かぜを感じて

ありがとう!〔感謝〕

戦乱の家康 3

2006年03月08日 | Weblog
難しいお話はこれでお終いです。

幼少の時 家康は人質に出されました。
今川義元と織田勢との桶狭間の合戦で今川義元が倒れ 
その時今川勢側にいた家康〔19歳〕は命が危ないと悟って 
大樹寺へ命からがら逃げ帰りました。

追ってもあり前途を悲観し 
自害をしようと覚悟したところ 
大樹寺の住職に厭離穢土・欣求浄土〔おんりえど ごんぐじょうど〕の経文を訓示されました。

そのお言葉で家康は自害を翻意し、天下統一をし戦乱のない国を作ったとされています。

経文の意味は戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目・・・・と
その後家康はこの八文字を座右の銘にしたという事です。

家康は岡崎の生まれた所の三河武士達〔家臣等〕とともにその後 
天下統一を進めていったのです。


岡崎公園内に三河武士のやかた家康館がありそこを見学すると  
その後の家康や岡崎の発展が解るようになっております。ビデオがお勧めです。


今春3月末?に三河武士のやかた家康館がリニューアルオープンします。
楽しみです。

ビデオが面白くよく見ましたが 
そのままあればと思っております。

 




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