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(2010.12.7)
第3回目、最終回である。今回は協働事業を提案するというテーマとなった。
あらためて感じたことであるが、①協働事業とは、市民の力と行政の力を合わせて、1+1が3になるという事業はそうはたくさんはないということである。②協働事業は行政の責任領域内の事業であるので、市民の出番は、どうしても補完的になり、下請けになりやすいということだろう。③協働「事業」ということで、事業出なければダメということになりやすいが、むしろ市民に期待すべきは、知識、経験、知恵の部分である。協働研究のようなものが、可能性が広いと思うが、これではなかなか採用されない。
自治会、町内会等の地域コミュニティの問題がいつも根っこにある。数年前までは、自治会、町内会といえば「フン」と軽くあしらわれていたが、その重要性が、近年、認識されるようになった。今回も、どこのグループからも出ていた。弱点はあるが、それをどのように乗り越えるかが大事だと思う。自治会を市民主権の仕組みのひとつとする案などを紹介したが、こうしとを協働研究すれば、面白いことになるのではないか。
いずれにしても、3ヶ月にわたる研究会となったが、担当するSさんをはじめ、ごくろうさまでした。
(2010.11.9)
第2回目の会議があった。今回は、協働の意義と限界を考えてもらったうえで、パネルディスカッションとなった。
市民活動の立場からと公民館の活動からのお二人である。
市民活動のほうは、行政提案型の協働事業であるが、担当するSさんが、もと行政職員だったということもあり、ねばり強く、行政との溝を埋めていったようだ。行政も、こうした活動をつぶすことのないように、大事に育ってていこうという配慮が欠かせない。
公民館は、近年、館毎に力量、存在意義の違いが顕著になってきた。要するに、頑張っている公民館とそうでない公民館の差が目立つようになったのである。公民館が作られた時代とは、大きく時代状況が異なっている中で、どれだけ地域性、社会性を活動の中に取り入れることができるかで、「いる、いらない」が問われてくる。引き続き、頑張ってもらいたいと思う。
会場からも、意見がたくさん出た。もともと意識の高い人が集まっているので、いい議論賀たくさん出たが、この輪を少しでも広げることになるとよいと思う。
会場からコミュニティカフェをめぐって質問が出たが、パネラーそれぞれが、知っている実践例を報告して、質問者に誠実に答えるという場面もあり、後味のよいフォーラムとなった。私は、土曜に行った尾張一宮の「三八や」の事例を紹介した。
帰りがけに、参加者の方から、近くの農園で摘んだというバラをいただいた。新聞紙に包んだバラは、何気ないところが、いい感じだった。連れ合いも、とても喜んでいた。この会は、3回連続で、12月にあと1回行う。
(2010.10.5)
平塚といえば、かつて私も所属する研究会があり、しばしば通っていたところである。もう30年以上も前のことである。今回は、市民による自治の勉強会に出席した。テーマは協働。ご縁があったSさんのお誘いで出席することになった。
全体の2時間のうち、前半は協働の基礎を話して、後半は質問になった。この質問が面白かった。レベルが高かったということである。
たとえば、協働事業は、行政がフォローできない、穴ぼこ、隙間のような部分で行われるが、それを担う人がなかなかいない。とりわけ、市民活動の担い手が少ない地方の場合は、その悩みが大きいが、どうすれば、こうした問題意識を持ち、さらに実践する市民が増えてくるのか?
決定打にはならないが、人を自治(まちづくり)に巻き込む仕組みを試みるのではないか。プラーヌンクスツェレもそのひとつで、新しい人を掘り起こす手段となる。こうした仕組みをたくさん開発することではないか。ヒットを重ねるということだろう。
市民といっても、さまざまで、こうした市民を統合し、あるいは市民全体の意見としていくにはどうしたらよいのか?
これも難しい。たしかに市民といっても、いろいろである。私の試みのひとつは、市民が町に出て、市民の意見を聴くなかで、市民自身が鍛えられ、市民意見をブラッシュアップするのもひとつではないかと考えている。市民PIであるが、これも大いに工夫ができるだろう。
その他、難しい質問ばかりで、当然ながら、すきっとした答えはないけれども、あちこちで実践している難問の解決策(試行錯誤)についても、経験や知識を持ち寄り、それを共有財産として、使っていくなかで、さらに磨きをかけていくことだろう。
あと2回、勉強会をやることになっている。次は協働事業を意義と限界を考えてみよう。
今回は、東海道線が事故で遅れたため、夕飯は、立ち食いそばとなった。それもよし。
第3回目、最終回である。今回は協働事業を提案するというテーマとなった。
あらためて感じたことであるが、①協働事業とは、市民の力と行政の力を合わせて、1+1が3になるという事業はそうはたくさんはないということである。②協働事業は行政の責任領域内の事業であるので、市民の出番は、どうしても補完的になり、下請けになりやすいということだろう。③協働「事業」ということで、事業出なければダメということになりやすいが、むしろ市民に期待すべきは、知識、経験、知恵の部分である。協働研究のようなものが、可能性が広いと思うが、これではなかなか採用されない。
自治会、町内会等の地域コミュニティの問題がいつも根っこにある。数年前までは、自治会、町内会といえば「フン」と軽くあしらわれていたが、その重要性が、近年、認識されるようになった。今回も、どこのグループからも出ていた。弱点はあるが、それをどのように乗り越えるかが大事だと思う。自治会を市民主権の仕組みのひとつとする案などを紹介したが、こうしとを協働研究すれば、面白いことになるのではないか。
いずれにしても、3ヶ月にわたる研究会となったが、担当するSさんをはじめ、ごくろうさまでした。
(2010.11.9)
第2回目の会議があった。今回は、協働の意義と限界を考えてもらったうえで、パネルディスカッションとなった。
市民活動の立場からと公民館の活動からのお二人である。
市民活動のほうは、行政提案型の協働事業であるが、担当するSさんが、もと行政職員だったということもあり、ねばり強く、行政との溝を埋めていったようだ。行政も、こうした活動をつぶすことのないように、大事に育ってていこうという配慮が欠かせない。
公民館は、近年、館毎に力量、存在意義の違いが顕著になってきた。要するに、頑張っている公民館とそうでない公民館の差が目立つようになったのである。公民館が作られた時代とは、大きく時代状況が異なっている中で、どれだけ地域性、社会性を活動の中に取り入れることができるかで、「いる、いらない」が問われてくる。引き続き、頑張ってもらいたいと思う。
会場からも、意見がたくさん出た。もともと意識の高い人が集まっているので、いい議論賀たくさん出たが、この輪を少しでも広げることになるとよいと思う。
会場からコミュニティカフェをめぐって質問が出たが、パネラーそれぞれが、知っている実践例を報告して、質問者に誠実に答えるという場面もあり、後味のよいフォーラムとなった。私は、土曜に行った尾張一宮の「三八や」の事例を紹介した。
帰りがけに、参加者の方から、近くの農園で摘んだというバラをいただいた。新聞紙に包んだバラは、何気ないところが、いい感じだった。連れ合いも、とても喜んでいた。この会は、3回連続で、12月にあと1回行う。
(2010.10.5)
平塚といえば、かつて私も所属する研究会があり、しばしば通っていたところである。もう30年以上も前のことである。今回は、市民による自治の勉強会に出席した。テーマは協働。ご縁があったSさんのお誘いで出席することになった。
全体の2時間のうち、前半は協働の基礎を話して、後半は質問になった。この質問が面白かった。レベルが高かったということである。
たとえば、協働事業は、行政がフォローできない、穴ぼこ、隙間のような部分で行われるが、それを担う人がなかなかいない。とりわけ、市民活動の担い手が少ない地方の場合は、その悩みが大きいが、どうすれば、こうした問題意識を持ち、さらに実践する市民が増えてくるのか?
決定打にはならないが、人を自治(まちづくり)に巻き込む仕組みを試みるのではないか。プラーヌンクスツェレもそのひとつで、新しい人を掘り起こす手段となる。こうした仕組みをたくさん開発することではないか。ヒットを重ねるということだろう。
市民といっても、さまざまで、こうした市民を統合し、あるいは市民全体の意見としていくにはどうしたらよいのか?
これも難しい。たしかに市民といっても、いろいろである。私の試みのひとつは、市民が町に出て、市民の意見を聴くなかで、市民自身が鍛えられ、市民意見をブラッシュアップするのもひとつではないかと考えている。市民PIであるが、これも大いに工夫ができるだろう。
その他、難しい質問ばかりで、当然ながら、すきっとした答えはないけれども、あちこちで実践している難問の解決策(試行錯誤)についても、経験や知識を持ち寄り、それを共有財産として、使っていくなかで、さらに磨きをかけていくことだろう。
あと2回、勉強会をやることになっている。次は協働事業を意義と限界を考えてみよう。
今回は、東海道線が事故で遅れたため、夕飯は、立ち食いそばとなった。それもよし。
職員の立場からは、地公法の改正や、挑戦に寛容な?多様性を許容する?意識の広がりについて考えています。
地域活動の立場からは、市民を自治に巻き込んでいく一つの方法として、小学校区での地域自治に取り組んでいます。
次回も楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、気になっていたのですが、直接お聞きできなかったことがあります。行政とは何なのか?ということです。
今日も、市民活動団体の方から「難しい問題だから行政に仕切ってもらおう」とか、「意見が分かれたから行政に一任」とか、言われてしまいました。
でも、行政はそんな力を持っているのでしょうか。持ってよいのでしょうか。
そもそも行政は、社会を運営していくための「道具」だったのではないか。その道具の末端の職員に、細かな問題まで仕切られしまっては、本末転倒ではないか。そんなことを考えています。
「お上意識」は、市民にも蔓延しているのではないかと思ったりしています。
日曜の夜に愚痴ってしまってスイマセンでした。
住民自治には、いくつかの考え方がありますが、教科書に書いてある住民自治は、住民が地方政府を統制するということです。それももちろん大事ですが、私の問題意識は、それを担う住民の市民性です。現場にいるとすぐに分かりますが、統制する主体の市民自身が、ふらふらしてしまっているということです。だから、それが容易に行政への依存に転換します。それゆえ、今、行政(職員)すべきことは、住民自治の本来の意味である、市民が主体的に考え、行動するという原点に戻って、一緒に試行錯誤をしていくことだと思います。たしかに実践の場面では、うれしかったり、がっかりしたりの繰り返しでしょうが、でも、そこから、まさに一緒にやっていくしか、自治の活路は開けないでしょうね。これが私の自治体職員+研究者+NPOとしての体験ですね。
新年早々、パチッとは決まりませんが、それが自治というものでしょうね。