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人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

数秘学について(91)

2011-08-10 20:19:06 | Cayce Reading

 えーと、数秘学とはあまり直接には関係ありませんが、ケイシーがこの世を表現するのによく使っていた言葉として 『波動と電気と忍耐』 がありました。

 この世はイメージ(想像)をベースとした、電気的波動で成り立っている。 しかし、そのイメージが物質化するのには様々なケースがありますが、およそ86年の歳月がかかるととあるリーディングで述べられています。 つまり、生れてから死ぬ一回の人生の長さが必要だということです。

 ここに 『忍耐』 の意味と重要性が隠されています。 故にこの事を知っていたユダヤ賢者は、何十回もの失敗や子の代、孫の代と何世代もかけて民族の意志として自分たちの “理想(Ideal)” を地上に降ろそうと努力して来たのです。

 それが、大輪の華を咲かせたのが20世紀後半のアメリカ大陸だったと思います。 数字によって全世界を支配した黄金期。 しかし、それにもそろそろ所々破綻が生じて来ている。

 それは、宇宙の法則を記したカバラの力が衰えたというのではなく、時代の大きな変化が起ったから。 簡単に言えば、天王星支配の水瓶座の時代というのは、イメージしたモノが降りてくる途中過程に大きなレンズが組み込まれたと考えれば解りやすいと思います。 こちらに関しては、ひふみ神示に記されています。

 故に宇宙の絶対法則である “カバラ” を研究し尽くしたユダヤ賢者でも、場合によっては全く想像もつかないグルリと正反対の現実が降りてくるケースも生じるようになったのです。 

 ここに、黄道十二宮の意味が隠されています。 これから約2100年間はこんな時代が続くのを占星学を研究している人間はよく理解しています。 私は、ここに占星学を研究するひとつの大きな意味があると認識しています。 占星学とは、“占い” としての個人レベルの当てモノでは、決してありません。 神聖な神の経綸を読むツールです。

 とはいえ、占星学できると女の子受けはいいんですよねー♪ イケメンでなくても携帯の番号&メアドは100%ゲットーできます。

 と、まーそれはともかく、前回の続きを添えてオヤスミなさい、です。

【ひふみ神示 〔扶桑の巻・第十五帖〕】

 百不足八十隈手いまひらかんときぞ。 天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、今迄の人民であってはならん、地(智)そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人とならねば生きては行かれんのぢや、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけありたのに目さめた人民少いぞ、今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車にのせられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。

 ケイシー・リーディングは興味深い事に、ひふみ神示の上記の赤の部分 『今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ』 という部分と全く同様の事を “Armageddon(ハルマゲドン)” として述べています。

(Q) If the Armageddon is foretold in the Great Pyramid, please give a description of it and the date of its beginning and ending.
(A) Not in what is left there. It will be as a thousand years, with the fighting in the air, and - as has been - between those returning to and those leaving the earth.

続く。。。


歓喜びに向かってススメ!

2011-08-10 11:07:12 | ひふみ神示系

 ひふみ神示に関しては、その翻訳者の中心的存在だった岡本三典さんともお逢いできましたし、ケイシー・リーディングに関しても、その中心的地(バージニア・ビーチ)に永住権で住むことが出来ました。 今、考えるとよくあのタイミングでというような偶然的な出来事の連鎖でした。 理由は解りませんが、何かしら今後の活動に関しての体験だったのでしょう。

 ところで、ひふみ神示とケイシー・リーディングの共通性というのは、いま振り返って読み返してみると不思議なぐらい多いですね。 日々、何で今まで気が付かなかったのだろうか?と不思議に思います。

 『留まることなく常に動き続きつつ、永遠に未完成に留まる』

 それが、両方の神示(ひふみ神示、ケイシー・リーディング)に一貫して述べられています。 高次元の世界のことは、地球で肉を纏った身では理解できない事の方が多いようです。 それを意識して日々の出来事を痛みを伴って処理していくのが “今” ここに居る私たちの宿命でしょう。

 そして、二つの神示に示されている道は 

『自分が心から楽しい(喜び)コトを見極めて、只ひたすらソレに向かって進みなさい』 

 ということでしょうか。

 数字というモノで世界を構築し、支配していた資本主義経済をベースとした物質(物欲)文明の崩壊が進む中、その後、私たちはこれからどう生きて行けば良いのかひとつの指針となるかも知れません。

 私の “喜び” は、ケイシー・リーディング、ひふみ神示、占星学、姓名学、数秘学、正食医学、海外放浪、カメラ(美人撮り)、でしょうかねー。 これらはやっていてホントに楽しい!

【ひふみ神示 〔春の巻・第五帖〕】

 人民栄えて行くことは、神、弥栄のことぞ。 神も人民も、世界も、宇宙も、総ていつまでも未完成ぞ。 神様でも大神様は判らんのであるぞ。 只、喜びに向つてひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。 正しき喜びを先ず見極めよ。 見きわめてひたすらに進めばよいのぢや。 食物を食べるのも喜びであるぞ。 正しき食物正しく食べよ。 更に喜びふへて弥栄へるのぢや。 自分の喜びを進め進めて天国へ入ること出来るのぢや。 目に見える食べ物ばかりでないぞ。 何も彼も同様ぞ。 人民は喜びの子と申してあろう。 罪の子でないぞ。 うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢや。

そういえば、岡本三典さんとの邂逅の席で 『食べ物を大切にしてね。 神示にも書いてあるようにとくにお米ね。 私たちの体は食べ物で出来ているんだから。』 と仰っていました。

 

  次に、占星学の春分点歳差にあたる帖をアップしてみたいと思います。

【ひふみ神示 〔春の巻・第十帖〕】

 一切のモノはウズであるぞ。 同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、一段づつ進んでいるのであるぞ。 木でも草でも同様ぞ。 前の春と今年の春とは、同じであつて違つて居らうがな。 行き詰まりがありがたいのぢや。 前に進んでいるからこそ、行きあたり行きつまるのぢや。 さとりの時与えられるのぢや。 ものは、はなす(話す、離す)からこそ摑めるのぢや。 固く握つて戸しめていてはならんのう。 扉あけておけと申してあろうが。 着物ぬいで裸体となることつらいであろうなれど、ぬがねば新しい着物きられんぞ。 裸になつてブツカレよ。 神様も裸になつてそなたを抱いて下さるぞよ。 重い石のせたタクアンはうまいのであるぞ。

~~~~~~(抜粋ココまで)~~~~~~~~~~~~~ 

 (注:神示にあるから言って裸で外を歩いたらたぶん捕まりますので、自己責任の下出して歩いてください。)

 こんな感じで、1日というのを利便性を考えて、解かり易く24時間に切り上げしていることが、つまり一日のたった3分56秒56の誤差が、螺旋の溝につながり、占星学の春分点歳差(一日24時間は、正確には23時間56分04秒)を生み出し、それが黄道十二宮を25920年かけて一周させる螺旋の進歩を生み出す。

 ほんと、一日にしたら目に見えないぐらい僅かな進歩。 それこそが、地に堕ちた人間をゆっくりと忍耐強く進化させる効果を生み出す神の経綸。

 それを認識して日々過ごすのと、行きあたりばったりじゃー全然違ってきます。 進むべき方向(理想)をしっかりと掲げておけば、かなりの痛みを伴った経験も何とか受容できます。 その時はムリでも。

 あまり個人的な見解を書き過ぎても、上記二つの神示は、各個人に対して本質を外してしまうのでコレぐらいで失礼します。

 あくまで参考となさって下さい。

 失礼します。