【3月11日(日)】
昨年の【東日本大震災】からちょうど1年が経ちました。
地震があったときは、議会の常任委員会の最中でした。
一度屋外に避難し、地震が修まったと思い、庁舎内に戻り、その後また地震が起き停電になったので仕事を止めて家に帰ったのを思い出す。
テレビも見れない、電気が無い暗闇の中での暮らしが、こんなに不便で不安なものなのかとつくづく感じたものでした。
約二万人もの死者、行方不明者をだした未曽有のこの大震災。
いまだに被災地では仮説住宅の生活を余儀なくされて、また復興の糸口が見いだせないでいる地域が沢山あるのことを私たちは忘れてはいけない。
今、被災者の方々に私たちが出来ることが何なのかをあらためて考えなければならないのではないだろうか。
出来ることから始めましょう。
困っていることに対し、手助けをしましょう。
いつ私たちが同じような境遇にあうかわからないのだから。
震災直後に宮城県の多賀城市に「炊き出し」に行ったことが自分にとっても良い経験となりました。
あの時の被災地の方々から「ありがとう」と声をかけて頂いたことを忘れません。
こちらこそ、勇気と希望を与えて頂いたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。
「頑張ろう東北。負けるな日本。」
昨年の【東日本大震災】からちょうど1年が経ちました。
地震があったときは、議会の常任委員会の最中でした。
一度屋外に避難し、地震が修まったと思い、庁舎内に戻り、その後また地震が起き停電になったので仕事を止めて家に帰ったのを思い出す。
テレビも見れない、電気が無い暗闇の中での暮らしが、こんなに不便で不安なものなのかとつくづく感じたものでした。
約二万人もの死者、行方不明者をだした未曽有のこの大震災。
いまだに被災地では仮説住宅の生活を余儀なくされて、また復興の糸口が見いだせないでいる地域が沢山あるのことを私たちは忘れてはいけない。
今、被災者の方々に私たちが出来ることが何なのかをあらためて考えなければならないのではないだろうか。
出来ることから始めましょう。
困っていることに対し、手助けをしましょう。
いつ私たちが同じような境遇にあうかわからないのだから。
震災直後に宮城県の多賀城市に「炊き出し」に行ったことが自分にとっても良い経験となりました。
あの時の被災地の方々から「ありがとう」と声をかけて頂いたことを忘れません。
こちらこそ、勇気と希望を与えて頂いたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。
「頑張ろう東北。負けるな日本。」