(2008年5月撮影)
熊野古道沿いには駄菓子屋がありました(残念ながら現在は閉店し、建物は残っていますが木戸で閉ざされています)
店主の手書きの文字がいい味。もう何十回も張り替えた跡が。
「サルのおどし」というのは爆竹のこと。これは、このあたりの山間はサルや猪による農作物の食害が多いためです。
駄菓子屋さんの角には石柱が。左は「きみゐでら(紀三井寺)」、右は「すぐ熊野道」とあります。
湯浅から紀三井寺までは30キロちょっとありますが、昔の人は普通に歩いていたんですね。まあ歩くしか手段が無いのですが。
指の形がイイですね。いつごろのなんでしょうか?
すぐ横には案内板が。なんと江戸時代の天保年間でした。水野忠邦公や遠山の金さんの時代ですね。
しかし江戸時代というとすごく昔な感じですが、たかだか170年ちょっとなわけで、その間の世の中のうつり変わりは
スゴイな、と思うのです。この道標はその時から同じ場所でずっと町を見ていたわけで、なんとも感慨深い。
駄菓子屋さんのすぐ近所にある「深専寺」にて。地震発生時の心構えが。湾に面した海抜の低い場所であるので、
津波の被害にあいやすく、先人の知恵が記されているそうです。
ふたたび熊野古道へ。昼下がり、木戸、ゆるーい空気感。いちいちいい。
鮮やかなレトロな看板も。
湯浅市街地の散策はもうすこし続きます。
湯浅町の香ばしマップ順次更新しております。散策のご参考にどうぞ
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熊野古道沿いには駄菓子屋がありました(残念ながら現在は閉店し、建物は残っていますが木戸で閉ざされています)
店主の手書きの文字がいい味。もう何十回も張り替えた跡が。
「サルのおどし」というのは爆竹のこと。これは、このあたりの山間はサルや猪による農作物の食害が多いためです。
駄菓子屋さんの角には石柱が。左は「きみゐでら(紀三井寺)」、右は「すぐ熊野道」とあります。
湯浅から紀三井寺までは30キロちょっとありますが、昔の人は普通に歩いていたんですね。まあ歩くしか手段が無いのですが。
指の形がイイですね。いつごろのなんでしょうか?
すぐ横には案内板が。なんと江戸時代の天保年間でした。水野忠邦公や遠山の金さんの時代ですね。
しかし江戸時代というとすごく昔な感じですが、たかだか170年ちょっとなわけで、その間の世の中のうつり変わりは
スゴイな、と思うのです。この道標はその時から同じ場所でずっと町を見ていたわけで、なんとも感慨深い。
駄菓子屋さんのすぐ近所にある「深専寺」にて。地震発生時の心構えが。湾に面した海抜の低い場所であるので、
津波の被害にあいやすく、先人の知恵が記されているそうです。
ふたたび熊野古道へ。昼下がり、木戸、ゆるーい空気感。いちいちいい。
鮮やかなレトロな看板も。
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昭和20~30年代の雰囲気そのままでしょうか。閉められたのが非常に残念です。
いやこうして湯浅特集を拝見していますと、とても1日や2日では回りきれない程、かなり奥が深い街ですね。
ですが、建物はきれいに残っておりますのでご安心ください。
湯浅も何か映画の舞台に使えそうな感じの町であります。和歌山で古い建物がこれだけ固まって大量に残っている街はちょっと私も知りません。
(御坊、田辺はぱらぱらありますが)
湯浅は泊りがけでいくと面白いいです。夜の街灯に照らされ、ライトアップされたこれらの商店もじつにいい味。
懐かしいです。