のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『アメリカv.sジョン・レノン』その2

2007-12-12 | 映画
福田康夫総理大臣に「どうしてイラクに自衛隊を派遣しなきゃならないんですか」と尋ねたのに
のらりくらりとかわしてばかりで、ちっとも質問に答えてくれないので
腹が立ってゲンコでぶん殴った

と いう夢を見ました。

夢とはいえ暴力はいかんな、のろ。

つい手が出てしまってスンマセンと福田首相に頭を下げ
ああ、イカンなあ、スナフキンだったらたとえ腹を立てたとしても、こんなふうに
人をどついたりはしないだろうなあ...と思いながら目覚めた初冬の朝でございました。




それはさておき
12/8の続きでございます。

*以下、ジョン・レノン氏のことを「ジョン」とも「レノン」とも呼ばずいちいち「ジョン・レノン」と表記する冗長さをお許しください。彼を「ジョン」と呼ぶのは、同時代に生きた人たちや根っからのビートルズファンたちの特権のような気がして、ワタクシには何だか気が引けるのでございます。かといって「レノン」や「レノンさん」と呼ぶのもまた、どうも批評家めいていて嫌なのでございます。


パンフに載っていた監督の言葉に即して言うならば映画『アメリカv.sジョン・レノン』は
一人の(超有名)アーティストが「戦争は嫌だ、平和がいいよ」と世界に向って叫んだ、
そしたら何が起きたのか?ということの顛末でございます。

何が起きたのか?
マスコミはバカにし、若者たちは共鳴した。アメリカ政府は慌てた。
ベトナム戦争を進行中の米政府にとっては、若者には髪を伸ばしたり、ベッドでゴロゴロしたり
”Give Peace a Chance”を歌ったりせずに、黙って戦争に行ってほしかったからでございます。
慌てた政府はアーティストを黙らせようとした。アーティストは黙らなかった。
で、「アメリカv.sジョン・レノン」てなことになってしまった。

つくづく思ったことは、「黙らない」ということ---いいことはいいと言い、間違ってることは間違ってるということ---
は、ものっ すごく大変だ、ということ。
けれども、やっぱり黙ってはイカン、ということ。
黙ってしまったら、広報力や権力のある人たちの言うことに、従わざるをえなくなるからでございます。
彼らの言うことが正しかろうが、間違っていようが。
で、そういう力を持った人たちというのは、たとえ戦争になったとしても
自分は銃を持って戦場に行くことなど絶対にない人たちでございますね。

映画の中で、ニクソン政権下の要人が当時を振り返って、こんなことをおっしゃっておりました。

「夜、ホワイトハウスの外で反戦集会の参加者たちが歩いていた。手に手にロウソクを持って。
 私はそのうちの一人の手を引っぱって、持っているロウソクで自分の葉巻に火をつけて、言った。
 ”これで君も、何かの役には立ったというわけだ” その程度のことだと思っていた」

ベトナム戦争の最中、即ち、密林で毎日、自国の青年や現地の人たちが命を失い、
手足を吹き飛ばされているそのさなかにして、この認識でございます。

確かこの証言をなさったのと同じ人であったと思いますが
当時の認識として、こうもおっしゃっておりました。
(ジョン・レノンには)アメリカで儲けさせてやっているのに、この国を批判するとはケシカラン。
ロンドンかリバプールにでも引っ込んでおればいいものを。

こう思っていたのはひとりこのかただけではなかったようで
ジョン・レノンに対して、国外退去命令が出されました。ほとんど言いがかりのような理由で。
実際は理由などどうでもよく、ラヴだのピースだの言ううるさいのはこの国から出て行け、ということだったのでございます。
このあたり、9.11直後の情勢とよく似ております。
平和を訴えるというシンプルで当たり前のことが「非国民的」な行為とみなされたのでございます。
そして、おエライ人たちが「愛国心」というなんとなくカッコよさげな言葉をダシにして戦争をしたがるのは
昔も今も(そして洋の東西も問わず)変わらないようでございます。



ちと長くなりそうでございますので、次回へ続きます。