松下啓一 自治・政策・まちづくり

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上司との距離②

2005-08-25 | 4.政策現場の舞台裏
 よい政策をつくるコツの第一は、上司とのコンビネーションのよさである。これが悪ければ、話を上にあげていく段階で疲れ果てて、政策どころではなくなってしまう。
 この上司との距離感は、うまく説明できないが、双方の個性・能力との相関に規定されることになる。

 私がK部に異動したのは、その年の9月に条例化することは、すでに議会答弁済みなのに、いまだに作業が一向に進んでいないと6月1日であった。直属の上司は、この局、生え抜きのホープの中川部長であったが、技術職ということもあって、はじめての条例化という仕事に戸惑っていた。
 この場合の役割分担は、内容は私がツメ、局内のオーソライズは、部長が担当するという役割になる。
 何せ、私は新参者であるから、所詮、腹を割った調整はできない。私の潜在調整能力では、難しい点は残ってしまう。私とすると、かなり思い切った原案をつくり、多少の切りしろを残して、部長にバトンタッチするというのがもっとも適切な役割分担になるからである。これはまた別の機会に論じるが、実際、時間がないなかで条例づくりは、昼夜の区別がなくなり、寝ながら条例の中身を考えるという日を過ごすことになり、気力・体力ともに極限に達し、厳しい調整の余力は残らないからである。

 さて、ここからが、エピソードである。
 部長は、私の異動後、数日して、さしたる指示もなく、翌年わが都市で開かれる国際会議の準備にヨーロッパへ出かけてしまったのである。内容のツメは私の役割という鮮やかな役割分担といえば言えなくないが、ともかく残された私はがんばらなければいけない。
 2週間後、日本に戻ってきたので、早速、到達点を報告すると、「いいねえ。もうひとがんばり頼むよ」。「実は来週から、インドネシアで学会報告があるから1週間ほど出かけてくるよ」・・・。
 その出張から帰ってくるころには、原案が出来上がり、やはり残ってしまった難しい調整は部長へバトンタッチしたのである。
 しかし、そこは、局のホープであるから、切りしろをほとんど切らずに、調整しきったのは見事であった。

 翌年、今度は私がドイツへ調査に行くことになるが、それはこの部長の配慮であり、ドイツの自治体で、歓待を受けることになったのも部長の手配の結果である。むろん、調査は3日間ほどで終わってしまい、なぜか北欧のフィヨルドにいたり、南ドイツの町を当てもなく泊まり歩くという「調査」が許されたのも、牧歌的な時代であったといえばそれまでであるが、部長の寛容のおかげであったのだろう。

 中川さんは、その後、病をえて今の私よりも若い年齢で亡くなるが、病床で「松下さんとの仕事が一番面白かった」と、何度もいってくれたことが、生涯忘れることのできない思い出となったのである。
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