人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

『心臓抜き』その1

2013-03-13 20:34:03 | 書評(病の金貨)
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2.閉ざされた扉(ボリス・ヴィアン『心臓抜き』1953年)

 1,梗概と問題点
『心臓抜き』は、「空。満たすべし」とあらかじめ書き込まれた身分証明書を持ち、外部からやってきた過去も欲望も持たない空っぽの精神科医ジャックモールが人々の恥で内部を満たすまでの物語である。
 主な舞台である崖の上の白い家には、村に面しているほうに「金色の格子門」がある。その下の村は田舎的野蛮さが誇張された世界。村に流れる赤い小川に垂れ流される人々の「恥」を歯で拾い上げる人の乗る「ラ・グロイール号」という小舟があり、『ハジ』を拾い上げる人は名前を失いラ・グロイールと呼ばれることになる。恥の対価として黄金を支払われるが、黄金は何も買うことができない、何の役にも立たないものである。
 ジャックモールが小説冒頭で出会うクレマンチーヌは、三つ子を産むが、妊娠させられた恨みから夫アンジェルを部屋に閉じ込めてしまう。が、やがて徐々に彼女の「母性愛」が暴走し始めたため、アンジェルはやがて手製の船で海に出てゆき、船出場面では炎の煙が空を飛ぶ。「二人プラス一人」の子供たちは知らぬ間に空を飛ぶことができるようになっていたが、最後に「母性愛」から鳥籠に閉じ込められる。ジャックモールは死んだラ・グロイールの後を継ぎ、新たなラ・グロイールとなる。
 世界が言葉でできていることを言葉で示す、メタフィクション的な仕掛けが随所で仕掛けられる。例えば司祭の「わかった。雨は降る」という言葉によって雨が降る(66頁)。また、この司祭の「有用ですと!・・・・・・宗教は贅沢です。」(58頁)「ここは教会じゃ、じょうろではない!」(64頁)という主張は、小説の定義とも読めるだろう。すなわち、小説は贅沢品であって、空虚な内面を埋めるためであったり、泣いたり気持ちよくなったり必要なファンタジーを与えてもらうために読むものではない。さらにこの司祭は、聖具室係が悪魔として火を吐く「豪華な見せ物」(172頁)を演出する。ジャックモールも恥の代価としての黄金について「彼は金をもらうだろう。金はそれでなにも買えないのだからむだだ。したがって唯一の有効なものだ。値段がない」(161頁)と考える。
 この小説においては「閉じ込められる」ことと旅立ち、「欲望」と「自由」が対立しあい、そのような拮抗と恥/後悔の対価である黄金が関わる。これらの拮抗を読み解くことで、「心臓抜き」とは何か、明らかにすることができるだろう。

本文引用について:滝田文彦訳『ボリス・ヴィアン全集6 心臓抜き』(早川書房、1979年)による。

つづく


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