表千家一期一会

堀内宗心『私の茶の湯考』より①


堀内宗心『私の茶の湯考』世界文化社
          
「第1章 茶道について考えること」より抜粋

(p13-14)
お茶を含めて、人を指導するということは
ひとつの菩薩道であります。

つねに相手と同じ高さまで身を落として、
すなわち身を低めて、そうして
人を引き上げるということであります。

荷物の集配所で働いているリフトのように、
その人のところへ走っていって、
荷物と同じ高さまで支台を下げて
荷物を持ち上げて
目的地に持っていくのであります。



(p15)
わび茶の三原則について

一、道具はもちろん、花や料理にいたるまで、
心を込めるべき、主となるものは一つに絞ること、

一、礼儀を正しくすること、

一、茶人はいかにあるべきか、という自覚をもつこと、



(p16)
使用目的を優先しないと茶器としての意義はないのであります。
茶器に限らず、建築の場合、すなわち茶室について
必ずしも茶人の作意が先にたつのではなくて
必要に迫られた条件によってこれに適合するための
工夫と努力から茶室は創り出されるということであります。



(p21)
道具一種のわび茶について

これというものが一つあれば
お茶ができるという考え方です

作為は作りだしていくものではなくて
場に臨んで必要から生まれてくる、
そうせんでもいいものを無理につくるというのでなく
自然に出てくるというのが
ほんとうの作為であると思います。



(p22)
季節感について

季節があってええんです。ええんですけども...
私はもっと自由に使ってええんやないかと思うんです。...
むしろ集中すべきなのは直心の交わりで
客と自分の対決であって
季節というのはおのずからのものだと、私は言うんです。



(p23)
わび茶と主客の対決について

対決は対決なんで喧嘩する意味の対決ではない。
相対することなんですね。
別になんの飾り気もなく人と人がふれあうと。
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