人生をひらく東洋思想からの伝言

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第91回「啓蒙(けいもう)という言葉の由来」(易経)

2023年06月19日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第91回

「啓蒙(けいもう)という言葉の由来」(易経)


易経は、占いの書物として見られることが多いですが、

古代中国の君主がこぞって学んだ帝王学の書でもあります。

その背景や理由としては、「君子占わず」という言葉からもあるように、

この易経を学ぶと占わずして時の変化の兆しを察する洞察力、

直観力を身につけることができるからと言われています。

元々、言葉の由来や、成り立ちの背景などを調べるのが好きでしたが、

「啓蒙」という言葉を意識していたら、易経にその語源があるということが分かったので、

今回ご紹介させていただきます。


今回ご紹介する言葉は、「山水蒙(さんすいもう)」という卦(か)からの引用で、

啓蒙、教育の基本姿勢を説いています。


「我(われ)より、童蒙(どうもう)に求むるにあらず。童蒙より、我に求む。」


「我」とは、教える立場、師の立場。「童蒙」とは、学ぶ側の立場をさしています。

一般的には、啓蒙という言葉を辞書で調べると、

「無知な者に知識を与えること」とあります。

ただ、言葉の背景からみていくと、本来の意味として、

啓蒙は、師の方から「教えるから学んでくれ」というのではなく、

学ぶ側から「知りたい、学びたい」と教えを求めることから始まるということであります。

学ぶ側の一心の求めに対して、師も真摯に応えることで、

お互いに相乗効果や共鳴がおきるということがわかります。

学びたい、知りたい、良くなりたいという求める時に、

蒙(もう)は初めて啓(ひら)けるということでしょうか。

逆にそのような出会いから、師である教える側も

沢山の気づきや学びを得られるようにも感じますし、


お互いに学びを深め合える関係が生まれるように感じます。

現代は、ある意味で情報が過多になり、このようにお互いに響き合うような出会いや、

場の設定が難しい一面もあるかもしれません。

だからこそ、本質を求める気持ちを 私自身も大切しながら、

このような気持ちを真摯に持ち合わせながら、

常に謙虚に学びを求め、深めていきたいと思いました。


参考文献
『易経一日一言』 竹村亞希子著 致知出版社

 

 

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