こういうのを、「国情の違い」というのでしょうか。
または「国民の認識の違い」といったほうがいいのかもしれません。
ある時、当地BBCのニューズを観ていて、ちょっと考えさせられることがありました。
ボビーチャールトン(Bobby Charlton)と言えば、英国では、誰知らぬ人のない、かつての有名なフットボーラーでした。日本で言えば、長嶋か、王みたいな存在です。
まだご存命で、目下84歳。
生涯、名門マンチェスターユーナイテッドのストライカーとして、華麗なゴールを、ファンに披露。永らくの間、そのクラブの、またイングランド国際試合の通算得点王として君臨しておられました。
1966年は、イングランドが、唯一Wカップで優勝した年ですが(イングランド開催)、ボビーさんはその時、ミッドフィールド(中堅)で活躍されています。
端正な顔立ち、寡黙で、地味な生活態度が、私、気に入っていました。
しかし、そのボビーチャルトン卿が、目下、「認知症」の状態におられるというのです。
私、そのBBCニューズの報道を聴いて、ちょっと、驚きました。
お歳からして、私の好きなボビーさんが、目下、認知症の症状を持っておられるということには、別に驚かないんですが、それを、BBCの全国放送で、堂々と放送するということに驚いたのです。
日本で、こういうことが起り得るでしょうか。
日本では、「認知症」というと、何か、恥ずかしいこと、(TVで)公言するようなことではないと思われているのではありませんか。
昔、アメリカ共和党のロ二ーレーガン大統領が、退陣を前にして、「自分は、どうやら、これから認知症になるようだ」と言っておられたのを思い出しました。
やはり、国情の違いでしょうね、こういうの。
フットボール(サッカー)の選手は、試合中にヘッディングと言って、頭でボールを突きますから、それに何らかの関連があるのかもしれません。
ああ、それにしても、ボビーさんのあのお顔が見られないのかと思うと、非常に寂しいです。