大分発のブログ

由布・鶴見やくじゅうをメインにした野鳥や山野草、県内四季折々の風景などアウトドア写真のブログです。 

ルーミー/魂はただひとつ/光はひとつ

2020-11-28 07:04:00 | イスラム/スーフィズム
  魂はただひとつ 

 信じる者は数多くいても、信仰そのものは唯ひとつ。
体は別々に離れていても、信じる者の魂は唯ひとつ。

 雄牛やロバのそれとは別に、人には人の知性と魂があり加えて人の魂の中にも、聖なる吐息を得た者の魂がある。

 けものの魂は合一を知らず、故に合一を恋い焦がれることもない。弱くはかなきものたちに、合一を理解せよと言うのは無理がある。

 けものの魂の持ち主たちは、誰かがパンを食べてもその隣人は満たされず
誰かが重荷を背負っていても、その隣人が手助けをするということもない。

 否、それどころか彼らのような者たちは、隣人が死ねば喜び、反対に隣人が財を得ようものなら、今度は死ぬほど嫉妬する。

 犬やオオカミどもの魂は離れている。けれど神の獅子たちの魂は唯ひとつ。

 魂という語が複数あるかのように扱われるのは、ひとつの魂に無数の体が連なり関っているから。

 天に唯ひとつの太陽の放つ光が無数の館の中庭を明るく照らす。

 館の壁を全て取り去ってみれば散らばった光も唯ひとつに還る。

 体という館を取り去ってみれば信じる者の魂も唯ひとつに還る。
   『精神的マスナヴィー』4-408

   ラマダンランプ

 光はひとつ

 ランプはそれぞれ違っても、放つ光は同じひとつ。
光、それははるか彼方から届けられる。

 あなたがランプに眼を奪われ続けるのであれば、あなたはあなた自身を奪われてしまう。

 ランプの種類は数限りなく、各人の嗜好もまた然り。あなたの視線を光に転じ、光そのものを見つめよ。そうすれば、あなたは地上における事象に特有の、二元性の限界から解き放たれるだろう。

 そのようにして新たな視線を獲得すれば、イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の違いは、依って立つ位置の違いに過ぎないことが理解できよう。
  『精神的マスナヴィー』3-1259. 

 
 神は天と地の光である

 神の光は、ランプの置かれた壁龕のようなものである。
ガラスでできたランプ。
ガラスはあたかも光輝く星のようなもの。
それは祝福された樹、
東のものでも、西のものでもないオリーブの樹で焚かれている。 
その油は、火が触れることがないのに、まさに光輝くばかり。 
光の上に光を加える。
         コーラン24章35節


最新の画像もっと見る

コメントを投稿