人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

こだわり

2011-08-07 18:33:58 | つぶやき

 今回の車の購入でこだわった点は、ナンバーや色だけでなく他にもありました。

 それは、知り合いの車屋のおっちゃんに車を買う際、敢えて

 “ マニュアル・トランスミッション(MT)車!にしてくれ!! ”

 といったコトでした。

 昔、MT車は、オートマティク・トランスミッション(AT)車に対して5万~10万円ぐらい安かったのですが、現在9割以上がAT車のご時勢、メーカーや車種にもよるのでしょうが、大体はMTもATも同じ値段設定になっているようです。

 軽自動車のMTですから、そのエンジンパワーの無さからギアチェンジの機会も多く、乗っていて結構楽しめます。 人によっては、ギアチェンジがメンド臭いという方いらっしゃるでしょうが、私はMTの方が乗っていて楽しいです。 

 ATは頭を使わないというか、感性を使わないから面白くないですね。 私は、常に己の感性を研ぎ澄まして、天の声を聴いていたい!

 と、まー相変わらずワケの解らない自論をご披露したところで、もう一つのこだわりが、“ナビゲーションを付けない!” ということでしょうか。

 こちらに関してはただ単にお金がナイ!という見方も出来ますが、いちおうこだわりから付けないようにしようと思っています。 アメリカに居た時もそうでしたが、かなりの方向音痴のくせに何故かナビが嫌いなんです。 いかなる困難からも、“己の直感と運で切り抜けてやる!” というワケの解らないヘンな拘りがあります。

 

 まー私だけでなく皆さんも、他の人から見たら “ナンでそんなトコに拘るの?” とゆーようなヘンな “こだわり” というモノをお持ちでしょうが、私も上記のようなこだわりを持って今回の車を選択しました。

 アメリカに居た時買った車は、店の常連のオーナーの知り合いのVWのディラーから半強制的に購入させられてイマイチ納得し難かったのですが、今回は自分の内奥の感性というか、こだわりを出せたのでそれなりに納得しています。

 いずれ人生跳ねたら、ポルシェ911ターボの新車でも購入して、うしろに農作業用のキャリアーでも付けて草刈にでも行きたいトコです。

 と、ゆーところで、明日からまた螺旋の日常を創造してゆきませう!

 失礼します。

 


数秘学について(90)

2011-08-07 09:58:26 | ひふみ神示系

 恐らく、私のブログを読んで私が熱心なキリスト教徒であると思っておられる方も多いとは思います。 ですが、私は宗教としてのキリスト教には一切関わっていません。 あくまで、ケイシー・リーディングという情報のフィルターを通したJesus Christという存在を長年にわたり研究し、その結果、その人を尊敬するようになったのです。

 そして、その内奥なる止められない衝動から、その時持っていたなけなしのお金を全部叩いて3回イスラエルに行き、その地を自ら体験してきました。 帰って来た時はいつもスッカラカンで、フィルムを現像するのに困るぐらいです。 余裕があるお金の時に行ったことは一度もありません。 

 しかし、いつもそれに見合ったエキサイテイングな体験をさせてもらえます。 私の自論 「人は自らが払い込んだモノしか得ることは出来ない」 です。

 さて、いつものように暑く語ったところで本題に入りたいと思います。

 次に進む前に、もう一つ “5・五” と “4・四” という数について採り上げてみたいと思います。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第十四帖〕】

 青海原青垣山の内に(宇宙)に御子生る。 神の御座のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏ぢやと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四の活物と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ

 ここで、注意して頂きたいたいのは、神示が前回採り上げた〔極め之巻・第八帖〕と異なり、漢数字を用いている点です。 参考までに、

【ひふみ神示 〔極め之巻・第八帖〕】

 元は5で固めたのぢや、天のあり方、天なる父は5であるぞ。 それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の難ぢうであるぞ。 手や足の指は何故に5歩本であるか、誰にも判るまいがな。

 そして、ここでも “4・四” という数字に関して、どちらかと言いますと、ネガティブと言いますか、負の側面を述べています。 つまり、“4” という海王星に対応する人間の “想像(イメージ)力” で創造した世界では、所詮、行き詰まると申しますか、限界があり、それが現在の世界の行き詰まりの原因であり、西暦2000年から始まった水瓶座支配の天王星(Uranus)の特性である “予測の付かない現実降ろし(物質化)” によって、その過ちを悟り、天の法則に則った “5・五” の創造にしなくてはならない。 つまり、宇宙創造神アミリウスの転生のひとつである知性の神Hermes(ヘルメス・トリ・メギストス)の智ではなくてはならない、と。

 ここで、注意しなくてはならないのは、“5・Five・五” という数字に関して漢数字が用いられていることです。  ひふみ神示で採り上げられている色を見れば、解る方でしたら解るのですが、【白、青、黄、赤、黒】という色は、陰陽五行説の【木・火・土・金・水】に対応する色です。 

【木(肝臓・青)】→【火(心臓・赤)】→【土(膵臓・黄)】→【金(肺・白)】→【水(腎臓・黒)】

 と、ゆー感じです。

 これゆえに、漢字の発祥の国である中国の漢数字が用いられたのではないかと思います。 〔極め之巻・第八帖〕に関しては西洋占星学の数秘学に対応していたがゆえにアラビア数字を用いたのではないか?と推測します。

 もちろん、私の考えた見解ですが、ひふみ神示を読む際は、この辺の使い分けはかなり重要です。 例えば、同じ日本語でも、漢字の “伊邪那岐” と カタカナの “イザナギ”、平仮名の “いざなぎ” では、その意味あいが微妙に異なるのです。

 そして、この陰陽五行説も、いっけん 木→火→土→金→水 を単純にグルグル “循環(ロータリー)” している見えますが、しかしその底では、易の理論により “スパイラル(螺旋)” 的な進化を教えてくれています。

 このアップの最後にもう一つ、現在世界レベルで存在している “宗教”(注:キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、そして新興宗教(カルト)等も含む) と云うモノに関してのひふみ神示を降ろした神々の見解と、これから先、ほぼ全国レベルで被爆したといえる私たち日本人が、恐らくこれからこれから先起るであろうアメリカを中心とした西洋圏の資本主義経済が崩壊した後、歩まねばならない、いえ、唯一歩むことが出来る “未知なる道” の “道標” をアップしたいと思います。 

 この辺からも今回の震災に遭った日本人の重要性があるのではないかと思います。 ある意味、宗教というモノに関して、よく言えば最も “寛容” と言いますか、悪く言えば “ルーズ” であるが故に、既成宗教に囚われず、次の世に最も進化しやすい民族。 

 しかし、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、いっけん無宗教に思える日本人ですが、しかし、戦後 “唯物主義” というサタン(Satan)の物質主義宗教を、ユダヤの支配するGHQから洗脳されてきたのです。 

 ですが、今回の東北大震災(神災・神裁)で少しは目が覚めた人も出てきたでしょうが、本番はこれから起るドル破綻を契機とした物質資本主義の崩壊でしょう。

 と、ちょっと長くなったので次に移りたいと思います。 ちなみに、下にアップする帖は次のブログアップでも使います。

【ひふみ神示 〔扶桑の巻・第十五帖〕】

 百不足八十隈手いまひらかんときぞ。 天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、今迄の人民であってはならん、地(智)そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人とならねば生きては行かれんのぢや、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけありたのに目さめた人民少いぞ、今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車にのせられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。

続く・・・

 


本日の呟き(Aug/07/'11)

2011-08-07 07:15:50 | ひふみ神示系

 本日の呟きつつ、続き…です 

 最近、やっと左肩が上がるようになって来ました。 あの事故はホント痛かったし、かなり危なかった! でも、やっぱり頭の中でいくら身魂磨きとか思ったりしても、結局やっぱり、あーして痛みを伴った経験を踏まないと真の進化は行われないのでしょう。 

 これに日々の内省的Meditation(瞑想(迷走?))も重要なファクターとなります。

 大切なのは、一日がきっちり24時間と思われているロータリー(循環)が、じつは正確には23時間56分04秒という螺旋の進歩があると認識して、繰り返しの日常と思われる毎日の中に “何を” 組み込むか?ということではないかと思います。 

 つまり、占星学でいうところの黄道十二宮を25920年かけて一周りする春分点歳差に行き着きます。

 私は、散歩やケイシー・リーディングや占星学、大森先生の正食医学、姓名学の研究、ひふみ神示等を日常に組み入れています。 それが私自身の “進歩・進化” を促すと思っています。

 さて、いつものように独断と偏見を振り撒いたところで、本題に入りたいと思います。

 大森先生は昔姓名学を研究される際、日本の太古の神々の名前を研究されたようなのですが、そうしましたらほぼ100%近く大吉数だったと仰っていました。 で、昨日アップしました東北から顕れると云われている “国常立尊” を調べて見ましたら、38画という数少ない小吉数でした。 ちょっと意外でしたね。 もっと大吉数の数霊が出てくるかと思っていたのですが。

 ちなみに、こちらの画数の代表格は、坂本龍馬や福山雅治さんとかです。 あと、私の尊敬する大森英桜先生も本名の総格が38画でした。 その意味では、私の中では大吉数といえますね。

 参考までにこちらの数霊はと言いますと、山下式より

【三十八画】:文学・技芸の方面には相当に上達する力があるが、大成は望めない。 その他の方面では、たとえ大をなさんとしても、宰領の才幹を欠き、衆人の辛抱を得がたく、平凡・薄弱・微力で、目的を貫徹し得ず、不平と失意に終わることが多い。

 となっております。

 というのも、前回採り上げたひふみ神示に出てくる “国常立尊” のこれからの時代の役割としての意味が結構重要だったからです。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・第八帖〕】

 平坂の岩戸(言答)ひらけむ音のきこゆる。 神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。 太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。 また総てげ喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。 救ひの手はは東よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。 今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢや、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地(千・智)の元の天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ

 と、あり。結構大きな役割の神様のような印象を受けたからです。

 ちなみに日本のアダム(Adam)とイブ(Eve)である伊邪那岐・伊邪那美も、ニックネーム的な “伊邪那岐(35画)”、“伊邪那美(37画)” とそこまで大吉な数霊ではなく、中の上吉ぐらいの数霊です。 ですが、コレに正式な “神” を付けると・・・両者とも伊邪那岐神(45画)、伊邪那美神(47画)の大吉数になります。

 ちなみにAdamは、カバラ数秘学では、“1” の生命を放射する太陽で、Eveは “5” の知性を現す水星です。 両者とも吉星ではあります。

 話し戻しまして、もしかしたら、同様に “神” を付けた “国常立尊神” が正式名称なのかも知れません。 そうしましたら、48画の大吉数になります。  こちらは、他の画数とのバランスもありますが、会社重役や相談役に向いている画数です。 代表的な方は、京セラの稲盛和夫会長とかですかね。

 いつものように脱線しまくってしまったので、次から本題に入りたいと思います。

続く・・・