私は「何でも帖」と言うノートを愛用している
何か気が付いたり、思い出したりすると、そばの「何でも帖」に、その場で書き込む。
たとえトイレに居ても、不意に「そうだ・・・」と気が付いたり、思い出す、と、忘れないために口に出して、お経の ように唱えながら自分の机に戻り「何でも帖」に一言 書き込む。
書き込む時に注意が必要だ。
それは必ず日付を書いて置くことだ。
日付がないと
「あれッ これは何を書いたのだろう?」と折角書いたことを思い出さない。
なにしろ、簡単なことでも覚えることが持続しないのだ。
まさに「落語」の「一八十の、トッキキ」だ。そうだ、今日は○○をしなくては・・・・と思っても何時の間にか忘れている。
そのような、何か、しなければと思いついたら直ぐに、そのことを書くか?
或いは即実行するかの二つだ。
ところが、である。
それを見たカミさんが
「あんた、何を書いているの?」
と聞く。
「ああ、忘れないために書き留めておくのだ」
「ダメよ!書くのはノートでなくて頭に書くの・・・」
「何を言う」
「頭に書けないからノートに書いているのだ」
「あんた、何時も“忘れた?”“忘れてた?”と言っているじゃないの?」
「それはね~ェ 書いてしまうから安心するのよ」
「安心した瞬間に忘れるのでは・・・?」
いろいろと文句が多い。
そういえば、カミさんがメモを取るのを見たことがない。
その癖、TVの番組や病院に行く日、などよく覚えている。
たまに何時もは、遅い夕食が早い時がある。
変だな~ァ?と思い
「おい、今日は、どうしたのだ?」
と聞くと
「7時から町内の役員会議だよ」
と言う。
カレンダーにも何処にも書いていない。
「へ~ェ よく覚えていられるね~?」
と感心する。
最近の「何でも帖」の書き込みに
「20世紀初期に存在した王族貴族は50数ヶ国あったが現在は27国になった」
「ある国では自分たちの手で処刑して滅亡させた王族、貴族を懐かしむ国もある」
と、書いてあった。
その中にインドを植民地にしたイギリスによるインド王族の悲惨な結末も書いてあったが、ここでは遠慮する。
それを読んだ時に我が国も明治維新のときに一歩、間違えれば、このインドと同じ運命をたどったのではないかと心に戦慄の恐怖を感じた。
世界最大、最強の国であるアメリカの方が、もっとも劣等感を感じているのは自分の国に日本の皇族やイギリスの王族のような名誉となり、国の象徴となるような方(王族、皇族等)の存在がないことだ。とも書いてあった。
韓国のノムヒョンが大統領に就任した時に日本の皇室で何の行事か忘れたが、皇室から「晩餐会」の招待を受けた。
生憎、その日は韓国の「建国記念日」と重なったのだ。
然しながらノムヒョンは躊躇わずに皇室の晩餐会に出席したものだ。
これには私も非常に驚いたものだ。
ノムヒョンが皇室の公式の晩餐会に招かれたのは多分、この一回だけであると思うが、もう参加する機会はないだろうと思う。
外務省も、それ程馬鹿は揃っていないだろうと想像するが・・・。
皇室、王族の歴史ある行事に参加することが出来ることは、ことほど、それほどに名誉のある行事なのだ。
この当時、私はブログはやっていなかったので書いていない。
また「王族、貴族を抹殺した国は乱れる」とも付記されて、その後の国がいくつか記入してあった。
カミさんに日本の皇族の存在の“よし“ ”悪し“を聞くと、
「あんなものは要らぬ」
と、あっさりと言う。
さすが北海道出身である。
「なぜ要らないのか?」
と追求すると、逆に
「あんたは何故必要か?」
と 聞き返された。
「日本人のルーツが其処にあり、日本の国の文化遺産の伝承者だ」
「言うならば世界遺産に等しい」
「日本の皇族は、もう世界に見られぬ日本人の誇りとなっているよ」
「何処かの国の、どこの馬の骨の成り上がり者とは違うよ」
「その国の将軍様がロシアで伝統ある舞踊を貴賓室から見ている時に盛んにフラッシュを焚き、ウオッカを飲み騒いでいたとか?」
真偽のほどは不明ながら、その品の無さにロシア国民も呆れたとか・・・・?
この品の無さは成り上がり者の悲哀だな。
これは、ことの真実は判らないが、さもあらんと書かずにおれない。
「何しろ品格が違う」
「これは、いかにアメリカが逆立ちをしても作れるものでないよ」
「天皇は政治には関わっているようで実際には、なにも関わっていなく、それでいて、あの終戦時の統制のとれた敗戦処理も天皇の一言で国民は従った。これは、お前も知っているだろう?」
「これが“伝統というものの歴史の重さ”だ」
珍しく私が捲くし立てたものだ。
まァ 無智の思いのなせる業(ワザ)か?
皇室、王室の無駄を言う者の、多くは小さくは自分の家の?
少し?上ならば村や町における家格の立場の無いもの?等、伝統を持たぬ者に多いと感じておる。
人それぞれ、いろいろと考えがあると思うが要は「妬み」や「嫉妬」や「詰まらぬ、やっかみ」があるのでは?
別の言い方をすれは「反骨精神」といえば納得するか?
わたしは少々異なると思っているが?
そういう私の家は単なる、そこらにある普通の家であるが・・・・。
それでも私は、ささやかながら没落したとはいえ我家の家系血筋には誇りを持っている。
別に家系図なる厳(オゴソ)かな ものはないが・・・?
つまらぬ取るに足らぬ家でも家名を傷つけることは避けたいと何時も思っている。
「人から後ろ指を指される」行いなど持っての外である。
カミさんが、いみじくも言った。
「おテントさんが見ている」
これは神様や仏様を信じぬカミさんには出来すぎた言葉だな?
「何でも帖」を見ながら、また下らぬ思いに耽った。
アホ爺である。
朝 起きた時の居間の室温は13度(午前4時)だった。
今年は未だシングルの温度になったことが無い。
さてッと、今日は何をする予定だったかな?
正面の壁に掛けてあるカレンダーに書いてある予定を見上げた。
やはり、私は頭に書くことはできないな!カレンダーに書くのが一番だ!
窓から見える外は寒そうだ。
出かけるのは億劫だな~ァ・・・・
2~3日体調を崩して何も書けなかった。
太極拳に「一挙全動」と言う言葉があるが、年をとると一つ悪いと全部が麻痺するようだ。

何か気が付いたり、思い出したりすると、そばの「何でも帖」に、その場で書き込む。
たとえトイレに居ても、不意に「そうだ・・・」と気が付いたり、思い出す、と、忘れないために口に出して、お経の ように唱えながら自分の机に戻り「何でも帖」に一言 書き込む。
書き込む時に注意が必要だ。
それは必ず日付を書いて置くことだ。
日付がないと
「あれッ これは何を書いたのだろう?」と折角書いたことを思い出さない。
なにしろ、簡単なことでも覚えることが持続しないのだ。
まさに「落語」の「一八十の、トッキキ」だ。そうだ、今日は○○をしなくては・・・・と思っても何時の間にか忘れている。
そのような、何か、しなければと思いついたら直ぐに、そのことを書くか?
或いは即実行するかの二つだ。
ところが、である。
それを見たカミさんが
「あんた、何を書いているの?」

「ああ、忘れないために書き留めておくのだ」

「ダメよ!書くのはノートでなくて頭に書くの・・・」

「何を言う」

「頭に書けないからノートに書いているのだ」

「あんた、何時も“忘れた?”“忘れてた?”と言っているじゃないの?」

「それはね~ェ 書いてしまうから安心するのよ」

「安心した瞬間に忘れるのでは・・・?」

そういえば、カミさんがメモを取るのを見たことがない。
その癖、TVの番組や病院に行く日、などよく覚えている。
たまに何時もは、遅い夕食が早い時がある。
変だな~ァ?と思い
「おい、今日は、どうしたのだ?」

「7時から町内の役員会議だよ」

カレンダーにも何処にも書いていない。
「へ~ェ よく覚えていられるね~?」

最近の「何でも帖」の書き込みに
「20世紀初期に存在した王族貴族は50数ヶ国あったが現在は27国になった」
「ある国では自分たちの手で処刑して滅亡させた王族、貴族を懐かしむ国もある」
と、書いてあった。
その中にインドを植民地にしたイギリスによるインド王族の悲惨な結末も書いてあったが、ここでは遠慮する。
それを読んだ時に我が国も明治維新のときに一歩、間違えれば、このインドと同じ運命をたどったのではないかと心に戦慄の恐怖を感じた。
世界最大、最強の国であるアメリカの方が、もっとも劣等感を感じているのは自分の国に日本の皇族やイギリスの王族のような名誉となり、国の象徴となるような方(王族、皇族等)の存在がないことだ。とも書いてあった。
韓国のノムヒョンが大統領に就任した時に日本の皇室で何の行事か忘れたが、皇室から「晩餐会」の招待を受けた。
生憎、その日は韓国の「建国記念日」と重なったのだ。
然しながらノムヒョンは躊躇わずに皇室の晩餐会に出席したものだ。
これには私も非常に驚いたものだ。
ノムヒョンが皇室の公式の晩餐会に招かれたのは多分、この一回だけであると思うが、もう参加する機会はないだろうと思う。
外務省も、それ程馬鹿は揃っていないだろうと想像するが・・・。
皇室、王族の歴史ある行事に参加することが出来ることは、ことほど、それほどに名誉のある行事なのだ。
この当時、私はブログはやっていなかったので書いていない。
また「王族、貴族を抹殺した国は乱れる」とも付記されて、その後の国がいくつか記入してあった。
カミさんに日本の皇族の存在の“よし“ ”悪し“を聞くと、
「あんなものは要らぬ」

さすが北海道出身である。
「なぜ要らないのか?」

「あんたは何故必要か?」

「日本人のルーツが其処にあり、日本の国の文化遺産の伝承者だ」

「言うならば世界遺産に等しい」

「日本の皇族は、もう世界に見られぬ日本人の誇りとなっているよ」

「何処かの国の、どこの馬の骨の成り上がり者とは違うよ」

「その国の将軍様がロシアで伝統ある舞踊を貴賓室から見ている時に盛んにフラッシュを焚き、ウオッカを飲み騒いでいたとか?」

真偽のほどは不明ながら、その品の無さにロシア国民も呆れたとか・・・・?
この品の無さは成り上がり者の悲哀だな。
これは、ことの真実は判らないが、さもあらんと書かずにおれない。
「何しろ品格が違う」

「これは、いかにアメリカが逆立ちをしても作れるものでないよ」

「天皇は政治には関わっているようで実際には、なにも関わっていなく、それでいて、あの終戦時の統制のとれた敗戦処理も天皇の一言で国民は従った。これは、お前も知っているだろう?」

「これが“伝統というものの歴史の重さ”だ」

珍しく私が捲くし立てたものだ。
まァ 無智の思いのなせる業(ワザ)か?

皇室、王室の無駄を言う者の、多くは小さくは自分の家の?
少し?上ならば村や町における家格の立場の無いもの?等、伝統を持たぬ者に多いと感じておる。
人それぞれ、いろいろと考えがあると思うが要は「妬み」や「嫉妬」や「詰まらぬ、やっかみ」があるのでは?
別の言い方をすれは「反骨精神」といえば納得するか?
わたしは少々異なると思っているが?
そういう私の家は単なる、そこらにある普通の家であるが・・・・。
それでも私は、ささやかながら没落したとはいえ我家の家系血筋には誇りを持っている。
別に家系図なる厳(オゴソ)かな ものはないが・・・?

つまらぬ取るに足らぬ家でも家名を傷つけることは避けたいと何時も思っている。
「人から後ろ指を指される」行いなど持っての外である。

カミさんが、いみじくも言った。
「おテントさんが見ている」

「何でも帖」を見ながら、また下らぬ思いに耽った。

アホ爺である。
朝 起きた時の居間の室温は13度(午前4時)だった。

今年は未だシングルの温度になったことが無い。
さてッと、今日は何をする予定だったかな?

正面の壁に掛けてあるカレンダーに書いてある予定を見上げた。
やはり、私は頭に書くことはできないな!カレンダーに書くのが一番だ!
窓から見える外は寒そうだ。

出かけるのは億劫だな~ァ・・・・

2~3日体調を崩して何も書けなかった。

太極拳に「一挙全動」と言う言葉があるが、年をとると一つ悪いと全部が麻痺するようだ。
こちらは昨夜から雪降りです。一度除雪したのに まだ、わた雪が降っています。夕方もう一度雪かき
のようです。
私もスケジュールはカレンダーにメモしています。
見たり聞いたり思い出したことのメモ書きは、続けることが難しいですね。
メモ魔と言うほどではありませんが
仕事、家人の予定…などなど覚え切れません。
時系列に並べ、終われば消していきます。
子供たちがお風呂に入る予定時間までしっかり書いておかないと家族でバッティング、大モメになります…。
PCをしている時もそばにメモを置いてあります
ふっと気になったことを書きとめ時間が出来た時に調べます。
ところがこれが原因で一日潰れることもしばしば…気になったことをいちいち解明する癖はそろそろやめたいと思っています
良い習慣ですネ。 私達の齢(?)に成ると、度忘れ
することが確かに多くなりますね。思い出すのに苦労します
メモをした中にも取って置いておきたい記録などもあり、バインダーのノートを使っています。
愛読の投稿がなく案じております。
元気で旅行? 趣味の会での留守ならばよいのですが・・・。
旭川もプラス気温で一気に雪解けが進み春がきたようです。
そちらは入学式の桜でなく、卒業式の桜開花だそうですね。案じながら・・・。
ご心配をお掛けいたしました。
19日ごろから体調を崩していて、そこに高齢者講習を受け久し振りの緊張に参りました。
75歳と言う歳を感じました。
お心使い誠に有難うございました。大変感謝しております。
sibuyaさんのブログも拝見しました。よろしくお伝え下さい。
お元気そうでなによりと存じます。でも風邪はきちんと治療を受けて治して下さい。
>仕事、家人の予定…などなど覚え切れません。
全く、耄碌寸前の私にはメモが頼りです。
然し、時にはカミさんに言えぬこともあり、つい(?)など訳の判らぬ記号を書いて、その意味を忘れ、問題を起こします。
<おちゃこ さま>のブログ エッセイのように楽しいですね。
私も<おちゃこさま>の家の前の道路は自然が一番いいと思いますよ。でも私も近所には弱いです。
カミさんに任せています。少々卑怯ですが・・・
ご心配をお掛けいたしました。
今津川のシラウオとりの写真懐かしく拝見しました。
写真は、かなり上流のようですね?私は川下の「一銭橋」の上(カミ)です。柳井線の鉄橋付近に仕掛けてありました。
お尋ねの「一拳全動」はお察しの通りと思いますが、私が指導を受けた先生の言葉で、手や足を少しでも動かせば、その時の行動に意識を持てば例え、動かぬ身体にも”勢(気)”が発せられる。と言うようなことでした。太極拳は常に意識を持ってやることが大切と教わったことです。浅学な私ですので、このくらいで勘弁して戴ければ幸いです。
何時も故郷のことを懐かしく拝見しています。私も随分と知らないことが多いと知りました。感謝!感謝!です。
いつもコメント有難うございます。
>メモをした中にも取って置いておきたい記録なども・・
実はそれなんです!時に別冊に書留めますが、書き留めたノートを失くしてしまう癖(?)があり、困ります。ネットなどで拝見した記事などは一行を何でも帖に、あとは別冊に書くかプリント・アウトしてノートに貼り付けておりますが、纏めるのが大変です。
ゴチャ・ゴチャ書いているのでカミさんから何時も少しは片付けな!と怒鳴られます。