カミさんが近頃 仕切りに話題になっている高校の「特待生制度」の批判に物凄く怒っている。
「何を今更、何処が悪いのだ!」
TVに向かっての大声だ。
傍にいる耳の遠い吾輩でも煩いと感じるほどだ。
文句を言うなら今まで放置した高野連の幹部が責任を取って先ず全員辞めて、新しい役員が、その理由を明確にして行うのがホントだろう!
(カミさんの受け売り)
(我輩は脇○春○だって会長になって既に5年経過している。今更なんだ!と言う気持ちだ)
自分の地位は確保して選手(子供)に責任を押し付けるばかりで、ご自分の地位は圏外に置いている。
その態度は非常に卑怯といわざるを得ない。
被害者は現特待生だ。
特待生制度が認められないなら、今から特待生の入学を止めて、その後に実施するのが当たり前だろう。
全ては、せめて現在の特待生の彼らが卒業してからだ。
高校のスポーツ「特待生制度」はみんな私立の高校だ。
私立の学校は経営手段として、その学校の特徴が要求される。それが「野球」のみ何故悪いと言うのか?
なかには、このスポーツ特待生の生徒を学校の「商売道具」にしていると非難している馬鹿なコメンテーターがいた。
このコメンテーター氏は自分自身が商品としてTVの商売道具になっていることにお気づきになっていないようだ。
この「特待生制度」が存在しているのはバレー、マラソン、スキ、スケート 等 数え上げれば切りがないのが現状ではないか?
この制度のお陰で、家庭が経済的に恵まれず高校進学も、できない者も才能があれば高校に進学できて、更に才能が認められて伸ばされれば大学だって夢でない。
勉強が出来る子は公立の安い学校に行けて、また種々の育英資金の援助も受けられる。
経済的に余裕があるものは私立の高校に進むこともできるが、そうでないものは義務教育の中学で卒業して働かざるを得ない。
然し、この「特待生制度」で自己の才能だけで誰憚(ダレ、ハバカラ)れることなく高校に進学して望む人生の道を選ぶことが出来ればこれに越した教育はない。
これがカミさんの主張である。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
今の世間(教育)は「平等」「平等」と言いながら更なる不平等(人間性として)を生んでいる。
これもカミさんの持論だ。
我輩も「そうだ!そうだ!」
と尻馬に乗って同調している。
「公立学校で、それをやられたら困るが私立ではいいのではないか?」
と言う。
我輩も全く異論はない。
勉強の出来る子は公立の安い高校に進む道が開けている。
反対に多くの学科の中に不得意があるが、ある学科は凄い才能があり、それを伸ばそうとしても経済上の理由で高校に進学できない事情の子もいる。
そのような子に進学の道が開かれている「特待生制度」はいい制度であると、カミさんは主張しているのだ。
我家のカミさんも下の兄弟姉妹のために小学校卒業後は授業料の要らない全寮制の道立の特殊技能学校に進んだらしい。
戦時中も英才教育を軍が行っていた。
勿論、全て国家の負担である。海軍兵学校、陸軍大学、幼きは「予科練(俗称:少年航空兵)」等 存在した。「予科練」などは小学校では憧れの的だった。
我輩の出身小学校では近くに海軍航空隊があり時に航空士官が短剣をぶら下げた正装で学校に講演に来た。
我々は眼を輝かせてその話に聞きいったものだ。
我輩は、なにも戦争崇拝者ではない。
我輩が言いたいのは能力のある子供の才能を伸ばす制度は必要だ!と言うことだ。
我輩の子供の頃の学校は成績のよくない子でも、その子にあった人生の道はあったものである。
小学校の先生も心得ていて、何かと、その子の将来に眼を向けていたと思う。
何処を切っても金太郎飴のような教育ではなかったように思う。
金太郎になる子はいいが、中には「落ちこぼれ」とか言う我輩のような子もいる。
この落ちこぼれに対しての先生の対応も気になる。
マタ聞きながら落ちこぼれ生徒は学年編成の時に新任の先生に振り分けられるとか?真偽の程は分からない。
我輩の無責任なブログだからこそ書けるのだ。
古狸や古狐の先生には割り当てられないと言う。
先日、島田洋七の「がばいばっちゃん」の本を読んだが、彼が中学を卒業して広島の高校野球では名門の広○高校に進学する場面があったが、これなど喝采ものだと感じた。
私立高校には、それぞれ特徴が必要である。
進学校もあれば、野球やバレー 等で有名な学校もある。
例えお金がなくても、それぞれが自分の才能を伸ばすことが出来る学校に行ければこれに勝るものはない。
折角、高校、大学に入っても学校に行かずに渋谷、新宿で遊び呆けている若い風来坊が多いのは自由の履き違えとしか考えられない。
我々夫婦は共に高校生の「特待生制度」には賛成論者である。
むしろ、今まで放置して置いて、今更ながら言い出した高校野球連盟のお偉方にこそ、その責任はあると言いたい。
言い換えればプロ野球の、とばっちりが我が身に降りかかることを防ぐために事前に手を打った感がする。
「スーダラ節」を歌った(故)植木 等さんが思いもかけぬ真面目な方であったと報道された時には驚いたものである。
彼はあの歌詞を見て即座に断ったとか?然し、あの歌い方は植木 等さんが真に真面目だったからこそ歌えたのではとも思う。
人は見かけによらない。
何の本で読んだか忘れたが、漱石が東大の教壇に立っている時に最前列の席に何時も片腕をポケットに突っ込んでいる学生が居て、つい、つい、この学生に不愉快な思いを抱いていた。
ある日この学生が教官室に質問に来た。
そこで
「おい、君!授業中に片手をポケットに突っ込んで授業を聞くのは失礼ではないか?」と、この学生を叱責した。
学生は悲しそうな顔をして
「先生に不愉快な思いをさせてすみませんでした」と謝り、こう付け加えた。
「先生 僕は子供の頃に片腕を失ったのです」と腕のない袖口をポケットから出して漱石に見せたそうです。
漱石は驚いて「いや、私が悪かった」と直ぐに、この学生に謝ったとか・・・。
巻末に見かけで人を判断してはならない。と書いてあったような気がする。
ペスタロッチ・・・やめとこっと・・・・へッ へッ へ
「何を今更、何処が悪いのだ!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
傍にいる耳の遠い吾輩でも煩いと感じるほどだ。
文句を言うなら今まで放置した高野連の幹部が責任を取って先ず全員辞めて、新しい役員が、その理由を明確にして行うのがホントだろう!
(カミさんの受け売り)
(我輩は脇○春○だって会長になって既に5年経過している。今更なんだ!と言う気持ちだ)
自分の地位は確保して選手(子供)に責任を押し付けるばかりで、ご自分の地位は圏外に置いている。
その態度は非常に卑怯といわざるを得ない。
被害者は現特待生だ。
特待生制度が認められないなら、今から特待生の入学を止めて、その後に実施するのが当たり前だろう。
全ては、せめて現在の特待生の彼らが卒業してからだ。
高校のスポーツ「特待生制度」はみんな私立の高校だ。
私立の学校は経営手段として、その学校の特徴が要求される。それが「野球」のみ何故悪いと言うのか?
なかには、このスポーツ特待生の生徒を学校の「商売道具」にしていると非難している馬鹿なコメンテーターがいた。
このコメンテーター氏は自分自身が商品としてTVの商売道具になっていることにお気づきになっていないようだ。
この「特待生制度」が存在しているのはバレー、マラソン、スキ、スケート 等 数え上げれば切りがないのが現状ではないか?
この制度のお陰で、家庭が経済的に恵まれず高校進学も、できない者も才能があれば高校に進学できて、更に才能が認められて伸ばされれば大学だって夢でない。
勉強が出来る子は公立の安い学校に行けて、また種々の育英資金の援助も受けられる。
経済的に余裕があるものは私立の高校に進むこともできるが、そうでないものは義務教育の中学で卒業して働かざるを得ない。
然し、この「特待生制度」で自己の才能だけで誰憚(ダレ、ハバカラ)れることなく高校に進学して望む人生の道を選ぶことが出来ればこれに越した教育はない。
これがカミさんの主張である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
今の世間(教育)は「平等」「平等」と言いながら更なる不平等(人間性として)を生んでいる。
これもカミさんの持論だ。
我輩も「そうだ!そうだ!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
「公立学校で、それをやられたら困るが私立ではいいのではないか?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
我輩も全く異論はない。
勉強の出来る子は公立の安い高校に進む道が開けている。
反対に多くの学科の中に不得意があるが、ある学科は凄い才能があり、それを伸ばそうとしても経済上の理由で高校に進学できない事情の子もいる。
そのような子に進学の道が開かれている「特待生制度」はいい制度であると、カミさんは主張しているのだ。
我家のカミさんも下の兄弟姉妹のために小学校卒業後は授業料の要らない全寮制の道立の特殊技能学校に進んだらしい。
戦時中も英才教育を軍が行っていた。
勿論、全て国家の負担である。海軍兵学校、陸軍大学、幼きは「予科練(俗称:少年航空兵)」等 存在した。「予科練」などは小学校では憧れの的だった。
我輩の出身小学校では近くに海軍航空隊があり時に航空士官が短剣をぶら下げた正装で学校に講演に来た。
我々は眼を輝かせてその話に聞きいったものだ。
我輩は、なにも戦争崇拝者ではない。
我輩が言いたいのは能力のある子供の才能を伸ばす制度は必要だ!と言うことだ。
我輩の子供の頃の学校は成績のよくない子でも、その子にあった人生の道はあったものである。
小学校の先生も心得ていて、何かと、その子の将来に眼を向けていたと思う。
何処を切っても金太郎飴のような教育ではなかったように思う。
金太郎になる子はいいが、中には「落ちこぼれ」とか言う我輩のような子もいる。
この落ちこぼれに対しての先生の対応も気になる。
マタ聞きながら落ちこぼれ生徒は学年編成の時に新任の先生に振り分けられるとか?真偽の程は分からない。
我輩の無責任なブログだからこそ書けるのだ。
古狸や古狐の先生には割り当てられないと言う。
先日、島田洋七の「がばいばっちゃん」の本を読んだが、彼が中学を卒業して広島の高校野球では名門の広○高校に進学する場面があったが、これなど喝采ものだと感じた。
私立高校には、それぞれ特徴が必要である。
進学校もあれば、野球やバレー 等で有名な学校もある。
例えお金がなくても、それぞれが自分の才能を伸ばすことが出来る学校に行ければこれに勝るものはない。
折角、高校、大学に入っても学校に行かずに渋谷、新宿で遊び呆けている若い風来坊が多いのは自由の履き違えとしか考えられない。
我々夫婦は共に高校生の「特待生制度」には賛成論者である。
むしろ、今まで放置して置いて、今更ながら言い出した高校野球連盟のお偉方にこそ、その責任はあると言いたい。
言い換えればプロ野球の、とばっちりが我が身に降りかかることを防ぐために事前に手を打った感がする。
「スーダラ節」を歌った(故)植木 等さんが思いもかけぬ真面目な方であったと報道された時には驚いたものである。
彼はあの歌詞を見て即座に断ったとか?然し、あの歌い方は植木 等さんが真に真面目だったからこそ歌えたのではとも思う。
人は見かけによらない。
何の本で読んだか忘れたが、漱石が東大の教壇に立っている時に最前列の席に何時も片腕をポケットに突っ込んでいる学生が居て、つい、つい、この学生に不愉快な思いを抱いていた。
ある日この学生が教官室に質問に来た。
そこで
「おい、君!授業中に片手をポケットに突っ込んで授業を聞くのは失礼ではないか?」と、この学生を叱責した。
学生は悲しそうな顔をして
「先生に不愉快な思いをさせてすみませんでした」と謝り、こう付け加えた。
「先生 僕は子供の頃に片腕を失ったのです」と腕のない袖口をポケットから出して漱石に見せたそうです。
漱石は驚いて「いや、私が悪かった」と直ぐに、この学生に謝ったとか・・・。
巻末に見かけで人を判断してはならない。と書いてあったような気がする。
ペスタロッチ・・・やめとこっと・・・・へッ へッ へ
そしてユーモアに富んで 信頼しあっている。
そんな夫婦になりたいと思っている。
あわせてosamu爺さんのブログ文章の上手いこと。
日常会話を文章にするのは難しいのだが・・
さすが亀の甲より年の劫・・と言うべきか いや
才能なのだと思う。楽しみにしています。
sibuyaさんの毎日1万歩を歩いて居られるのは並大抵のことではありません。
何時も感服して読ませて戴いています。
な~んだ。と言うことを続けることが一番難しいことだと思っています。これからも宜しくお願い致します。
それを利用して大人の世界のややこしいところに子供を引き込む、大人たちがわるいんですよね。
特待生自体は、問題がないと思います。勉強でも運動でも、その能力を伸ばすために様々な援助をするというのは悪いはなしではない、と思います。じゃないと、いつまでたっても優秀な人材は見つからないですよね。。
みんな公平に、というのもわかるけど、出来る人にはもっと能力を伸ばすための仕組み、というのはやっぱり必要だと思います。
パソコンを変えると、機能は便利になっているのだろうが、爺にはいい迷惑。試行錯誤の連続、解説本は
文字が小さくカタカナ一杯で、眼はショボショボ
頭はズキズキ。やっとつながりました。
スポーツ特待生制度については、奥様、osamuさんに
同感です。子供たちをもてあそぶような言動には納得できない。
非常に分かり易いコメントを戴き恐縮しています。
ありがとうございました。
ビスタはよく知らないので分かりませんが、随分と勉強をなさっておられるご様子が伺えます。
私もパソコン関係の本の解説書には苦労しています。
何しろカタカナ言葉が多く理解不能です。
字の大きさもネックです。
なんとか簡単に解説できないのでしょうか?
そう思っています。
あの本も何方か詳しい方が側にいらっしゃると、いいのですがね?
数時間かかる事柄も数分で解決します。
今日は暑いといっていい日でした。日中は27度ありました。車には冷房を入れて走りましたよ。