続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

ありがとうヤマハ渋谷店

2010-12-30 23:50:00 | 音楽


 うんちゃっ par

今年最後の更新となります。
来てしまったアナタ。
せっかくなのでどうか最後までお付き合い下さい。

今年も展示会や映画。そして音楽と
色々と好き勝手にこのブログでは書かせてもらって来ました。
なのでとりあえず。ごめんなさい。とも言っておきます。
展示会と言えばコンパニオンさん。そしてモデルさん。
色々とネタにさせて頂きました。
なので最後は去年と同じく、井上可南子さんのお友達の
ちっちこと宮内千早さん。
12月30日のお誕生日おめでとう御座います。
愛媛は寒そうですね。こう寒いと腰も痛くなりまさぁーね。
湯ぶねにつかり、睡眠をとり、身体の血行を良くすれば
わりかし緩和できると思います。やってますよね。
ストーブで暖めたホットみかん。食べたいな。 yellow18
そして自転車と言えば絹代さん。
ちっちより1日早い29日がお誕生日でしたね。
おめでとう御座います。
しかし絹代さん。今思えば撮影させて頂く時どこか
周りを気にされていて、考えてみればカメラに目線を
送る時はいわば無防備でもありますからね。
とにかく年内に一件落着してよかった。うんっ良かった。 nose3
来年も更なるご活躍を。 clapclapclap


自分にとって音楽とは趣味でありますが。
趣味でありながらも今まで生きて来て
長く付き合って来てくれたのが音楽です。
たかが音楽?いやっされど音楽。
人々の心の中では音楽が流れる時が
いつもあると思います。
音楽は心の表現でもあり、時に心の支えとなるように、
人と音楽はつねにシンクロしていると思います。

ボクが特に音楽に目覚めたのは以前のYMO写真集の
ネタで述べた小学6年生の頃。そして初めて
シンセサイザーと言う未知なる未来の楽器に触れたのが、
翌年の中学1年生の頃でした。
初めての自分を迎えてくれたシンセサイザーのあったお店が、
ヤマハ渋谷店。とにかく全てが初めてで、
全てが夢で、全てが現実でした。その頃の記憶は
今でも鮮明に頭をよぎります。日々新鮮でとっても楽しかった。
休日にはほぼ毎週のように通っていたヤマハ渋谷店。
ここで初めて親に買ってもらったファーストシンセが
ヤマハのCS≠Tでした。
凄く嬉しくてなんだかYMOに近づいた気分でいた。
高校生になり部活動が忙しくあまりお店には行けなかったけど、
社会人になり渋谷に行った時は
必ずヤマハ渋谷店には立ち寄った。
その時出逢った巨匠世界の坂本龍一師匠が使用していた現物、
憧れのャ潟a[グ。そのャ潟a[グ。現在ワタクシの部屋に
鎮座している事は言うまでもありませんが。
度重なる故障に次ぐ故障で、現在音は鳴りません。
このまえスイッチを入れたら煙が出てきました。
たぶんそのまま気付かなかったら発火していたでしょう。
なにぶん1975年の電気製品ですから。これも時代です。
修理しても今度は他の部分が故障するでしょうね。
これがキワシンセのャ潟a[グの特徴なんです ・・・

時代の流れとは時に残酷で、
それを阻止ししようとすればするほど空回りしてしまうのが現実。
残酷とまでは言わないが、ヤマハ渋谷店が
2010年12月26日をもって、昭和41年開店の歴史に
幕を下ろしました。くしくもこの情報を知ったのが
12月19日。山下達郎氏の楽譜がほしくて
渋谷店の営業時間をネットで調べた時に知り、
一時的に急激な脱力感にみわられました。
あって当たり前。それが自分の中での存在で、
渋谷の楽器屋さんと言ったら先ず第一声がヤマハ渋谷店だった。
19日にはすぐに店に向かい楽譜を購入する事が出来て、
26日には最後の勇士を見に行きました。

今年最後のブログ写真はやっぱり銀塩で締めくくります。
しかし最後の2枚はコンデジで撮影したものです。
自分の気に入った写真が撮れれば、
カメラなんて何でも良いと思います。
なので最後はコンデジです。



閉店時間19時にあわせ18時前に到着。
入るや否や驚きの光景が目の前に展開しました。


氏家克典さん。松武秀樹さん。向谷実さん。
とにかく予期せぬ現実にガチでビビリまくりました。
向谷さんにいきなり握手して頂けて、おどおどしながらも
氏家さんとお2人でのお写真よろしいでしょうかと尋ねたら、
氏家さんがもう一方端のほうから誘ってスリーショットに。
一瞬間を置いて気付いた方が松武さん。
更にビビリのボルテージがマックスになり思わず。

 「 あっ ・・・ まっ ・ 松武 ・・・ 」

と口走ってしまいました。先のお2人はすぐに気付きましたが、
松武さん隅のほうにいらっしゃったみたいで気付きませんでした。
しかし氏家さんの気転は嬉し過ぎます。
幻のスリーショットです。コレは ・・・
氏家さんと言えばもうすっかりシンセサイザーの
解説者として有名で、電子楽器操作のスキルと、
その音色に合わせた上絶なプレイでは
世界からも賞賛されている方ですからね。
そして実際にお会いして暖かい方だなとも感じました。
松武さんと言ったら4人目のYMOですから。
どんだけ凄い方かってもう ・・・ yellow7
へたに自分は語れませんって。
そして向谷さんは初期から現在に至るまでのあの
カシオペアのキーボディストですから。
最近はあのぉ~タモリ倶楽部によく出演されていて、
鉄道マニアとしての知名度のほうが先行してしまってる感は
ありますが、そちらでも凄い方なのは確かですから。
写真を撮ると言う事で色々と気を使って下さって、
本当に向谷さんの気配りには感謝致しました。
有難う御座いました。
なんでも来年の1月19日に行われる、
さよならヤマハ渋谷店コンサートにご出演されるとの事で、
ご自身自らフラーヤーを配っていらしたと言う事でして、
改めて渋谷店の凄さみたいなこのを感じてしまったしだいです。
こちらがそのフライヤー。
   


では撮影許可ももらえたので、迷惑のかからないように
店内を撮影した懐かしの場所等を。

   

2階に通じるエレベーター。
中学生の頃ここらあたりからシンセサイザーの音が聞こえ出し、
エレベーターはわくわくの空間でした。
   

当時は3階まで売場で、期間企画物の商品等があったかな。
3階の渡り廊下を通過してビルの一番端の部屋には
当時YMCと言うモデルガン屋がありそこにも通った。
けれどそこの店長が改造銃を作ていて逮捕された。
ニュースで見た時にはビックリしたけど、陳列してあった
モデルガンの銃口に穴が開いていて、友達とアレ改造銃だろ
とか話したり、実際にレジで実弾?作っていて、
手が火薬まみれでだったなぁ。でもその店長は
物凄く商売っ気がありサービスも良かったんだけどね ・・・

1階に通じる階段。なんか懐かしい。


1階のフロアはもう既に商品は無く、ご覧のように
コンサートの出演者の皆さんがフライー配りの場に。










閉店の19時前にはミュージシャンの皆さんもフロアーから出て、
最後を見届けます。自分ずっとセンターで場所取りしていて、
もちろん良い場所だから皆来るわけ。


皆って言ったってほとんどがミュージシャン。
自分の隣には松武さんが動画撮影で実況レモオてるし、
この実況は松武さんのツイッター動画で見れます。
ボクのカメラ音とカメラ。そして最後にはコンデジ構える
ワタクシの手が写ってます。まぁー興奮しますわな。
で、その後ろには氏家さん。近くにはもちろん向谷さんいるし、
ちなみに左におられる振り向いている女性は、
山川恵津子さん。自分が入店した時先ず最初に山川さんから
フライヤーを頂きました。アリガトーえっちゃん。
                      ↑
                    コラッ年上だぞ

外で待っていると、寒くないですかと気を使って下さいました。
優しいな。えっちゃん。



どんどんと人が集まってきて、 「 あぁ圭三君 」 なんて
松武さんや周りのミュージシャンから声が出て、
自分の前に現れた方は中西圭三さん!
そのあとも今までかかわって来た渋谷店スタップが集結しはじめ、
互いに名前を呼びあったりして同窓会状態。
その中で聞き覚えのある方の名前が聞こえ、
その自分の前にいらした方は、自分が中学生の頃
当時のフロアーマネージャーだったのでしょうか、
気さくに自分たちに話し鰍ッてくれて、デモテープを聞かせて
なんて話でテープを持って行き、その直後高校に進学して
なかなか店に行けなく結局渡してそのままになって30年近く
時が流れて、最後のこの日に再会。けれど自分ははっきりと
その方を見て確信はあるけれど、あちらはどうだろうか。
もう自分は41歳のおっさんだし分らないだろうな。
そう感じながら最後まで話し鰍ッる事はなかった。
けれどもその方はその後ずっと自分の真後ろにいらっしゃった。
始終その方もなんとなく自分に気付いてくれていたような気もする。
それでもいいとも思った。その場ではっきりさせるよりも、
想い出はそれでいいとそう感じた。
最後の清算が長引き19時を過ぎてもシャッターは下りず、
水原店長さんが19時30分頃にはとの挨拶があり
ひとまず拍手が。



そして最後のお客さんを送り、水原店長そして現スタッフの
方々との最後のお別れです。



水原店長の挨拶も終わり本当のお別れとなりました。



スタッフの皆さんお疲れ様でした。

ヤマハ渋谷店殿。
44年間お疲れ様でした。
夢の場を提供してくれた事は一生忘れません。

 ありがとう。

最後に夢を与えて下さったご本人様方とお会いでき、
最後の最後で最高の夢を見る事が出来ました。

 本当にありがとう。


スタッフの皆さんのサービスがあってお店は運営されています。
そしてやっぱりお客あってのお店だと思う。
そう主役はやっぱりプロアマ問わず音楽を愛するミュージシャン。
最後のこの日に集まった人々全てが主役なんです。


シャッターが閉まる時は大きな歓声と拍手。
こんなにも多くのミュージシャンにみとめられて、
そしてこの場に居合わせられた事に悲しいけれど、
歓喜の思いと共に2010を締めくくる思い出の日となりました。





最後におまけ写真。
もう皆帰り始めているのに向谷さんフライヤー配り始めました。


向谷さんもうサイコー。ツボです ・・・

向谷さんシャッターが閉じるまでの待ち時間での
動画インタビューで、ここで終わりはしますが、
ここからが又始まり。そのような事をおっしゃっていた。
それを横で聞いていて少しウルッときた。
向谷さんなだけにとても重い言葉だと思う。

確かに自分はここで始まった事は多い。
この日道玄坂を上りながら、ヤマハ渋谷店に行く為に
この坂を上る事はもう無いんだとか思いながら
色々な事を思い出せた。

 さようなら ヤマハ渋谷店




今年は最後にある言葉で終わらせる事にした。
アントニオ猪木さんの言葉で、人生には 『 なにか 』 が
あったほうが良い人生が送れる。なような言葉。
そのなにかの考えが良い事なのか悪い事なのかで
人生は大きく左右されると。
もちろん良い何かと考えたほうが道は明るい。
では 『 いつか 』 と言う言葉にはほとんど良い未来を
予想する何かが思えると思う。


 いつか又逢える ・・・ とか ・・・



最後までお付き合い下さりありがとう御座いました。
来年も勝手にやっちゃいマッスル nose9

 良いお年を。

 そして明るい未来を ・・・





    いつか ~♪







        kirakira2










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