人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第178回 『和光同塵』(老子)

2025年02月18日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第178回

『和光同塵(わこうどうじん)』(老子)


老子の「無源第四」の中に出てくる言葉になります。

「其の光を和(やわ)らげ、其の塵(ちり)に同ず」

 

老子は、私たちが日頃「良いもの」とされている高い能力や優れた才能、

社会的な地位などが、必ずしも人生の幸せには直結しないと説いています。

むしろ、それらが時として競争心や争いの種となり、

心穏やかに過ごす妨げになることもあるよ、語りかけてくれているのです。


確かに、私たち誰もが持っている『認められたい』『褒められたい』という願望、

これ自体は自然な感情ですが、この思いが強くなりすぎると、

かえって心を乱す原因となってしまいます。

老子は、そんな人間の本質を深く理解した上で、

穏やかに諭してくれているように感じます。

なんだか、心に染み入りますね。。。

 

光を和らげ、塵のように目立たない存在となる。

しかしそれは決して自己否定ではなく、むしろ内なる豊かさと

静かな喜びを育む生き方なのかもしれません。

日々の暮らしの中で、控えめに、でも確かな満足感を持って生きていく。

そんな穏やかな生き方を、私も心掛けていきたいと思います。


参考文献
『老子道徳経講義』田口佳史著 致知出版社

 

 

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第177回 『建国記念の日』(日本)

2025年02月11日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第177回

『建国記念の日』(日本)


「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の下に、

国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、

更なる国の発展を願う国民の祝祭日ということになっています。


初代天皇である神武天皇が紀元前660年2月11日に即位したとされるため、

この日を日本の建国としています。

神武天皇の即位を紀元とする皇紀では、2025年は皇紀2685年となります。

日本は現存する世界最古の国です。2685年にわたって皇統で王権をつないできた

世界唯一の単一王朝国家となります。

神武天皇は、この建国の際に、理念として下記のような言葉で表現しました。


「八紘一宇(はっこういちう)」


意味合いとしては、

「すべての世界の人々は、ひとつ屋根の下の家族である」という意味になります。

まさに、この天の思いを地上に表すための理念であり、国が乱れた時には

この理念に立ち返ることで、私たちの先輩は日本を守り支えてきてくださったのです。


私は学生時代、恥ずかしながら日本の歴史や伝統文化について、

あまり深く考えることなく過ごしてきました。


しかし、大人になってから古事記や日本書紀、

そしてさまざまな歴史や思想を学んでいく中で、先人たちの想いや知恵に触れ、


その精神性の奥深さに心を打たれる経験を重ねてきました。

まだ学ぶべきことは数多くありますが、日本の伝統的な叡智や精神文化を理解することは、

現代を生きる私たちにも大きな気づきを与えてくれます。

これからも学びを深めながら、その知恵を活かして、

世界の平和と幸せに少しでも貢献していけたらと願っています。



参考文献
『清く美しい流れ』田口佳史著 PHP研究所
『あなたに知らせたい日本という希望』赤塚高仁著 きれい・ねっと
『世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』小名木善行著 徳間書店

 


寒川神社

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第176回 『懺悔(ざんげ)』(仏教)

2025年02月04日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第176回

『懺悔(ざんげ)』(仏教)

私たちが仏様に手を合わせる時、最初に唱える大切な言葉があります。

それが「懺悔文」です。



我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
(がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆーむしとんじんち)

従身語意之所生 一切我今皆懴悔
(じゅうしんごいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)


この言葉を現代の私たちの言葉に置き換えると

「私はこれまでの人生で、さまざまな過ちを重ねてきました。

それらはみな、私の前生(ぜんしょう、生まれる前)からもっていた、

『私の心に宿る三つの毒『貪り(むさぼり)の心』『怒りの心』『愚痴の心』

から生まれたものです。

これらの毒が、私の心を曇らせ、不適切な言葉を発し、誤った行動を取らせてきました。

今、ここに立ち、過去のすべての過ちを深く反省し、心から懺悔いたします。」


参考:第24回 「貪瞋癡」(仏教)


懺悔というとネガティブに感じる方もいるかもしれませんが

自分の過ちを素直に認め、
より良い未来へ向かう決意の表れと

捉えることが出来るのではないでしょうか


仏教が教えてくれる深い反省と成長の道である懺悔の心を忘れずに、

少しでも、社会のお役に立てれるよう、

これからも、
日々懺悔しながら精進していきたいと思っています。

 

 


帝釈天 題経寺

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第175回 『一期一会(いちごいちえ)』(仏教)

2025年01月28日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】


第175回

『一期一会(いちごいちえ)』(仏教)


私たちの日常会話に深く根付いている「一期一会」という言葉。

聞き慣れた言葉でありながら、その深い意味や由来については

意外と知られていないかもしれません。


この言葉の成り立ちを紐解いていくと、興味深い発見があります。

「一期」は仏教用語で「一生」を、「一会」は「一つの集まり」を意味します。

ただし面白いことに、「一期一会」という言葉自体は仏典には登場しません。

実は、この言葉の源流は茶道の世界にありました。

茶聖・千利休の弟子である山上宗二が著した『茶湯者覚悟十体』の中で、

次のように説いています。


「そもそも茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへば、

幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、

実に我一世一度の会なり、さるにより、主人は万事に心を配り、

いささかも粗末なきやう、親切、実意を尽くし、

客も次の会まで逢ひ難きをわきまへ、亭主の趣向はひとつもおろそかならぬを感心し、

実意をもって交るべきなり、これを一期一会といふ」

(茶会の出会いは一期一会である。たとえ何度も同じ主人と客が会うとしても、今日のこの時間は二度と戻ってこない。だからこそ、主人は細部まで心を配り、誠意を尽くす。客もまた、次の機会までに会えないかもしれないと心得て、主人の心遣いに感謝し、真心を持って交わるべきである)

この精神は、茶道の世界を超えて、現代の私たちの生活にも大きな示唆を与えてくれます。

人との出会いや関わりの一瞬一瞬を、かけがえのない機会として大切にする・・・

この心構えは、忙しい現代社会だからこそ、より一層その価値を増しているように思えます。

日本人なら誰もが一度は耳にしたことのある「一期一会」。

この機会に、その本質的な意味をあらためて見つめ直し、

日々の出会いや関わりを、より大切に、より深く味わっていきたいと感じました。



参考文献
『暮らしに生きる仏教語辞典』山下民城編 国書刊行会

 


大磯 六所神社

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第174回『大難を小難に、小難を無難に』(仏教)

2025年01月21日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第174回

『大難を小難に、小難を無難に』(仏教)


この世を生きる上では、大なり小なり様々な難儀なことに出逢い、

その体験、経験をするのが人生なのかもしれません。

その難儀な事が、おかげさまで、様々な偶然や奇跡によって

助けられたことは、皆様も多々あることだと思います。

それは、ご先祖さまや、目に見えない大いなる力が、私たちを支えているのかもしれない

ということを
表現したのが、今回の言葉になります。


この言葉は、仏教にも神道に通じるものがあり、

すべての存在が持つ「いのち」の繋がりを感じさせてくれます。

「今回は無事で良かった」と私たちが何気なく口にする言葉の裏には、

実は大きな災いが小さな困難へと変わり、さらにそれが無事に収まったという

深い感謝の念が込められているのです。

 

先日お話しした「おかげさまで」という言葉同様、今回の言葉も

私たちの生きる世界が見えない恩恵と慈悲に満ちていることを教えてくれます。

あらためて、この言葉の持つ深い意味に心打たれる思いです。




参考文献
『よくわかる観音経のすべて』大栗道榮 日本文芸社

 

 

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