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けじめ無!NHK日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし

2013年05月03日 | 専横⇒特権.権威,信頼,有形力には敵わ無い

:「罪刑法定主義」⇒後出しジャンケン⇒平和に対する罪⇒「絞首刑」

国際軍事裁判所憲章(こくさいぐんじさいばんしょけんしょう)とは、第二次世界大戦中の枢軸国戦争犯罪を裁くための

国際軍事裁判所の構成や役割を規定した憲章で、1945年★8月8日、英米仏ソ四ヵ国がロンドンで調印した。

日本では国際軍事裁判所条例ともよばれ、一般に大日本帝国の戦争犯罪を裁くための★1946年1月19日に発効された極東国際軍事裁判所条例を含む。

:敗戦職責大将「賞有 ⇔罰無!」⇒軍人恩給(負ける前の)830万円⇒二等兵へ(80万円)人事考課希求!

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   日本海軍 400時間の証言 2009年8月10日(月) 午後10時00分~10時59分 総合テレビ

★≫日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし

太平洋戦争の★開戦の鍵を握った大日本帝国海軍・軍令部。

全ての基本作戦の立案・指導にあたり、絶大な権力を持った★『軍令部』の実態は、資料が殆どなくこれまで闇に包まれていた。

「海軍反省会」。戦後35年が経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合である。

70~80代になっていた彼らは、★生存中は絶対非公開を条件に、

開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなどを400時間にわたって仲間内で語っていた。戦争を避けるべきだと考えながら、

★組織に生きる人間として「戦争回避」とは言いだせなくなっていく空気までも生々しく伝えている。

太平洋戦争で亡くなった日本人はおよそ★300万人。アジアでは更に多くの人命が失われた。

当時の日本のエリートたちはなぜ開戦を決意したのか。
彼らが残した教訓とは何か。シリーズ第一回は太平洋戦争に突入していく経緯を当事者の証言から浮かび上がらせる。


★≫日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙

人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”。これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に、組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語る。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたことを証言する。

海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は★5千人以上。そのほとんどは20代の若者たちだった。

過ちと分かりながらなぜ当事者は「特攻」を推し進めていったのか。反省会の議論から「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りにする。

≫日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争

戦後行われた極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判。戦争指導者として文官一人、陸軍関係者6人が絞首刑となったが、海軍関係者の被告は終身刑。その後釈放された。

「海軍反省会」では、海軍という組織を守るため、水面下で海軍トップの裁判★対策を組織的に行っていた事実を詳細に語っている。勝者の裁きに対抗するため彼らが行った活動とはどのようなものだったのか。

海軍が解体された直後に出来た組織、★【第二復員省】。

海軍の頭脳と言われた軍令部の参謀の多くが戦後ここで裁判対策を担った。戦争の責任に海軍の中枢にいたエリートたちはどのように向き合ったのか。

反省会で交わされた当事者たちの議論を通して、「戦争責任」とは何か、「歴史」とどう向き合うかを考える。

≫日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし
≫日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
≫日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争


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