人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

『ストーリー・オブ・マイライフ 私の『若草物語』』感想

2020-12-30 10:51:23 | その他レヴュー
 少し前になりますが、『ストーリー・オブ・マイライフ 私の『若草物語』』見たので感想書いておきます。

 私はもともと『若草物語』の中では三女のベスが一番好きで、父の帰還を待つ最初の話では猩紅熱から回復するけれど、姉妹たちがそれぞれ結婚したり、自分の世界を切り拓いたりする続編では、自分の小さな世界を守ったまま死んでいくところがとても好きでした。

 子供のころはジョーが好きだったんですけど、ジョーの生き方は、戦っているように見えて、お金を稼ごうと思うと編集者の求めるものを書かないといけなかったり、妥協して、(資本主義)社会の中で求められる枠組みの中で生きていくしかないんですよね。

 それに比べてベスは、内気すぎて学校にも行けない、ピアノが好きなのも誰かに聞かせたいわけではなくて、
自分のために弾いている(聞かせたいのは、せいぜい家族とお隣のローレンスおじさまくらい)。
 社会で戦うことはしないけど、その分自分の小さな世界を守っていくことができる(おうちの中から姉妹が出ていってしまうと、死ぬしかないですけど)。
 そういうところがいいなあ、と思っていました。というか、自分はジョーではなくベスだな、と。

 今回の映画『ストーリー・オブ・マイライフ 私の『若草物語』』は、姉妹たちの時間が失われた時点から始まって、姉妹たちの時間が振り返られ、重ねられるかたちで作られています。

 例えば、ベスが猩紅熱から回復する朝と、亡くなってしまった朝。
 マーチおば様のところに預けられているエイミーが帰ってくるのと、マーチおば様といっしょにヨーロッパに滞在していたエイミーが帰ってくるのと。
 ジョーが自分の髪を売ってお金を得たところと、原稿(ペンネームで書いた刺激的な内容のもの)を売ってお金を得たところと。

 猩紅熱をまだやっていなかったエイミーが、マーチおば様のところに隔離されたときには、ローリーがいろいろ連れ出してあげるよ、と言って結構相手してるんですよね。
 続編のほうではそのローリーと結婚して帰ってくるわけで、そのあたりも重ねて展開してるんだな、という構造に、映画を見て気づきました。

 エイミーは本当によかった!
 演技が上手で、「私が支えるから世界一の女優になってよ」というジョーに対して、「私は普通の幸せが欲しいの」と言ってブルック先生と結婚するメグ、
 社会と戦って小説家になるジョー、
 ピアノが好きで、自分の小さな世界のなかだけで生きていて、姉妹たちが大人になるころに死んでしまうベス、
 絵が上手だけど、「私は中くらいなのよ」と言って画家になることはあきらめ、ローリーと結婚するエイミー。

 『若草物語』の中では、姉妹のそれぞれが、才能を持ちながらも、当時の社会の構造とどう向き合うかが描かれているのだと思いますが、今回の映画では特に、エイミーとジョーとのライバルでもあり、理解者でもある関係が際立って描かれていたと思います。

 エイミーは『若草物語』の最初の話ではまだ半分子供で、ある程度自由に動くことができるのですが、
 映画の現在時点でローリーとのやり取りが描かれるあたりでは、大きなフープの入ったスカートをはいて、本当に不自由そうで(動きが抑圧されていて)、自由にひょいひょいと動く(美しい)ローリーとの対比が際立ちます。

 一方でジョーは大人になった後も、大きなフープ入りスカートをはいたりしないので、自由に走ることができます(でもそれって社会と戦っているからで、着るものから全部社会と戦うのは本当にしんどいことなんですよね)。

 エイミーはローリーに「私はジョーの代わりじゃない」と言いますが、実はエイミーにとってのローリーは、「ジョーの代わり」だったところもあるんじゃないかと思います。

 最初の話(映画では過去の回想)の中で、一緒に連れて行ってもらえなかったエイミーが恨んで、ジョーの原稿を焼いて、ジョーが激怒するというエピソードがありますが、エイミーはジョーの原稿がどうでもいいと思っていたわけではなくて、他のものではジョーにショックを与えられないと思って、原稿を焼いてしまうんですよね。
 ちゃんと理解してる。

 一方で映画の現在時点では、ジョーは病気が悪くなったベスに、「私たちの物語を書いて」と言われていて、ベスが亡くなった後、屋根裏でベスの人形を見つけて、「私たちの物語」を書き始めます。
 ベスが亡くなってしまっても、ジョーが書くことによって、小さな世界は再構成され、永遠になります。

 でもジョー自身は「大事なことを書いているわけではない」「家族の小さな物語」だと言っているんですよね。
 それに対してエイミーが「書かれることによって大事なことになるんじゃないかしら?」と言い、ジョーは「結構いいこと言うじゃない」と言う。さらにエイミーは、前から結構いいこと言ってるのよ、いったい私の何を見ているの、と返すわけですが…。
 そこがすごく良かったです。
 外見は普通のエレガントな当時の女性らしい恰好をしていて、ローリーと結婚しても、心はジョーと共にある、一緒に戦っているんだ、と主張しているように見えました。

 編集者に言われて、結末をジョーが結婚する話に書き換えた部分では、ジョーの結婚相手としてつくられた「ベア先生」が、ベスのピアノを弾くのも、良かったです。出版してもらうための「妥協」ではあるのですが、その、妥協であるフィクションによって、ベスのピアノを鳴らす、というのが。


 





 


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