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日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

数秘学について(95)

2011-08-15 19:50:44 | Cayce Reading

 ひふみ神示のシンボルマークともなっている “㋹” ですが、実はお恥ずかしながら30回ぐらいひふみ神示を読んでいるにも関わらず、このマークの意味、あまり深く考えた事がなかったのです。

 ですが、先日 『魂の進化』 を読んでいる時に、このマークの意味にピタリとするような部分を発見したのです。 こちらに関しても時満るつまで封印されていたのかも知れません。 下に抜粋しますが、こちらはどうやらヒンズー神話にも関係してくるようです。 そうなると、日・印・米・欧のコラボマークになるのかも知れません。

【魂の進化】

 むしろ驚くべきはこの聖書のたとえがそのままブラフマーの卵につながることである。 私たちはこの卵を少々性急に見捨て過ぎたのかもしれない。 東西の宗教におなじみの蛇やその他のシンボルと同じく、卵には隠された意味と一般に明かされた意味がある。 ヒンドゥー教では卵は 「数がない」、あるいは卵形のゼロをあらわす秘教的なシンボルだった。 それは 「アディ・サーナ」(「数」 「唯一なる神」) が加わる以前の状態である。 卵はブラフマーの創造において、数が増加する肥沃な土台となるものなのだ。

西洋の伝統では、生命を与える 「卵」 は卵形を失い、球形あるいは円となる。 円は 「永遠」 のシンボルである。 円(○)の中心に点(・)が加わると、有限の顕現に永遠をもたらす 「創造エネルギー」、ロゴス、すなわち「言葉」 をあらわすものになる。 中心に幾何学的点をもつ円(太陽の記号)はまた 「太陽、神の子」(the Sun, the Sun)を表す象徴としてもよく知られている。

      (中略)

原子自体がひとつの宇宙であり、中心核の周りを整然と回転する衛星システムを備えて、あたかも内なる知性と法則の指導のもとにあるかのように動いている、というのは注目すべき事実だ。 それはあたかも宇宙意識の知性と天の法則を模倣し、実行しているとも考えられる。 

要するに、たとえ天地創造の六日間がたったひとつの原子を創ったに過ぎないとしても、それが奇跡であることには間違いない。 ただし、筆者としてはいわゆる奇跡や超自然を認めない。 私たちが超自然と感じるものは単なる自然に過ぎず、まだ理解されていないだけである、というケイシーの考え方に私は賛成である。

~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~~~~~~~~

 上記にありますように、太陽(Sun)は地上の生き物に対する生命の与え主であるように、占星学では太陽の記号 のマークを使っています。 そして、最初の方で採り上げたひふみ神示のマーク “㋹” も、同じ意味合いと考えて間違いないと思います。

 そして、ひふみ神示には、ケイシー・リーディングが述べる原子創造論とほぼ同じニュアンスの帖があります。 ケイシーも、創造神アミリウスが、たったひとつの単純な水素原子に発展性を持たせて創造するのに、何万回という試行錯誤を繰り返したと述べています。 つまり、ゼロ(0)からイチ(1)の創造の難しさを述べています。

 そしてこの帖には、占星学の黄道十二宮と深く関係している五大民族(赤・褐・白・黒・黄)について述べた部分もあります。 宇宙創造から数秘学への展開についても述べられていて、短い中にかなり深遠な神の創造に関する情報が込められています。 

 そして、平井和正氏の小説にもありますが、

  “火(Fire)と水(Water)”。 

 創造するのにも、破壊するのにも使う重要な要素(Element)のようです。

【ひふみ神示 〔扶桑之巻・二帖〕】

なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ、

 一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めてもニにはならんぞ、人民大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、○がもとぢや、結びぢや、よく心得なされよ。 世の元、○の始めから一と現れるまでは○を十回も百回も千回も、くりかえしたのであるぞ、その時は、それはそれでありたぞ、火と水(一と三)のドロドロであったぞ、その中に五色五頭の竜神が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢや、今の人民は竜神と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのでぞ、竜神とは(理)であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一であるぞ。

 戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふのであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

~~~~~~~~~~~~~(抜粋ここまで)~~~~~~~~~~ 

 このひふみ神示の帖と、ケイシーの述べる五大民族の創造について考えてみると、『五色の竜神とは国常立尊の御現われの一であるぞ』 とあるように、創造神アミリウス(Amilius)がアダム(Adam)として、赤色人種の肉体に入ったように、もしかしたら、この岡本天明さんにひふみ神示を降ろした “国常立尊” とは、創造神アミリウス(Amilius) の事なのかも知れません。

 そう考えれば、なぜコレほどまでにひふみ神示とケイシー・リーディングの内容が一致するモノが多いのか、、様々なコトに整合性が観えて来ます。 時期もほぼシンクロしていますし、同じ神霊が異なる地域(日本とアメリカ)に降ろした言霊と考えれば納得できます。

 さて、次はアダムは何故、一番最初の肉体としての投影で五大民族のうち “赤色人種” を選ばれたのか、今まで長年に渡り考え続けた私なりの答えをアップしたいと思います。

 続く・・・