松下啓一 自治・政策・まちづくり

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▽アジア主義を考える(相模女子大学)

2015-10-28 | ゼミや大学のようすなど

 政治学は、「アジアと仲良くできますか」を考えている。私たちの心の奥にあるアジアを軽く見る気持ちの源流を考える講義である。この気持ちが、差別や侵略につながってきたが、それは過去のことではなく、今日も、ヘイトスピーチなどといった形で日常的に表出している。そうした気持ちをコントロールするためにも、なぜなのかを考える必要がある。ここでは、アジア主義を考えた。

 アジア主義とは何かを定義することは容易ではない。一般的には、西欧列強に対抗して、アジアの連帯を目指す考え方であるが、現実には、アジア侵略の行動原理になっている。もともとやヨーロッパやアメリカに対抗する考え方が、中国や朝鮮、さらには東南アジア侵略の理念になった点は、興味深い。

 アジア主義を論じるときは、通常は江戸時代の国学の隆盛あたりから話をする。徳川幕府によって鎖国が行われて、その分、外国の影響を受けなくなり、反面、日本文化が見直されるようになり、本居宣長などの国学などが発展する。水戸学は政治運動につながっていく。それが幕末になって、西欧諸国の圧力が日本に及ぶ中で、尊王攘夷の思想になっていく。

 ところが今回は、13世紀の元寇(蒙古襲来)から話を始めた。それまで、日本の国にとって、いわばお手本で理想の国であった中国が、日本に侵略にやってきたからである。それまで日本も信奉していた中華思想に対する疑念が生まれた事件であり、それが、時を経て、日本による中国侵略のルーツになっていると考えたからである。もちろん私の授業では、元寇における日本の武士と元の兵隊との戦いぶりを身振り、手ぶりで紹介することになる。日本の武士が、「我こそは相模の国の住人・・・」と名乗りを上げている間に、あっという間に集団で取り囲まれて、殺されてしまう話など、ここでは学生が目を輝かせる。

 第二の事件は、豊臣秀吉の朝鮮出兵である。これは豊臣秀吉が、スペインの世界支配に対抗して明を支配しようという壮大な話であるが、ここでも中華思想は傍らに追いやられる。ここで朝鮮出兵秘話などを話をすれば面白いが、この授業は、歴史ヒストリアではなく、あくまでもアジア主義の源流を考えるものなので、やめておいた。

 そして、幕末になって、西欧列強が頻繁に日本に通称を迫る。そのなかで、日本が中国にはないもの、つまり万世一系の天皇の「発見」と、その「活用」に焦点が移るが、ここでも、エピソードを交えると大変な時間になってしまうので、簡略に説明することになった。

 この授業で、本当に論じたかったのは、脱亜論と興亜論で、「俺たちはアジアでなくて欧米だ」という思想と、「アジアが連帯して欧米に対抗していこう」という思想が、結局はひとつにつながってしまって、アジア侵略となってしまった点を特に論じたかったが、結局、駆け足になってしまって、竜頭蛇尾に終わってしまった。むろんタカアンドトシの「欧米か」というツッコミを入れる余裕などは、とてもなかった。

 話している方は面白かったが、反省の必要な授業だった。

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