もなき「旅の一座」を隣町まで観に行ったことは
鮮やかな「非日常」として覚えてマス
甲斐さんが、ステージの照明にこだわられているのは
その「ハレ」の場…会場全体を包む色とりどりの光や熱気が
「強く印象に残ってる」からだそうだし
甲斐バンドのライブで、初めて「サーカス」というワードが使われたのは
「出発ちコンサート」から1年2ヶ月後…
1975年10月、福岡電気ホールでのワンマン・コンサート
「フライング・サーカス」らしく
学園祭や公開収録、ジョイント・コンサートなどで
ステージに立たれることが多かった当時
コンサート名をご自分たちで付けられる機会を得られた際に
「サーカス」を持って来られたのは
もしかしたら、このワードが、デビュー前から
甲斐さんの頭の片隅におありだったんじゃないかと…?
ロックに市民権がない頃、長髪でエレキギターをブンチャカなんて
「不良」の代名詞だったし(笑)
「ヤクザも売春婦も、警官もホステスもヒモもいた
貧乏人も大金持ちもいた世間の縮図のような街」で
その猥雑さやイカガワシさにも触れて来られた方には
ボクの勝手なイメージでいうと…「フェスティバル」ってワードは
今の「夏フェス」みたいに広大な敷地で大空の下
明るく健康的なイベントという感じがするかなあ?…とか
「カーニバル」は「リオのカーニバル」のような
「この日のために」日常の業務を粛々とこなし
ホンの一時、その日常を忘れて楽しむ
いわば「山笠」に相当する「お祭り」だろう…とか
あ、でも、ブラッドベリの「黒いカーニバル」という
ちょっと「華やかさの裏側」的なニュアンスを感じさせるものもあるし…
という風に吟味なさった(かどうかはワカリマセンが)結果(笑)
ある日、ふらりと現れて、エンターテイメントを披露して
またふらりと去って行く…という「旅人」の姿が
一番しっくりと来られたんじゃないかと…?
熱狂的な追っかけの皆さんの多さを指して
「ブレーメンの音楽隊」ならぬ
「人さらい(笑)」と呼ばれたこともおありになったようですし…(失礼!)
奥さんは、サーカスなどが町にやって来たことを知らせる
「ジンタ」のメロディに心惹かれる子供だったみたいだけど(笑)
甲斐バンドのマネージャーでいらした武石さんが
「コンサート会場のホール外空間を
どうコンサートの質で演出できるか」とお考えになった際に
「アンモラルっていうイメージ」で
「日常的ではない何かが起こる」ということを知らせるために
チンドン屋さんと、パントマイムと
白塗りメイクの警備員さんを配置されたらしく
「サーカス」と甲斐バンドに対するイメージは
あながち外れてなかったのかも知れません(笑)
「サーカス&サーカス」から「ビートニク」へとツアー名が変わり
1986年の解散、ソロ、KAIFIVE、期間限定再結成、再びソロ…と長い年月の後
「ローリング・サーカス・レビュー」と名付けられたツアーは
1つの街で、2日ないし3日連続のライブを行う…
しかも内容は全日変更するという、まさに「旅人」ツアーで(笑)
楽屋に「ゆ」と書かれた「のれんが掛かっている(笑)」発言もあったくらい
「サーカス一座」感がありました(笑)
もっとも今は「シルク・ド・ソレイユ」のヒットで
ボクの「サーカス」に対するイメージも若干?健全なものに変わりましたが…(笑)
ブラッドベリの「10月はたそがれの国」に収録された「みずうみ」の冒頭に
楽しかった夏が過ぎ去り、店も屋台も閉ざされて
賑やかだった通りに人影はなく…といった
祭りの後の物悲しさが記されているんだけど
それは「カーニバル」も「サーカス」も、そして「ライブ」の後にも
同じように訪れる「悲しさ」でしょうね
まあ、今年の10月は「たそがれ」どころか「夢の国」かな?(笑)
どこか小昏いイメージ…幼い子供が厳しく芸を仕込まれるみたいな?
…を抱いてしまうんですが(汗)
甲斐さんが、かつて甲斐バンドのツアータイトルに冠されたこともあり
奥さんにとっては、薄暗いテントの中で
まばゆい照明や哀愁のある、あるいは緊張感が高まるメロディと共に
手に汗握るショーの数々が繰り広げられるさまは
江戸川乱歩の小説に漂う「妖しさ」も含め
まさに甲斐さんのライブに先立つ「原体験」のようなものらしい(笑)
そういう意味では、AGライブで使用された「つかしん・テント・イン」は
その「原体験」をちょっと彷彿させる会場だったんだとか…(笑)
文化人類学者の松村圭一郎さんが、子供の頃にご覧になって以来という
木下サーカスをご家族とご一緒に観に行かれ
「かすかに獣の臭いがする」
「外とはまるで違う空気が充満する」テントの中で
「人間の身体がしなやかに躍動する
動物たちが跳びはねる振動や、その息遣いが直に伝わって来る
幼い頃のかすかな記憶が蘇る
でも懐かしさだけではない
こんな生身のエンターテイメントには久しく触れていなかった
感動で身震いがする」
「今はインターネットで、世界中の面白い映像や動物の動画など何でも観られる
ただ、それはディスプレイ越しに間接的に鑑賞しているだけだ
サーカスには動物愛護の観点からの批判もある
安全上のリスクもある
でも、その生身の直接性にこそサーカスの魅力はある」
「思わず、子供そっちのけで歓声を上げ
力いっぱい拍手を繰り返していた
気づくと、周りの観客の反応が薄い
生身をさらすパフォーマンスには
生身の身体で応じるべきだと思うのだが…」と、おっしゃってます
インターネットの動画サイトはもちろん
「娯楽」自体が今ほど多くはなかった時代
「映画を観る」といった比較的身近な楽しみとは違って
お芝居やサーカスが街にやって来るというのは
お祭りのごとき「ハレ」だったでしょう
ボクの田舎には、なかなか「ハレ」の一団が訪れることはなかったけど(苦笑)
名もなき「旅の一座」を隣町まで観に行ったことは
鮮やかな「非日常」として覚えてマス
甲斐さんが、ステージの照明にこだわられているのは
その「ハレ」の場…会場全体を包む色とりどりの光や熱気が
「強く印象に残ってる」からだそうだし
甲斐バンドのライブで、初めて「サーカス」というワードが使われたのは
「出発ちコンサート」から1年2ヶ月後…
1975年10月、福岡電気ホールでのワンマン・コンサート
「フライング・サーカス」らしく
学園祭や公開収録、ジョイント・コンサートなどで
ステージに立たれることが多かった当時
コンサート名をご自分たちで付けられる機会を得られた際に
「サーカス」を持って来られたのは
もしかしたら、このワードが、デビュー前から
甲斐さんの頭の片隅におありだったんじゃないかと…?
ロックに市民権がない頃、長髪でエレキギターをブンチャカなんて
「不良」の代名詞だったし(笑)
「ヤクザも売春婦も、警官もホステスもヒモもいた
貧乏人も大金持ちもいた世間の縮図のような街」で
その猥雑さやイカガワシさにも触れて来られた方には
ボクの勝手なイメージでいうと…「フェスティバル」ってワードは
今の「夏フェス」みたいに広大な敷地で大空の下
明るく健康的なイベントという感じがするかなあ?…とか
「カーニバル」は「リオのカーニバル」のような
「この日のために」日常の業務を粛々とこなし
ホンの一時、その日常を忘れて楽しむ
いわば「山笠」に相当する「お祭り」だろう…とか
あ、でも、ブラッドベリの「黒いカーニバル」という
ちょっと「華やかさの裏側」的なニュアンスを感じさせるものもあるし…
という風に吟味なさった(かどうかはワカリマセンが)結果(笑)
ある日、ふらりと現れて、エンターテイメントを披露して
またふらりと去って行く…という「旅人」の姿が
一番しっくりと来られたんじゃないかと…?
熱狂的な追っかけの皆さんの多さを指して
「ブレーメンの音楽隊」ならぬ
「人さらい(笑)」と呼ばれたこともおありになったようですし…(失礼!)
奥さんは、サーカスなどが町にやって来たことを知らせる
「ジンタ」のメロディに心惹かれる子供だったみたいだけど(笑)
甲斐バンドのマネージャーでいらした武石さんが
「コンサート会場のホール外空間を
どうコンサートの質で演出できるか」とお考えになった際に
「アンモラルっていうイメージ」で
「日常的ではない何かが起こる」ということを知らせるために
チンドン屋さんと、パントマイムと
白塗りメイクの警備員さんを配置されたらしく
「サーカス」と甲斐バンドに対するイメージは
あながち外れてなかったのかも知れません(笑)
「サーカス&サーカス」から「ビートニク」へとツアー名が変わり
1986年の解散、ソロ、KAIFIVE、期間限定再結成、再びソロ…と長い年月の後
「ローリング・サーカス・レビュー」と名付けられたツアーは
1つの街で、2日ないし3日連続のライブを行う…
しかも内容は全日変更するという、まさに「旅人」ツアーで(笑)
楽屋に「ゆ」と書かれた「のれんが掛かっている(笑)」発言もあったくらい
「サーカス一座」感がありました(笑)
もっとも今は「シルク・ド・ソレイユ」のヒットで
ボクの「サーカス」に対するイメージも若干?健全なものに変わりましたが…(笑)
ブラッドベリの「10月はたそがれの国」に収録された「みずうみ」の冒頭に
楽しかった夏が過ぎ去り、店も屋台も閉ざされて
賑やかだった通りに人影はなく…といった
祭りの後の物悲しさが記されているんだけど
それは「カーニバル」も「サーカス」も、そして「ライブ」の後にも
同じように訪れる「悲しさ」でしょうね
まあ、今年の10月は「たそがれ」どころか「夢の国」かな?(笑)