今日はシフトが午後に変わったので、のんびり。
午前中のほうが家でいてもすることが少ないので、(午後仕事のほうが)ゆっくり論文書いたりなど、できます。
そのぶん、おうちのなかのことを手伝ってないことになりますが…。
しばらく積読状態だった、『金の仔牛』をやっと読んだので、レヴュー書きます。
*** *** ***
前作『醜聞の作法』と似たテイストの小説。前作では「醜聞」(スキャンダル)が物語を展開させるが、『金の仔牛』では、株と紙幣がモチーフとなる。共通点はどちらも、人の噂を媒介に膨れ上がるものであること。主人公は若い追い剥ぎだが好感度は高いし、なんと言ってもヒロインが可愛い。
18世紀フランスを舞台とした佐藤亜紀『金の仔牛』は、若い追い剥ぎアルノーと故買屋の一人娘ニコルの恋と、株取引が重ね合わされる歴史小説だ。投資家カトルメール、故買屋ルノーダン、金細工師で裏で糸を引くヴィゼンバック兄弟に、人を殺すことに快楽を覚え、ニコルに執心する「人喰い鬼」の貴族オーヴィリエなど、一癖も二癖もある登場人物たちが暗躍する。
アルノーはある雨の日、襲った老紳士から、儲け話を持ちかけられる。それが、フランス政府の借金を肩代わりし、北アメリカの開発を目指す通称「ミシシッピ計画」の投機をめぐる話だった。投機をめぐって資金を調達する話を引き受けたアルノーは、たまたま宿屋で夫らしき男性(実は忠実な使用人)から逃げ出そうとしていた娘を一緒に連れ出す。彼女が、アルノーも世話になっている故買屋ルノーダンの大事な一人娘であったことから、物語は新たな展開を見せる。ルノーダンは怒りのあまり、アルノーの首を賭け金に、オーヴィリエを投機話に誘い込むことになるのだ。一方でアルノーは、投機話を持ちかけた投資家のカトルメールに目をかけられ、ニコルと二人、着飾ってパリの社交界にデヴューすることになる。株価は膨れ上がり、アルノーは摂政殿下にまで覚えめでたき青年実業家となる。パリに豪華な邸宅を買い、立派な結婚式を挙げる。
けれども豪華な生活にふと虚しさを感じたある日、アルノーは株取引から足を洗い、田舎に引きこもることにする。期を同じくして株価の暴落が始まり、カンカンポワ街での取引が禁止されたのだった。カトルメールはイギリスに渡り、カトルメールの秘書ゴデが、新しい株取引のシステムを思いつく。その株取引に引っ張り出されたアルノー。やがて株取引は、株券と紙幣の段階的切り下げのために破綻する。参加する投資家の一人、オーヴィリエのもとから送り込まれた通称「蜥蜴」の資本には、実はアルノーの首が賭けられていたのだが、アルノーの危機を救ったのがニコルのつくった金貨だった。
この作者の小説にしてはリーダビリティも高く、明るく、ノリもよい。あまりに安定感がありすぎ、安心して読めてしまうため、この作者にトチ狂ったような迫力を求める向きには、ひょっとしたら不満が残るかもしれない。それでいて、ニコルがアルノーを救うために思う「これとあれとそれを足し合わせて、端と端がぴったり合わさるような何かを考えなけりゃならない」(74頁)が文芸行為と重なり合うなど、この作者らしいメタフィクショナルな構築性の高さも魅力だろう。
お内儀がニコルとの恋について「これは損な取引だよ」(24頁)と言うように、恋愛模様と株取引は分かちがたく結びつき、双方向に表象し合うのだが、余計にややこしいのが、一人の人間が投機の対象でもあり、賭け金であり、プレイヤーでもあるような状況だろう。結末部分の大団円に至る展開も、ヒロインニコルが単なる投機の対象や賭け金ではなく、プレイヤーでもあったこと、そしてそれを一部の主要登場人物が全く知らなかったことによって可能になる。
さて…、アルノーの「憑き物が落ち」、田舎に引きこもることを決める場面。財産処分に関し「衣装はお袋さんに仕舞っといて貰え」と言われたニコルは、株取引をやめればオペラなど行かないから、「売っちゃえばいいよ」(228頁)と言う。けれども結末部分でアルノーを救い出すために出かけるニコルは、「薄い青林檎色の衣装と侯爵夫人の靴」(284頁)を出させる。彼女はすべての衣装を売り払ったわけではなかったのだ。
「侯爵夫人の靴」は、ニコルのために故買屋(ニコルの実家)のお内儀からアルノーが貰い受けてきたもので、「寸法も判ってるみたいだね。男のくれる靴なんて、がぶがぶかきつきつか、どっちかなんだけどね」(26頁)とお内儀から感心されたもの。ニコルが履いて実家に衣装をおねだりに行ったことで、アルノーとの関係がルノーダンにバレてしまう。衣装は、靴に合うものをとニコルがカトルメールにおねだりしたもの。「大使夫人が頼んだけど取り止めにした衣装」で、「ぴったりだった」(53頁)、はじめてオペラに行ったときの組み合わせだ。これ以後、彼女はたくさんの衣装を着、靴を履くが、それは全て彼女のために誂えられたものであり、「侯爵夫人の靴」と「薄い青林檎色の衣装」だけが、彼女以外の人間のために仕立てられた衣装だった。それを売らずに残していたことに注目しよう。考えてみれば故買屋も、追い剥ぎも、他人の人生を引き受け、あるいは剥ぎとって、別の人に引き渡す仕事だと言えなくもない。
ぴったりだった衣装と靴は、結末部分では妊娠のために、衣装は「まだ直さなくてもどうにか着られる」が、靴は「少しきつい」(284頁)。結末部分でニコルとアルノーはイギリス行きのことを考えるから、「大使夫人」のような人生を、まだニコルは送る可能性があるのだろう。一方で「侯爵夫人」のような人生は、もう時効をきたしている。いかにもヒロイン然とした、賢く可愛いニコルのむくんだ足は、妊娠のために、物語から少しずつ、抜け出し始めているのだろう。
講談社、2012年。
*** *** ***
そろそろお昼ごはんを食べて、仕事に行く準備をしなくちゃいけないから、この辺で。もうちょっと書きたいことがあったような気もするので、後から直すかもしれません。→ちょっと手直ししました(4月10日21時頃)。
本当は論文書き書きとか、学会発表するかどうか今週中くらいには決めたほうがいいのでどうするか判断する(25~30分程度の発表で着地できそうな範囲を見計らう)とか、したかったんですが。
あれ…?
午前中のほうが家でいてもすることが少ないので、(午後仕事のほうが)ゆっくり論文書いたりなど、できます。
そのぶん、おうちのなかのことを手伝ってないことになりますが…。
しばらく積読状態だった、『金の仔牛』をやっと読んだので、レヴュー書きます。
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前作『醜聞の作法』と似たテイストの小説。前作では「醜聞」(スキャンダル)が物語を展開させるが、『金の仔牛』では、株と紙幣がモチーフとなる。共通点はどちらも、人の噂を媒介に膨れ上がるものであること。主人公は若い追い剥ぎだが好感度は高いし、なんと言ってもヒロインが可愛い。
18世紀フランスを舞台とした佐藤亜紀『金の仔牛』は、若い追い剥ぎアルノーと故買屋の一人娘ニコルの恋と、株取引が重ね合わされる歴史小説だ。投資家カトルメール、故買屋ルノーダン、金細工師で裏で糸を引くヴィゼンバック兄弟に、人を殺すことに快楽を覚え、ニコルに執心する「人喰い鬼」の貴族オーヴィリエなど、一癖も二癖もある登場人物たちが暗躍する。
アルノーはある雨の日、襲った老紳士から、儲け話を持ちかけられる。それが、フランス政府の借金を肩代わりし、北アメリカの開発を目指す通称「ミシシッピ計画」の投機をめぐる話だった。投機をめぐって資金を調達する話を引き受けたアルノーは、たまたま宿屋で夫らしき男性(実は忠実な使用人)から逃げ出そうとしていた娘を一緒に連れ出す。彼女が、アルノーも世話になっている故買屋ルノーダンの大事な一人娘であったことから、物語は新たな展開を見せる。ルノーダンは怒りのあまり、アルノーの首を賭け金に、オーヴィリエを投機話に誘い込むことになるのだ。一方でアルノーは、投機話を持ちかけた投資家のカトルメールに目をかけられ、ニコルと二人、着飾ってパリの社交界にデヴューすることになる。株価は膨れ上がり、アルノーは摂政殿下にまで覚えめでたき青年実業家となる。パリに豪華な邸宅を買い、立派な結婚式を挙げる。
けれども豪華な生活にふと虚しさを感じたある日、アルノーは株取引から足を洗い、田舎に引きこもることにする。期を同じくして株価の暴落が始まり、カンカンポワ街での取引が禁止されたのだった。カトルメールはイギリスに渡り、カトルメールの秘書ゴデが、新しい株取引のシステムを思いつく。その株取引に引っ張り出されたアルノー。やがて株取引は、株券と紙幣の段階的切り下げのために破綻する。参加する投資家の一人、オーヴィリエのもとから送り込まれた通称「蜥蜴」の資本には、実はアルノーの首が賭けられていたのだが、アルノーの危機を救ったのがニコルのつくった金貨だった。
この作者の小説にしてはリーダビリティも高く、明るく、ノリもよい。あまりに安定感がありすぎ、安心して読めてしまうため、この作者にトチ狂ったような迫力を求める向きには、ひょっとしたら不満が残るかもしれない。それでいて、ニコルがアルノーを救うために思う「これとあれとそれを足し合わせて、端と端がぴったり合わさるような何かを考えなけりゃならない」(74頁)が文芸行為と重なり合うなど、この作者らしいメタフィクショナルな構築性の高さも魅力だろう。
お内儀がニコルとの恋について「これは損な取引だよ」(24頁)と言うように、恋愛模様と株取引は分かちがたく結びつき、双方向に表象し合うのだが、余計にややこしいのが、一人の人間が投機の対象でもあり、賭け金であり、プレイヤーでもあるような状況だろう。結末部分の大団円に至る展開も、ヒロインニコルが単なる投機の対象や賭け金ではなく、プレイヤーでもあったこと、そしてそれを一部の主要登場人物が全く知らなかったことによって可能になる。
さて…、アルノーの「憑き物が落ち」、田舎に引きこもることを決める場面。財産処分に関し「衣装はお袋さんに仕舞っといて貰え」と言われたニコルは、株取引をやめればオペラなど行かないから、「売っちゃえばいいよ」(228頁)と言う。けれども結末部分でアルノーを救い出すために出かけるニコルは、「薄い青林檎色の衣装と侯爵夫人の靴」(284頁)を出させる。彼女はすべての衣装を売り払ったわけではなかったのだ。
「侯爵夫人の靴」は、ニコルのために故買屋(ニコルの実家)のお内儀からアルノーが貰い受けてきたもので、「寸法も判ってるみたいだね。男のくれる靴なんて、がぶがぶかきつきつか、どっちかなんだけどね」(26頁)とお内儀から感心されたもの。ニコルが履いて実家に衣装をおねだりに行ったことで、アルノーとの関係がルノーダンにバレてしまう。衣装は、靴に合うものをとニコルがカトルメールにおねだりしたもの。「大使夫人が頼んだけど取り止めにした衣装」で、「ぴったりだった」(53頁)、はじめてオペラに行ったときの組み合わせだ。これ以後、彼女はたくさんの衣装を着、靴を履くが、それは全て彼女のために誂えられたものであり、「侯爵夫人の靴」と「薄い青林檎色の衣装」だけが、彼女以外の人間のために仕立てられた衣装だった。それを売らずに残していたことに注目しよう。考えてみれば故買屋も、追い剥ぎも、他人の人生を引き受け、あるいは剥ぎとって、別の人に引き渡す仕事だと言えなくもない。
ぴったりだった衣装と靴は、結末部分では妊娠のために、衣装は「まだ直さなくてもどうにか着られる」が、靴は「少しきつい」(284頁)。結末部分でニコルとアルノーはイギリス行きのことを考えるから、「大使夫人」のような人生を、まだニコルは送る可能性があるのだろう。一方で「侯爵夫人」のような人生は、もう時効をきたしている。いかにもヒロイン然とした、賢く可愛いニコルのむくんだ足は、妊娠のために、物語から少しずつ、抜け出し始めているのだろう。
講談社、2012年。
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そろそろお昼ごはんを食べて、仕事に行く準備をしなくちゃいけないから、この辺で。もうちょっと書きたいことがあったような気もするので、後から直すかもしれません。→ちょっと手直ししました(4月10日21時頃)。
本当は論文書き書きとか、学会発表するかどうか今週中くらいには決めたほうがいいのでどうするか判断する(25~30分程度の発表で着地できそうな範囲を見計らう)とか、したかったんですが。
あれ…?