昨日の夕刊で大久保怜さん死去とあった。
今の人で大久保怜を知っている人は少ないかも知れない。
辛口の司会や声帯模写で好評を博し「素人名人会」の審査員を長きにわたって勤めたと書いてあった。
私は勿論、テレビで見ていて知っているが、特に、母が大ファンだった。
母は若い頃、吉本や松竹所属の漫才師の中に友達がいて楽屋に遊びに行っていたらしい。その関係で演芸や演劇が好きで私たち兄弟、角座や中座、大劇OSKの踊り等によく見に連れて行ってもらった。
大久保怜の事も「男前やし品がある、目の当たりに見て話してから益々ファンになったわ」と言って、しばらく追っかけしていた。
大久保怜さんが亡くなって子供の頃、母とサンケイホールや南の演芸場に足を運んだことを、懐かしく思い出された。
今日は姉の月命日、お墓詣りに行って墓前で母に伝えた。
「お母ちゃん、お母ちゃんのファンやった、大久保怜さん死んだで」と。
(そうか、死んだか、ええ人やったなあ、そうか)とがっくりした声が聞こえてきた。
みんな、いなくなるんだ。
今日は新地まるとくで長年働いていた、とくさんが20日でやめるというので、これから、お別れ飲み会に行く。みんな、いなくなる。
今の人で大久保怜を知っている人は少ないかも知れない。
辛口の司会や声帯模写で好評を博し「素人名人会」の審査員を長きにわたって勤めたと書いてあった。
私は勿論、テレビで見ていて知っているが、特に、母が大ファンだった。
母は若い頃、吉本や松竹所属の漫才師の中に友達がいて楽屋に遊びに行っていたらしい。その関係で演芸や演劇が好きで私たち兄弟、角座や中座、大劇OSKの踊り等によく見に連れて行ってもらった。
大久保怜の事も「男前やし品がある、目の当たりに見て話してから益々ファンになったわ」と言って、しばらく追っかけしていた。
大久保怜さんが亡くなって子供の頃、母とサンケイホールや南の演芸場に足を運んだことを、懐かしく思い出された。
今日は姉の月命日、お墓詣りに行って墓前で母に伝えた。
「お母ちゃん、お母ちゃんのファンやった、大久保怜さん死んだで」と。
(そうか、死んだか、ええ人やったなあ、そうか)とがっくりした声が聞こえてきた。
みんな、いなくなるんだ。
今日は新地まるとくで長年働いていた、とくさんが20日でやめるというので、これから、お別れ飲み会に行く。みんな、いなくなる。