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http://mainichi.jp/opinion/news/20130215k0000e070206000c.html
以下全文 ( 記事が古いので既に開けません:記事をコピーしていたのでそのれを記載します。
しあわせのトンボ:「たしなむ」ということ=近藤勝重
毎日新聞 2013年02月15日 13時10分
映画やドラマで「お嬢さんはお茶もお花もたしなんでおられます」とか、「それは武士のたしなみでござる」といったセリフを時に耳にする。
しかしぼくの周辺の知人や友人から「たしなむ」とか「たしなみ」といった言葉はあまり聞かない。もし耳にしたら、こちらは返す言葉に戸惑うだろう。
いや、思い起こすと、そういう会話もないではない。友人の一人が
「趣味といっても俳句をたしなむ程度だな」と問わず語りに言った。
何ら問題のない日本語だが、たしなむなんてカッコつけるなよ、とぼくは心の中でつぶやいていた気がする。
辞書で「たしなむ」を引くと、「芸事などを習い覚えて親しんでいる」
「何かを好んで親しむ」などとある。
「嗜(たしな)む」と漢字で書く場合の「嗜」も調べてみると、「口+老+旨」で「長く年がたって深い味のついた意を含む」などと解字的に解釈されている。なるほど、と思える程度で、別に特別な言葉とも思えない。
それなのに、何だか普通の言葉として聞けないばかりか、自分からはとてもじゃないが口にできない言葉として存在している。なぜなんだろう。
一つにはこの言葉に、慎み深さや節度といったものを必要以上に感じ取り、つい改まった反応をしてしまうということがありそうだ。
また茶道とか武道とか「道」の世界と一体になった言葉の感じから、そこにうかがえる奥深い精神性にこちらが改まるということもありそうだ。
そう考えると、「たしなむ」というのは「道」の世界にあまねく通じる言葉であり、柔道界での体罰などは、なおさらあるまじき粗暴な行為に思えてくる。
ついでながら中学時代、ぼくも柔道を習っていた。体がいっこうに大きくならず、試合ではよく投げ飛ばされた。それでも頑張れたのは、指導してくれていた町の駐在さんの優しさだった。
いつ負けてもほほ笑みと共に言葉をかけてくれた。
「優」は「劣」の対語である。そうとらえると、人の劣る面をカバーできる力強さこそが優しさだと理解できる。
指導者なら、選手個々のいたらないところやマイナス面を黙って全部引き受ける器量がその証しであり、選手はその姿を見て発奮するのである。
「紳士のたしなみ」という。
この際、女性に手をあげるような指導者には「紳士たれ」と言っておきたい。
紳士は常に優しい。(専門編集委員)
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つぶやき ぼやき OSAMU
たしなみ・・最近は確かに聞かない言葉ですね~。
それどころか 年長者・先生にすら「・・・してくれた」という言葉が氾濫している。
競技で応援した応援団の方々にも「応援してくれてありがとう」 だものね。
曰く「先生が応援してくれた・・」 「応援してくれて・・・」 とか「してくれた」 の言葉は日常の常用語になっている。
「・・・して頂いて・・・」なんて言葉は何処かに行ってしまったのか?
「戴いた・・」と言う謙譲語が使えないのかな?
「祝ってくれて有り難う」 昭和天皇陛下の言葉を思い出す。
参考:「もらう」 「くれた」 etc
http://www.asahi-net.or.jp/~ye5t-hru/keigo_21.htm
暖かくなりました。きょうは午後から曇りだそうです。これからプールに行き膝のリハビリに努めます。
尚 私自身 よく間違うので その節にはご寛容のほど宜しくお願い申し上げます。
~~してくれた~確かにそう言えるのは天皇陛下だけですね。平民が使えば、無神経な自己中心(ジコチュウー)言葉になります。運動ばかりの推薦入学のスポーツ選手なので勘弁してやってください?
言葉の乱れ:ら抜き、見られた→見れた。などのら抜き言葉、普段の会話ではもはや仕方がない?あほかと言うのは老化現象でしょうか。そのうちアナウンサーも? 草々
メタボ拝
詳しい内容、伝わってきました。
ご紹介、ありがとうございました。
言葉遣い、・・・・・・。
気をつけたいものですね。
昨日も、あたたかいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
「ら」 抜きも気になりますがこのブログの記事でも時々やります。日頃きちんと書いてない所為でしょう? 惚けも自分自身気になっています。
やはり普段が大切のようです。osamu 拝
言葉が気になる歳になったようです。