松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆『協働の成功法則』(水曜社)協働30年の原稿を出す

2022-03-17 | 1.研究活動
 振り返ってみると、協働30年になった。それをきちんとまとめようと考えた。

 はじめには、こんな書き出しである。

 私と協働との出合いは、1992年である。横浜市で減量・リサイクルの条例をつくることになって、そのとき、はじめて「協働」と出合った。ごみの減量・リサイクルは、行政だけではできない。市民の主体的取り組みが不可欠だからである。

 今ならば、1990年代は、日本社会の構造変化の胎動期で、協働は生まれるべくして生まれてきたと分かるが、そのときは、そこまで明確には理解できなかった。ただ、直感的に、新たな地平が開けてきたことは、よく覚えている。このあたりの経緯は、『協働が変える役所の仕事、自治の未来』(萌書房・2013年)に詳しく書いた。

 その後、協働が大きく飛躍するのは、1995年の阪神淡路大震災である。震災直後、私は神戸の街に行くが、ここで再度、「協働」で出あうことになった。そこで見たのは、地震で潰れて身動きできない行政、その神戸の街で、生き生きと活動しているNPOや自治会・町内会の人たちである。公共は、役所だけでなく、民間も担っているという現実を再確認した。

 これが協働の本意でもある。一緒に活動しているから協働ではなく、ともに公共を担っているから協働になる。英語でいえば、コラボレーションではなくて、パートナーシップが適訳である。

 協働が明確に見えたので、みんなに伝えなければと思い、私は一念発起して本を書いた。それが1998年の『自治体NPO政策―協働と支援の基本ルール』(ぎょうせい・1998年)である。この本が、韓国で翻訳されるという幸運もあった。

 阪神淡路大震災のあった1995年は、NPO元年と言われ、NPOという概念が注目された年でもある。それまで、ほそぼそと活動していたNPOに、一気に光があったときの眩しさをよく覚えている。そして、このNPOの人たちが、協働を言い始める。「NPOから見た協働」であるが、その声が強いので、自治体の協働政策は、NPOからみた協働になる。NPOの人たちの主たる関心は、行政との対等性、そして財政支援なので、協働というと委託・補助になった。

 2000年以降になると自治体の計画書に、協働という言葉が載り始める。協働の広がりであるが、それに対応して協働の意味が曖昧になっていく。協働の本意は、リサイクル条例や阪神淡路大震災のときにみた、「公共は、役所だけでなく、民間も担っている」であったはずであったが、それが忘れられ、「一緒に仲良くやる」に変わってしまう。「国語としての協働」である。

 地方自治・まちづくりで論ずべきは、政策概念としての協働である。繰り返しになるが、「公共は、役所だけでなく、民間も担っている」「公共主体のそれぞれが、存分に力を発揮すること」が協働である。

 そこから、協働は2つに分かれていく。行政と市民が同じ公共主体として、両者が一緒に活動した方が、効果的・効率的な場合(一緒にやる協働)と、一緒には活動しない(時と場所を同じくしない)方が、目標達成に有効な場合(一緒にやらない協働)である。後者の場合も、「公共を担っている」から協働である。これが政策概念としての協働である。

 まるで自分史のような書き出しであるが、本格的、体系的な協働論になったと思う。


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