(2016年10月撮影)
真清田神社横には長屋がありまして、繊維の街らしく衣料品店が軒を連ねておりました。
これは、昭和20年に戦災者支援のために、地代を神社に納めて
境内を露店として貸し出したのが始まりだそうです。
経営者は高齢化していて郊外型店舗の発達などで中心部のお客さんは減っておりますから、
ここも恐らくは当代で畳む方が多いのではと思います。
余談ですが、都心部でも個人経営の商店街は厳しく、7-8年ほど前に都内京急沿線の、とある
都内でもかなりにぎわっている方の商店会の方達ととお話しする機会がありましたが、
23区内で一見流行ってそうな商店街でも、家族経営で土地も自前だから家賃や人件費など固定費を
払わなくて済むからなんとかなるが、自分の代で終わりにしたい、という60-70代の経営者の方が
業種問わず結構おられました。
実際、そこは町工場エリアでもあるのですが、7-8年ぶりに見ますと町工場や商店が徐々にマンションや
チェーン店に変わっていて、都内でも厳しいんのだなーと感じました。
あと10年もすれば商店街もまた一変するのかもしれません。
神社の右手の方にある商店街へ。あとでわかりましたが、左手にもやや機微が小さいながら
同様の長屋商店街があったようです。
レトロな店舗案内。神社の横ですが、観光客相手という事でもないようです。
ますはお参り。境内にもお店がありました。
木造の小学校校舎か、大昔の国鉄ローカル線の主要駅ホームみたいな雰囲気
仲見世の如く神社横に張り付くように展開しております。
軒先が思いっきり低いです。私だと思いっきりつっかえます(笑)
最近リニューアルされたようなお店や、飲食店もちらほら。
屋号が大きく描かれたシャッターのお店。自転車があるのでたまたまお休みなのでしょうか
営業していなさそうなお店もありますが、行ったときは1/3程度のお店が営業していました。
次回、JR総武緩行線、西千葉駅前にかつて存在した「西千葉ストア」を特集します。期待してやってください。
真清田神社横には長屋がありまして、繊維の街らしく衣料品店が軒を連ねておりました。
これは、昭和20年に戦災者支援のために、地代を神社に納めて
境内を露店として貸し出したのが始まりだそうです。
経営者は高齢化していて郊外型店舗の発達などで中心部のお客さんは減っておりますから、
ここも恐らくは当代で畳む方が多いのではと思います。
余談ですが、都心部でも個人経営の商店街は厳しく、7-8年ほど前に都内京急沿線の、とある
都内でもかなりにぎわっている方の商店会の方達ととお話しする機会がありましたが、
23区内で一見流行ってそうな商店街でも、家族経営で土地も自前だから家賃や人件費など固定費を
払わなくて済むからなんとかなるが、自分の代で終わりにしたい、という60-70代の経営者の方が
業種問わず結構おられました。
実際、そこは町工場エリアでもあるのですが、7-8年ぶりに見ますと町工場や商店が徐々にマンションや
チェーン店に変わっていて、都内でも厳しいんのだなーと感じました。
あと10年もすれば商店街もまた一変するのかもしれません。
神社の右手の方にある商店街へ。あとでわかりましたが、左手にもやや機微が小さいながら
同様の長屋商店街があったようです。
レトロな店舗案内。神社の横ですが、観光客相手という事でもないようです。
ますはお参り。境内にもお店がありました。
木造の小学校校舎か、大昔の国鉄ローカル線の主要駅ホームみたいな雰囲気
仲見世の如く神社横に張り付くように展開しております。
軒先が思いっきり低いです。私だと思いっきりつっかえます(笑)
最近リニューアルされたようなお店や、飲食店もちらほら。
屋号が大きく描かれたシャッターのお店。自転車があるのでたまたまお休みなのでしょうか
営業していなさそうなお店もありますが、行ったときは1/3程度のお店が営業していました。
次回、JR総武緩行線、西千葉駅前にかつて存在した「西千葉ストア」を特集します。期待してやってください。
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