11月24日に買ったバラ
ひと月たってもこんなにきれいでございます。
窓の向こう、ちょうどバラの枝の間に
お寺の屋根が見えますでしょう。
切手業界ではけっこう顔の知られた弥勒菩薩さんのお住まいでございます。
あすこで弥勒さんは、微笑をうかべ、頬に指をあてて
57億年後にこの世に現れてオールザピープルを救済することを
日夜イマジンしていらっしゃいます。
はるか未来に救済が約束されているとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。
はるか未来にも救済が行われないとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。
結局「意味などありはしない」というのが一番納得のいく答えのように思われるのですよ。
57億年後に救済されるのが全人類であるならば
その中にはイワン・カラマーゾフじみた人物だっているはずでございます。
彼はきっとこう言うでしょう。
「あんたはすべての人を救済する力があるのに、なぜ今まで何もしなかったんだ?
57億年もの間、貧しい人たちや小さな子どもたちの苦しみを、どうして放っておいたんだ?」
こう問われたら弥勒さんは何てお答えになるんでございましょう。
なぜ心弱くあさましい人間というものに、自由という恐ろしい重荷を担わせたのか?と
大審問官に詰問されたイエスのように、ただ黙っていらっしゃるんでございましょうか。
いえ、宗教を否定するつもりはございません。
宗教は耐え難い現実をなんとか耐えうるものにするための
とても有効で強力なファンタジーでございますから。
(ファンタジーという言葉を悪くお受け取りにならないでくださいまし。
ワタクシはファンタジーを、時間的にも空間的にもごく限られたものである人間の生を
豊かで深いものにするために必要な、すばらしいツールだと思っております)
しかし歴史を振り返り、今の世界を見渡して
さまざまな偏見、差別、暴力、搾取が宗教の名のもとに正当化され
正義顔の宗教者たちが、それらを促進してきた/しているのを見ると
宗教っていったい益と害とどっちが多いかなあ!?と
憤りをこめて叫びたくなるのでございます。
そういえば本日はジーザスさんのお誕生日ってことになっておりますね。
あまり詳しいことは存じませんけれども
大工の息子のジーザスさんは、きっとすごくいい人で
とても自由な心を持った、尊敬に値する人物だったのだろうと思います。
そのジーザスさんが、今ふいと現れて
キリスト教原理主義者たちの言ってることややってることをご覧になったら
さぞかし、げんなりなさることでございましょう。
でもね、オールザピープルが平和で幸せであることを
たくさんの人がイマジンして
そんな世界が実現するように自分ができることをがんばったら
いつかジーザスさんがげんなりしなくてもいい世の中になるかもしれませんよ。
そうやってがんばってたら
弥勒さんだってちょっとは腰を上げて
手助けしてくれるかもしれませんよ。
本日は微妙にルー大柴化しているのろでございました。
ひと月たってもこんなにきれいでございます。
窓の向こう、ちょうどバラの枝の間に
お寺の屋根が見えますでしょう。
切手業界ではけっこう顔の知られた弥勒菩薩さんのお住まいでございます。
あすこで弥勒さんは、微笑をうかべ、頬に指をあてて
57億年後にこの世に現れてオールザピープルを救済することを
日夜イマジンしていらっしゃいます。
はるか未来に救済が約束されているとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。
はるか未来にも救済が行われないとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。
結局「意味などありはしない」というのが一番納得のいく答えのように思われるのですよ。
57億年後に救済されるのが全人類であるならば
その中にはイワン・カラマーゾフじみた人物だっているはずでございます。
彼はきっとこう言うでしょう。
「あんたはすべての人を救済する力があるのに、なぜ今まで何もしなかったんだ?
57億年もの間、貧しい人たちや小さな子どもたちの苦しみを、どうして放っておいたんだ?」
こう問われたら弥勒さんは何てお答えになるんでございましょう。
なぜ心弱くあさましい人間というものに、自由という恐ろしい重荷を担わせたのか?と
大審問官に詰問されたイエスのように、ただ黙っていらっしゃるんでございましょうか。
いえ、宗教を否定するつもりはございません。
宗教は耐え難い現実をなんとか耐えうるものにするための
とても有効で強力なファンタジーでございますから。
(ファンタジーという言葉を悪くお受け取りにならないでくださいまし。
ワタクシはファンタジーを、時間的にも空間的にもごく限られたものである人間の生を
豊かで深いものにするために必要な、すばらしいツールだと思っております)
しかし歴史を振り返り、今の世界を見渡して
さまざまな偏見、差別、暴力、搾取が宗教の名のもとに正当化され
正義顔の宗教者たちが、それらを促進してきた/しているのを見ると
宗教っていったい益と害とどっちが多いかなあ!?と
憤りをこめて叫びたくなるのでございます。
そういえば本日はジーザスさんのお誕生日ってことになっておりますね。
あまり詳しいことは存じませんけれども
大工の息子のジーザスさんは、きっとすごくいい人で
とても自由な心を持った、尊敬に値する人物だったのだろうと思います。
そのジーザスさんが、今ふいと現れて
キリスト教原理主義者たちの言ってることややってることをご覧になったら
さぞかし、げんなりなさることでございましょう。
でもね、オールザピープルが平和で幸せであることを
たくさんの人がイマジンして
そんな世界が実現するように自分ができることをがんばったら
いつかジーザスさんがげんなりしなくてもいい世の中になるかもしれませんよ。
そうやってがんばってたら
弥勒さんだってちょっとは腰を上げて
手助けしてくれるかもしれませんよ。
本日は微妙にルー大柴化しているのろでございました。