一滴の大海
あなたは大海の一滴ではなくて、一滴の大海なのだ。
ルーミー語録
ルーミーとほぼ同じ時代ドイツではキリスト教のエックハルトがほぼ同じことを言っていました。合わせて読むとルーミー理解が深まると思います。
マイスター・エックハルト (1260年頃ー1328年頃)は、中世ドイツのキリスト教神学者、神秘主義者です。
神は唯一の善である。
すべての個々の善はそこに一緒に含まれている。
そこは満ちたるもの、
神性の世界である。
それは「一なること」である。
大海に比して一滴の水は
取るに足らない。
そのように神に比すれば
万物はあまりに小さい。
魂が神をおのが内に
引き入れる時、
水滴は大海に変ずる。
神には欠如も否定もない。
なぜならその本性は充溢であることだからである。
本当に正しくそれを捉えようとする人は、なお善や真理からも、それにただ観念や名称の中でのみ区別の錯覚や影に煩うだけのものからさえも、縁を切る。
その人は、一切の多様と区別を欠いた「一なるもの」のみを信頼する。この「一なるもの」にあっては、あらゆる規定性と特性が消え去り、そして「一」である。
この一者こそが我々を幸福にするのである。
エックハルト
ルドルフ・オットー/「西と東の神秘主義」p46より
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(1207〜1273 )はペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人。
Out beyond ideas of
wrongdoing and rightdoing,
there is a field,
I will meet you there
~Rumi~
善行と悪行、
それらの考えのはるかに及ばぬところ、
そこに一つの場がある。
私はそこで
あなたに会おう。
wrongdoing and rightdoing,
there is a field,
I will meet you there
~Rumi~
善行と悪行、
それらの考えのはるかに及ばぬところ、
そこに一つの場がある。
私はそこで
あなたに会おう。
ルーミー
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