モ忌
2007-12-05 | 忌日
寒くて布団から出られません。
それはさておき
本日は
モーツァルトの命日でございます。
モーツァルトの死といってまず思い浮かびますのは
映画『アマデウス』のラストでございます。
レクイエムのスコアを口述しながら息絶えるモーツァルト
冷たい雨に打たれながら、墓地へと走る霊柩馬車
名も無い一市民として、共同墓穴に放り込まれた死体の上には
なおざりにかぶせられた灰がいつまでも白く煙って・・・・・
あんなどしゃぶりの中なのになぜあの灰は乾いているんだとつっこんではいけません。
場面変わって、語り部であるかつての宮廷音楽家サリエリが
聞き手である若い神父のもとを去ろうとしております。
永遠を勝ち得たモーツァルトの音楽が流れる中、
自分の作曲した音楽と共に、時の波間にもくずのように消え行くであろう老サリエリが進みます。
そして私達に手をさしのべ、あの台詞を言うのでございます。
「全ての凡庸なる者たちよ。君たちを許そう。私こそは凡庸なる者のチャンピオンだ」
ワタクシがこの作品を初めて観たのは10代のはじめの頃でございました。
その後もディレクターズ・カットを含めて5回ほど鑑賞しておりますが
歳ふるごとに、このサリエリの台詞が
我が身に親しく感じられるようになってきております。
ちなみに
実際は、サリエリは時の波間にもまれて消えて行ったわけではございませんで
作曲活動をやめた後も教師として後進の育成につとめたということでございます。
その徒弟の中にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどが名を連ねております。
また、映画の中のサリエリは、神に生涯の「純潔」を誓っておりますが
(そしてディレクターズ・カット版では、この誓いに対する神のあからさまな回答が用意されておりますが)
実際には結婚して子供もいらっしたようでございます。
甘いもの好きだったというのは本当らしいです。
一方のモーツァルト。
人物像については想像の域を出ませんけれども
冗談好きで浪費家であったというのは定説のようでございます。
晩年は借金漬けだったことも本当。
病死ではなく殺されたのではないかという説は、当時からささやかれておりました。
(妻コンスタンツェによる毒殺説もございます)
ただ、亡くなったのは12/5の午前1:00前ごろということでざいますから
映画のように朝の光を浴びながら昇天、ってのは無理でございますね。
もしもアントニオ・サリエリご本人がこの映画をご覧になったら
「何ちゅう冤罪」と憤慨なさるんじゃないかと思いますが
モーツァルトがご覧になったなら、いったいどんな反応をなさるこってございましょうね。
それはさておき
本日は
モーツァルトの命日でございます。
モーツァルトの死といってまず思い浮かびますのは
映画『アマデウス』のラストでございます。
レクイエムのスコアを口述しながら息絶えるモーツァルト
冷たい雨に打たれながら、墓地へと走る霊柩馬車
名も無い一市民として、共同墓穴に放り込まれた死体の上には
なおざりにかぶせられた灰がいつまでも白く煙って・・・・・
あんなどしゃぶりの中なのになぜあの灰は乾いているんだとつっこんではいけません。
場面変わって、語り部であるかつての宮廷音楽家サリエリが
聞き手である若い神父のもとを去ろうとしております。
永遠を勝ち得たモーツァルトの音楽が流れる中、
自分の作曲した音楽と共に、時の波間にもくずのように消え行くであろう老サリエリが進みます。
そして私達に手をさしのべ、あの台詞を言うのでございます。
「全ての凡庸なる者たちよ。君たちを許そう。私こそは凡庸なる者のチャンピオンだ」
ワタクシがこの作品を初めて観たのは10代のはじめの頃でございました。
その後もディレクターズ・カットを含めて5回ほど鑑賞しておりますが
歳ふるごとに、このサリエリの台詞が
我が身に親しく感じられるようになってきております。
ちなみに
実際は、サリエリは時の波間にもまれて消えて行ったわけではございませんで
作曲活動をやめた後も教師として後進の育成につとめたということでございます。
その徒弟の中にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどが名を連ねております。
また、映画の中のサリエリは、神に生涯の「純潔」を誓っておりますが
(そしてディレクターズ・カット版では、この誓いに対する神のあからさまな回答が用意されておりますが)
実際には結婚して子供もいらっしたようでございます。
甘いもの好きだったというのは本当らしいです。
一方のモーツァルト。
人物像については想像の域を出ませんけれども
冗談好きで浪費家であったというのは定説のようでございます。
晩年は借金漬けだったことも本当。
病死ではなく殺されたのではないかという説は、当時からささやかれておりました。
(妻コンスタンツェによる毒殺説もございます)
ただ、亡くなったのは12/5の午前1:00前ごろということでざいますから
映画のように朝の光を浴びながら昇天、ってのは無理でございますね。
もしもアントニオ・サリエリご本人がこの映画をご覧になったら
「何ちゅう冤罪」と憤慨なさるんじゃないかと思いますが
モーツァルトがご覧になったなら、いったいどんな反応をなさるこってございましょうね。