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Civic duty 国民の義務 憲法30条納税
刑事訴訟法第239条
1、何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
2、(:公務員)官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。
◆マルティン・ニーメラー(1892―1984)の言葉として知られるものは、米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』(『彼ら ...★ 発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な★格言
せきにんかん【責任感】自分の仕事・行為についての責任を重んずる気持。Sense of responsibility
しめい‐かん【使命感】自分に課せられた任務を果たそうとする気概。Sense of mission
mission impossible 名詞 極めて危険で難しい任務
4月7日沖縄へ海上特⇒坊ノ岬沖海戦⇒戦艦大和⇒鹿児島県坊ノ岬沖で沈没!
【日本軍】陸軍将校 階級別の給料一覧【俸給】
◆【戦前用語の基礎知識】★金鵄勲章(きんしくんしょう)とは【終身年金】
前回、日本陸軍将校の退職後の収入について書きました。 oplern.hatenablog.com 軍退職後に再就職する割合は低く、多くの者は恩給による収入で暮らしていたようです。恩給額は、退職時階級と在職年数により異なるのですが、前回は一応のモデルケースとして大尉から大将までの恩給額の例を挙げてみました。 今回記事は、前… 2019-03-23 20:12
◆https://oplern.hatenablog.com/entry/2019/02/24/020012
◆【大日本帝国】日本海軍艦艇の建造費 その1【空母・巡洋艦・駆逐艦】
https://oplern.hatenablog.com/entry/2019/03/30/010732
1941年7月19日調整の「5計画艦艇製造費予算表」によると、製造中止となった大和型戦艦の建造費は2億8153万6000円、現代換算額★2861億8022万2980円です。
2007年に竣工した海自のイージス護衛艦「あたご」は1475億円でしたので、大和型戦艦はイージス艦★2隻分に相当したわけですね。
◆国家予算の26%をつぎ込んだ「人造石油」計画 | リーダーシップ ...https://toyokeizai.net › ... › 国家予算の26%をつぎ込んだ「人造石油」計画2017/08/30
- 日本の国家予算が29億円、戦艦「大和」の建造費が1億4000万円前後の時代の7億7000万円は、相当な金額ですね。 ... 三田:私の漫画では戦艦「大和」の建造費が高すぎる、と大いにもめていますが、それどころの騒ぎじゃないですね。
◆戦艦大和の建造費は★国家予算の4%強、撃墜した米軍機3機の ...https://blog.goo.ne.jp › gooniseko
★沖縄海上特攻の途中、米艦載機の猛攻撃を受け、★鹿児島県坊ノ岬沖で沈没した。乗組員3332人のうち、生還者は276人。(:岩出市在住者有り)
◆<蟋蟀よ 嵐の夜にも鳴け> ― 東京新聞の覚悟2019年 9月 10日http://chikyuza.net/archives/96912
<澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士>
昨日(9月8日)の東京新聞社説の表題は、「桐生悠々と言論の覚悟」である。桐生悠々を論じつつ、言論人としての自らの覚悟を語って格調が高い。その覚悟に敬意を表したい。それにしても、である。いつの間にやら、言論に覚悟を必要とする時代が再来してごとくの不気味さが感じられる。
その全文は、下記URLで読むことができる。
https://www.tokyo-p.co.jp/article/column/editorial/CK2019090802000159.html
桐生悠々は、1933年8月に信濃毎日新聞の論説主幹として「★関東防空大演習をワラウ・嗤ふ」を執筆し、これが軍部の逆鱗に触れて同社を追われる。しかし彼は、その後も名古屋に拠点を移し、個人誌「★他山の石」に拠って軍部や政権を厳しく★批判する言論活動を続けたという。東京新聞社説はその「他山の石」に、悠々はこう書いていると紹介している。
悠々は「他山の石」に「言いたいこと」と「言わねばならないこと」は区別すべきだとして「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「★義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。
悠々にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だったのです。
正宗(白鳥)が言う「いかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した」悠々の命懸けの言論は戦争への流れの中では顧みられることはありませんでしたが、戦後再評価され、今では私たち言論、報道活動に携わる者にとって進むべき方向を指し示す、極北に輝く星のような存在です。
<蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>
悠々のこの句作が世に出た35(昭和10)年は、31(昭和6)年の満州事変、32年の五・一五事件、33年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌36年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます。
もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行です。
来る10日は悠々の没後78年の命日です。大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います。
その言や大いに良し。権力や権威への無難な忖度か、弱い立場のものをあげつらって批判する論調溢れる中で、東京新聞はこう自らを戒めている。「私たちの新聞は嵐の中でも蟋蟀のように鳴き続けなければなりません」「それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行なのです」「大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います」と。つまりは、「多くの場合犠牲を伴う」ことを覚悟した言論人の義務履行の決意を述べているのだ。
言うまでもなく、言論の自由とは、権力や強者や社会の多数派を批判する言論が抑制されることなく自由であることを意味する。権力や強者や社会の多数派に耳の痛い、内容の言論である。その表現が、権力や強者や社会の多数派から疎まれ憎まれる類の言論。「多くの場合犠牲を伴う」ことになる言論である。悠々の言葉を借りるなら、このような「言わねばならぬこと」「多くの場合犠牲を伴う」ことを、犠牲の心配なく、躊躇も萎縮もなく、言えることの保障が必要なのだ。嵐の夜に鳴き続ける蟋蟀は貴重な存在である。いかなる嵐が吹こうとも、いかに小さな蟋蟀であろうとも、その鳴き声を途絶えさせてはならない。
悠々には、正宗白鳥をして、「彼(悠々)はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した世に稀れな人のやうに、私には感銘された。」と言わしめた覚悟のほどがあった。嵐の夜に鳴き続けた蟋蟀として、その生涯を貫いた悠々の姿勢は尊敬に値する。
しかし、今大切なのは、一人の大悠々ではなく、無数のミニ悠々ではないだろうか。何としても嵐を防止しなければならない。一匹の蟋蟀では無理でも、無数の蟋蟀の大きな鳴き声は嵐を押し返すことができるのではないか。私も、悠々ほどの覚悟はないにせよ、ミニ悠々の一人になりたい。
また、どんなときにも萎縮することなく、セミもマツムシも蟋蟀も鳴き続けることのできる社会を作ることはできないだろうか。誰もが、自分なりの音色で鳴き続けることを当然とし、認め合う社会。それは、すだく虫の音色を止める嵐のない,居心地のよい社会なのだと思う。
(2019年9月9日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.9.9より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=13309
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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