日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

庭の授餌器(Bird Feeder)

2021-10-07 07:42:19 | 日記

私の家には、小さいながら、庭があります。

これは、非常にいいことで、心が和みます。何か、一つ大きな部屋が屋外にできたみたい。ただ、そうは言っても、手入れが行き届いていなければ、意味がありません。私は、人様にやってもらいますが、。

最近、その庭に、Bird Feederを取り付けました。庭に来る小鳥に、餌を与えるものです。

上下閉ざされた円筒状のプラスティックなんですが、底のあたりに小さな穴が開いていまして、そこから、小鳥が嘴で、餌をついばめるようになっています。

ただ、これは、私の意地悪な解釈からしますと、厳密には、鳥に餌を与えるのを目的としたものではないと思うんです。

まあ、そういう「慈善的な」側面はあります。特に、冬(英国の教会がやる、ホームレスの人のための「炊き出し」みたいなものです)。こういうものがあると、小鳥にとって有り難いですよね。

しかし、本当のところは、これ、人間が小鳥の生態を観たいがために、そういう方法で餌を与えて、小鳥をできるだけ多くおびき寄せるための手段だと思います。

実際、鳥を眺めていますと、それはそれは、何もかも忘れて、心が和みますものね(今時の言い方で、”癒される”。ただ、私、この言い方が好きではありません)。

小鳥の方がいいですが、たまにちょっと大きな、そして美しい「かささぎ」なんかも来ます。尤も、このfeeder(授餌器)は、彼らにとって小さすぎます。

このfeeder、どこかの枝かなんかに引っ掛けるんですが、条件があります。あまり低くも高くもないこと、そして、あまり目立たない様なところ。

いずれも、小鳥が生来知っている天敵からの「保身策」。彼らが、そういうところだと、安心して餌を啄(ついば)めるからからではないでしょうか。

でも、それは、困った、困った。

だって、それでは、私が、こういうちょっと卑怯な手を使って、小鳥をおびき寄せ、彼らが餌を啄っているところを、じっくり鑑賞しようと思っても、あまり、よく見えないではありませんか。

それに、「敵もさる者」、どうやら、私が庭にいるときには、彼ら、feederに飛びつかない様なのです。

確実に、餌は食べられていますから、彼らが来ていることは確かです。

しかし、それだと、ご親切にも、私が、そういう「授餌器」を設置した意味がありません。嗚呼、何をしていることやら、、。

こうなれば仕方がありません。

当初の「偽善的魂胆」を綺麗に拭い去って、「純粋なる慈善者」に徹しきるばかりです。

ああ、でも、なんだかなあ〜。