前回の横浜開催からの3年が経ち、
東京会場へ移りリニューアルだそうで、
自分も今まで様々な展示会には足を
運んで参りましたが、
とは言ってもほとんどがコンパニオンさん
目当てすが、それはさておき。
集客数と会場の雰囲気からしても
大成功の展示会だったのではないでしょうか。
どこも人が沢山でそれぞれの楽器に
それぞれの人々。余す所無く熱気と
活気に満ち溢れていた事は、
けして誇張した言い方ではなく実感しました。
主催者の努力と頑張りが感じます。
ほんとに何故って、
考えてもいなかった楽器フェアでの
YMO楽器展。YMOの楽器と言えば
もう説明も要りませんがシンセサイザー。
誕生から現在までにこれほどまで
進化発展をし続けている楽器もないでしょう。
人間の生活にエレクトロニクスとテクノロジーが
浸透し始めた頃に誕生したのがYMO。
さかのぼる事1978年の事。
そんな翌年1979年。LA グリークシアターで
行われたライブでの機材をほぼ完全復活。
そんなマニアックな企画。ワタクシは
嬉しいですが、それ目当てのお客って
いったいどれくらいなんだろうかと。
来る人は来るけどと少し不安も感じつつ、
実際に行って見た所凄い集客。
たぶん企画者サイドも予想以上の集客だったと
思われます。
おおよその集客を予想できていれば、
もう少し違うエリアでの展示コーナーを
設けたはず。もちろん自分も他の人達も
予想以上の反響に驚いていたでしょうが。
一日に何度かのトークイベントと、
ステージツアーといった企画で、
数回に分けて展示品により近づき、
説明などがあったりと、内容も
納得の充実振り。
まぁ楽器フェアなわけですから、
会場をくまなく目を通しましたが、
今回ここではYMO楽器展にかんして
タペストってみましょうかね。
でもYOSHIKIのピアノだけでも。
展示コーナー壇上中央に鎮座するのは、
通称タンスことモーグⅢC。
このモーグモジュラー。国内では主にこのⅢCと、
冨田勲さんの所有するⅢPが有名ですが、
Cとはキャビネットの頭文字の意味で、
Pはメ[タブルの頭文字をあらわします。
以外と知られていないので一応説明。
中身は同じであとはオプションで増設可能。
ちなみにざっと見て冨田さんと松武さんの
違いは、冨田さんのオシレーターは、
初期型の901で松武さんは改良型の921。
901は安定はかなり悪いそうですが、
ピッチが暴れ回るけどかなりぶっとい
音が出るみたいです。
してⅢCを自動演奏していたMC≠Wも2台。
矢野顕子さんエリアのリビジョン2のプロ5と、
WT≠P0Aのこの風景。
教授エリアはャ潟a[グとその上には
オデッセイのリビジョン2&3に、
ボコーダーと、当時はあまり使わなかったプロ5。
ラックエフェクター類も当時の現物も交えて完全再現。
でもって自分としてはヨダレ物だったのが、
ャ潟a[グの専用ペダルであるャ潟yダル。
ャ潟a[グの玉じたいも少ない中、
完動するペダルは奇跡もんです。
ユキヒロエリアも、
今回の為に製造したスティック袋も含め完全再現。
徹底してますね。
もちろんDS≠Sにかんしては、
この時代はまだモノトーンのパネル。
ャ堰[ドの横には人民帽が。
細野さんエリアのオデッセイの横には
スティングレイがあり、ストラップは
ドラムスティック袋と同じく、
今回の為に完全復刻したそうです。
やるねぇ ~
先ず土曜日に行き、
状況によっては最終日もと考えていたけれど、
土曜日お目当てのラストイベントでの
公表されていなかったスペシャルゲストが、
なんとも小室哲哉さんと浅倉大介さん。
予想はされていたが予想通り、
ステージ進行を終始勤められていた、
松武秀樹さんと氏家克典さんの
みなさん4名で、ビハインドザマスクを演奏。
なか日でこの内容なんだから、
最終日はどうなっちまうんだろうか。
そんな思いで迷わず最終日も会場へ。
イベント90分前から場所取り。
うまい事やれたようで最前列センターキープ。
センターキープの為の場所取りなんて、
コンパニオンさんのラインナップでは
慣れている行為だけでども、90分前からは
初めてだったけど、もうちょっと遅かったら、
場所取り出来なかったかも知れなかったので、
90分待つなんて苦じゃないかなとか思いながらも、
自宅を出る際に思いついたのが、
待ち時間の時に聴く為に持参した公的抑圧のテープ。
これは中学生時代にレコードからダビングしたやつ。
まさにこの時代の機材を前にこの時代に聞いていた
音源を聴くといった、自分だけの贅沢な時間へと変換。
当時は90分テープにアルバムを二枚入れたりして、
テープの数を増やさない為の工夫をしていた人も
多いはず。だからA面は公的抑圧でB面がテクノデリック。
背表紙は当時のもので、当時最先端だったワープロで作成。
トークショーが始まり進行役の松武さんと氏家さんが登場し、
いきなり松武さん何故かユキヒロエリアに行き、
シンドラを叩き始め、その後に人民帽をかぶったりと
なんだかサービス満点。
その後は氏家さんと各エリアを回り機材説明へと。
矢野さんブースで8ボイズをいじくり。
8ボイズの鍵盤が完全におしゃかで、
今回の為にローランドの鍵盤を取り付けた話や、
細野さんエリアで、当時実際に使っていた
オデッセイで、今は松武さんが所有とか、
ユキヒロエリアでの説明で、当時実際に使っていた
曲順の紙も今回コピーしてここに貼り付けたとか。
教授アリアでは実際にガムテープ止めしていたのも
ねじれも含め再現したそうで、けれども
ャ潟a[グの縦貼りの木目シールは貼ったままでしたが。
機材説明も終わりいよいよスペシャルゲストの、
渡辺香津美さん登場。
当時の思い出話が始まりましたが、
どうしても聴きたかった前座アンコールの話が
出てこない。なんで出てこない。
やっぱりあの話って、海外で好評を得たYMOを
より誇張するための盛った話だったのかとか
考えてしまうけど、やっぱり伝説は伝説、
はっきりよりもあやふやなままのほうが
良い事もあるわけで、情報過多な今の世の中では
そういうあやふやさの話ってとても貴重だから、
それはそれでいいんですよ。うむっ。
周りのブースも最後なだけあって
どこも演奏を開始していて、
カンペでは演奏OKがなかなか出づ、
トークを伸ばしながらも演奏OKのカンペが。
その最中ずっと近くで聞こえていた妙な歌声の主が、
ローリー寺西氏だったと言う ・・・
22日の演奏は小室氏が教授エリアで、
朝倉氏がアッコさんエリア。
自分の立ち位置は最前列ではあったものの、
少々教授寄りだった為、左スピーカーの
音がメインだったので、ステレオ感は
感じなかったけど、目の前では
ビハインドザマスクを演奏する小室っちが。
ャ潟a[グではなくほぼオデッセイだったけど、
小室ワールド満載の演奏を、当時のセッティングの
オデッセイサウンドで演奏している姿に、
あの時代に小室氏がタイムスリップしたら
こんなか感じだろうなと思わせられ、
地味に淡々とバッキングを演奏する朝倉氏に、
松武さんはボコーダーを担当。
そして細野さんエリアで氏家氏の演奏する
シンベの太い事ったらもうね。
素晴らしい演奏だった。
そんな最高の余韻に浸りながらも迎えた最終日。
前日はDTMがバッキングでMC≠Wは走らなかったけど、
今回待ち時間でMC≠Wのインターフェイスに
ジャックがささっているのを確認、
もしかしたらモーグをMC≠Wで走らせるのかと
期待したが、チューニングの時にちゅうちょなく
ジャックを引き抜いた松武さん。
あぁやっぱりパソコンか。と期待もむなしく。
しかし前日の演奏でいじらなかったタンスをいじり
ノイズやフィルターを調整。
教授エリアにはステージツアーで案内役だった
小林 淳一さん。
その方がスタンバイ。氏家さんは前日と同じく
細野さんエリア。そして渡辺さんは当時の
ブギーのアンプの前でスタンバイし、
全員のチューニングが終わり、
あの名曲 『 東風 』 が演奏開始。
アルバム公的抑圧では、レコード会社の契約の関係で
渡辺さんのキターチャンネルが全てカットされていたけど、
こうして目の前で、生でフェイク無しの当時の楽器で、
演奏が聴けるなんてもう夢の時間。
当時の渡辺さんの演奏はそこまで詰め込みますかの
早弾きのオンパレードだったけど、
若いは早いじゃ無いけど、今回は年を重ねた
熟年ならではの早弾きな印象。
演奏を聞いている間、初めてYMOと
出会ってから今までの人生を、
どこと無く走馬灯のように思い出しながら、
音楽の素晴らしさを感じつつ、
今回のこのYMO楽器展を企画
運営された方々。それと楽器フェアの
運営に携わった人々全員に感謝です。
松武さんが最後にこのYMO楽器展は、
今後も続けて行きますと発表。
皆さんもご協力お願いしますとも言っていた。
って事はワタクシのャ潟a[グ。
教授が当時使っていた現物だけども、
いつでもお貸し致しますよ。
これが自分が出来るささやかな協力。
次回のYMO楽器展も非常に楽しみです。
今回より更にパワーアップするのでしょう。
青春時代のあの頃がよみがえった2日間。
あぁ青春
今おっさん ・・・
YMO 79年 LA グルークシアター ~♪
東京会場へ移りリニューアルだそうで、
自分も今まで様々な展示会には足を
運んで参りましたが、
とは言ってもほとんどがコンパニオンさん
目当てすが、それはさておき。
集客数と会場の雰囲気からしても
大成功の展示会だったのではないでしょうか。
どこも人が沢山でそれぞれの楽器に
それぞれの人々。余す所無く熱気と
活気に満ち溢れていた事は、
けして誇張した言い方ではなく実感しました。
主催者の努力と頑張りが感じます。
ほんとに何故って、
考えてもいなかった楽器フェアでの
YMO楽器展。YMOの楽器と言えば
もう説明も要りませんがシンセサイザー。
誕生から現在までにこれほどまで
進化発展をし続けている楽器もないでしょう。
人間の生活にエレクトロニクスとテクノロジーが
浸透し始めた頃に誕生したのがYMO。
さかのぼる事1978年の事。
そんな翌年1979年。LA グリークシアターで
行われたライブでの機材をほぼ完全復活。
そんなマニアックな企画。ワタクシは
嬉しいですが、それ目当てのお客って
いったいどれくらいなんだろうかと。
来る人は来るけどと少し不安も感じつつ、
実際に行って見た所凄い集客。
たぶん企画者サイドも予想以上の集客だったと
思われます。
おおよその集客を予想できていれば、
もう少し違うエリアでの展示コーナーを
設けたはず。もちろん自分も他の人達も
予想以上の反響に驚いていたでしょうが。
一日に何度かのトークイベントと、
ステージツアーといった企画で、
数回に分けて展示品により近づき、
説明などがあったりと、内容も
納得の充実振り。
まぁ楽器フェアなわけですから、
会場をくまなく目を通しましたが、
今回ここではYMO楽器展にかんして
タペストってみましょうかね。
でもYOSHIKIのピアノだけでも。
展示コーナー壇上中央に鎮座するのは、
通称タンスことモーグⅢC。
このモーグモジュラー。国内では主にこのⅢCと、
冨田勲さんの所有するⅢPが有名ですが、
Cとはキャビネットの頭文字の意味で、
Pはメ[タブルの頭文字をあらわします。
以外と知られていないので一応説明。
中身は同じであとはオプションで増設可能。
ちなみにざっと見て冨田さんと松武さんの
違いは、冨田さんのオシレーターは、
初期型の901で松武さんは改良型の921。
901は安定はかなり悪いそうですが、
ピッチが暴れ回るけどかなりぶっとい
音が出るみたいです。
してⅢCを自動演奏していたMC≠Wも2台。
矢野顕子さんエリアのリビジョン2のプロ5と、
WT≠P0Aのこの風景。
教授エリアはャ潟a[グとその上には
オデッセイのリビジョン2&3に、
ボコーダーと、当時はあまり使わなかったプロ5。
ラックエフェクター類も当時の現物も交えて完全再現。
でもって自分としてはヨダレ物だったのが、
ャ潟a[グの専用ペダルであるャ潟yダル。
ャ潟a[グの玉じたいも少ない中、
完動するペダルは奇跡もんです。
ユキヒロエリアも、
今回の為に製造したスティック袋も含め完全再現。
徹底してますね。
もちろんDS≠Sにかんしては、
この時代はまだモノトーンのパネル。
ャ堰[ドの横には人民帽が。
細野さんエリアのオデッセイの横には
スティングレイがあり、ストラップは
ドラムスティック袋と同じく、
今回の為に完全復刻したそうです。
やるねぇ ~
先ず土曜日に行き、
状況によっては最終日もと考えていたけれど、
土曜日お目当てのラストイベントでの
公表されていなかったスペシャルゲストが、
なんとも小室哲哉さんと浅倉大介さん。
予想はされていたが予想通り、
ステージ進行を終始勤められていた、
松武秀樹さんと氏家克典さんの
みなさん4名で、ビハインドザマスクを演奏。
なか日でこの内容なんだから、
最終日はどうなっちまうんだろうか。
そんな思いで迷わず最終日も会場へ。
イベント90分前から場所取り。
うまい事やれたようで最前列センターキープ。
センターキープの為の場所取りなんて、
コンパニオンさんのラインナップでは
慣れている行為だけでども、90分前からは
初めてだったけど、もうちょっと遅かったら、
場所取り出来なかったかも知れなかったので、
90分待つなんて苦じゃないかなとか思いながらも、
自宅を出る際に思いついたのが、
待ち時間の時に聴く為に持参した公的抑圧のテープ。
これは中学生時代にレコードからダビングしたやつ。
まさにこの時代の機材を前にこの時代に聞いていた
音源を聴くといった、自分だけの贅沢な時間へと変換。
当時は90分テープにアルバムを二枚入れたりして、
テープの数を増やさない為の工夫をしていた人も
多いはず。だからA面は公的抑圧でB面がテクノデリック。
背表紙は当時のもので、当時最先端だったワープロで作成。
トークショーが始まり進行役の松武さんと氏家さんが登場し、
いきなり松武さん何故かユキヒロエリアに行き、
シンドラを叩き始め、その後に人民帽をかぶったりと
なんだかサービス満点。
その後は氏家さんと各エリアを回り機材説明へと。
矢野さんブースで8ボイズをいじくり。
8ボイズの鍵盤が完全におしゃかで、
今回の為にローランドの鍵盤を取り付けた話や、
細野さんエリアで、当時実際に使っていた
オデッセイで、今は松武さんが所有とか、
ユキヒロエリアでの説明で、当時実際に使っていた
曲順の紙も今回コピーしてここに貼り付けたとか。
教授アリアでは実際にガムテープ止めしていたのも
ねじれも含め再現したそうで、けれども
ャ潟a[グの縦貼りの木目シールは貼ったままでしたが。
機材説明も終わりいよいよスペシャルゲストの、
渡辺香津美さん登場。
当時の思い出話が始まりましたが、
どうしても聴きたかった前座アンコールの話が
出てこない。なんで出てこない。
やっぱりあの話って、海外で好評を得たYMOを
より誇張するための盛った話だったのかとか
考えてしまうけど、やっぱり伝説は伝説、
はっきりよりもあやふやなままのほうが
良い事もあるわけで、情報過多な今の世の中では
そういうあやふやさの話ってとても貴重だから、
それはそれでいいんですよ。うむっ。
周りのブースも最後なだけあって
どこも演奏を開始していて、
カンペでは演奏OKがなかなか出づ、
トークを伸ばしながらも演奏OKのカンペが。
その最中ずっと近くで聞こえていた妙な歌声の主が、
ローリー寺西氏だったと言う ・・・
22日の演奏は小室氏が教授エリアで、
朝倉氏がアッコさんエリア。
自分の立ち位置は最前列ではあったものの、
少々教授寄りだった為、左スピーカーの
音がメインだったので、ステレオ感は
感じなかったけど、目の前では
ビハインドザマスクを演奏する小室っちが。
ャ潟a[グではなくほぼオデッセイだったけど、
小室ワールド満載の演奏を、当時のセッティングの
オデッセイサウンドで演奏している姿に、
あの時代に小室氏がタイムスリップしたら
こんなか感じだろうなと思わせられ、
地味に淡々とバッキングを演奏する朝倉氏に、
松武さんはボコーダーを担当。
そして細野さんエリアで氏家氏の演奏する
シンベの太い事ったらもうね。
素晴らしい演奏だった。
そんな最高の余韻に浸りながらも迎えた最終日。
前日はDTMがバッキングでMC≠Wは走らなかったけど、
今回待ち時間でMC≠Wのインターフェイスに
ジャックがささっているのを確認、
もしかしたらモーグをMC≠Wで走らせるのかと
期待したが、チューニングの時にちゅうちょなく
ジャックを引き抜いた松武さん。
あぁやっぱりパソコンか。と期待もむなしく。
しかし前日の演奏でいじらなかったタンスをいじり
ノイズやフィルターを調整。
教授エリアにはステージツアーで案内役だった
小林 淳一さん。
その方がスタンバイ。氏家さんは前日と同じく
細野さんエリア。そして渡辺さんは当時の
ブギーのアンプの前でスタンバイし、
全員のチューニングが終わり、
あの名曲 『 東風 』 が演奏開始。
アルバム公的抑圧では、レコード会社の契約の関係で
渡辺さんのキターチャンネルが全てカットされていたけど、
こうして目の前で、生でフェイク無しの当時の楽器で、
演奏が聴けるなんてもう夢の時間。
当時の渡辺さんの演奏はそこまで詰め込みますかの
早弾きのオンパレードだったけど、
若いは早いじゃ無いけど、今回は年を重ねた
熟年ならではの早弾きな印象。
演奏を聞いている間、初めてYMOと
出会ってから今までの人生を、
どこと無く走馬灯のように思い出しながら、
音楽の素晴らしさを感じつつ、
今回のこのYMO楽器展を企画
運営された方々。それと楽器フェアの
運営に携わった人々全員に感謝です。
松武さんが最後にこのYMO楽器展は、
今後も続けて行きますと発表。
皆さんもご協力お願いしますとも言っていた。
って事はワタクシのャ潟a[グ。
教授が当時使っていた現物だけども、
いつでもお貸し致しますよ。
これが自分が出来るささやかな協力。
次回のYMO楽器展も非常に楽しみです。
今回より更にパワーアップするのでしょう。
青春時代のあの頃がよみがえった2日間。
あぁ青春
今おっさん ・・・
YMO 79年 LA グルークシアター ~♪
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そして送信させていただきました。
すいませんでした。