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次の本は、『励ます地方自治』(萌書房)である。本格的な地方自治論の、まずはラフデザインというところかだろうか(ちょっと大げさか)
これまでの地方自治は、住民と自治体との関係を対立的に捉え、住民が自治体政府を疑い、監視するものとされてきた。たしかに地方自治体といえども国家権力の一部で、地方自治を司る役所も権力的な存在であると考えるからである。
しかし、それだけでは地方自治の実態を十分に捉えることはできない。実際、地方自治は、もっとしなやかで、温かなものだからである。疑いや監視、さらには猜疑や中傷が渦巻く地方自治は、惨めで寂しいではないか。
私たちの暮らしを豊かなものにしていくには、単に行政や議会を監視し、文句をいうだけでなく、行政や議員・議会を励まし、行政や議員が存分に力を発揮できるようにすることも必要ではないか。そんな提案をこの本にまとめてみた。
監視の地方自治ではなく励ます地方自治を考たのは、想像の共同体(ベネディクト・アンダーソン)である国とは違って、地方自治体は人々の暮らしを基にする現実の共同体だからである。暮らしの中から考えれば、人は一人では暮らせないというは当たり前で、一人では暮らせないゆえに、他者のことにも思いを馳せ、その言い分もじっくり聞き、励ますことが大事になるからである。
アジアモンスーン地域のはずれに位置する日本では、稲作に使う水の共同管理機能を通して、連帯と協力という日本的地方自治を発達させてきた。牧畜で暮らすヨーロッパの地方自治とは違うはずだという思いもある。
難しいことはともかく、監視されれば人は決まったことしかやらないが、励まされれば、よし頑張ってやってみようと考え、120%の力を出す。地方自治の未来はきわめて厳しいなかで、わざわざ力を削ぐようなことをするのは愚の骨頂であるというのが、実践的な理由である。
オーソドックスな地方自治論からは大きく外れるが、ともかく、こんな自治論を書いてみた。これからは、しばらくは熟成期間。本を書き上げた直後は、周りが見えなくなっていることが多いから、冷静になる時間をおいて、再度、見直すのである。それによって、もう一段階、深まることもある。夏には、出すことができるだろう。
さて、次は・・・。