鈴木大拙によると西洋的なものとは違う一種の特性を持っている「東洋的思考」または「東洋的心理」とでもいうものがあると言います。それらのエッセーを収めた「東洋的な見方」からいくつか紹介します。
✧分割は知性の性格
分割は知性の性格である。
まず主と客を分ける。われと
ひと、自分と世界、心と物、天と地、陰と陽、など、すべて分けることが知性である。
主客の分別をつけないと、知識が成立しない。知るものと知られるものーこの二元性からわれらの知識が出てきて、それから次へ次へと発展してゆく。哲学も科学も、なにもかも、これから出る。個の世界、多の世界を見てゆくのがその特徴である。
それから、分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。すなわち力の世界がそこから開けてくる。力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。
二元性を基底にもつ西洋思想には、もとより長所もあれば短所もある。個々特殊の具体的事物を一般化し、概念化し、抽象化する、これが長所である。
(東洋文化の根底にあるもの)
✧数は分割するもの
数は分割をその性格とする。一筋に延べられた鉄のように、切れ目がなくては手のつけようがない。それを各種の数に分割することにより、人間五官の世界、分別識の世界にわかりやすくなる。
人間生活の一面はこの分割性を基礎として成立している。ゆえに数は有限である。無限のままでは人間の役に立たない。いかなる数もことごとく有限でないと、人間の官能ではつかめない。分割または分析できないものは人間の役に立たないことになっている。
いかに精密な科学でも、結局は人間の五官が分別識に訴えるよりほかない。実は人間世界の事物は、何であっても、ことごとく五官と分別識の要請によって、了解が可能になる。
ただし、人間世界の全部を通貫して、有限な数の外にあるものに、気がつかないと、行き詰まりにおちいるのである。 (東洋的な見方)
✧見るものと見られるもの
人間の考えというものは、二つのものが相対していないと出てこないのである。一つだけだと、何も考えることなどない。すなわち移るということ、移らぬということ、いいかえれば、永遠と転移との二つを対照させてはじめて刻々に移る時間と、少しも変わらぬ永遠とが考えられる。
人間の意識は経験そのものを離れて経験を見ることができるから、出てくるのである。すなわち見るものと、見られるものが二つになるからである。 (時間と永遠)
鈴木大拙(1870〜1966)は日本の仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。(鈴木大拙wiki )
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます