マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

荘園についてちょっと追加

2009年09月20日 17時06分12秒 | 古代史
先日から、日本はまだ律令制が続いているのだと述べた。しかし、これは私が勝手に決め付けているのではない、栗原茂氏の「真贋・大江山系霊媒衆」のなかで、非常に難解で、なおかつなかなか肝心な事を言ってくれない中に次のような語句を見つけ、私は自分の考えが間違っていないと確信した。だからブログに書いたのである。
引用をしよう、「聖地を高天原の領域と定めた日本文明は、公地の確立とともに、荘園と(しょうえん)称する私有地の開墾(かいこん)に従事(じゅうじ)するなか、時代の変遷(へんせん)に見合う場のポテンシャルを蓄え(たくわ)ていき、その潜在力を原資(げんし)として、生活の基盤を整える通史を積み上げてきた。この荘園システム構造は秀吉が施す太閤検地(たいこうけんち)で姿を消すが、そのポテンシャルは何ら損傷さ(そんしょう)れておらず、その地層に深く根を張る潜在力はGHQさえ気付かずにいた。・・・・略・・・・・御用史観が描く図柄(ずがら)では、東京国際軍事裁判と同じ結果しか得られないのだ。にも拘(かか)わらず、何ゆえ日本は戦後復興を成し得たのか、しかも財政の債務超過が幾ら嵩(かさ)んでも、それに堪(た)えうる原資の正体とはなにか、これこそ遺伝子に宿るポテンシャルであり、荘園システム構造に潜む底力に支えられていたのだ。」
おわかりだろうか、文章と言うのは文章に書かれていない事を読み取らねばならないのです。かといって、本人が考えてもいないようなことを言ってもいいのか、というとちょっと躊躇するのだが、まあいいや。栗原氏の文章で、私はそう解釈したのだ。さらには、戦後の復興にそれらのポテンシャルが発揮されたと言う意味も深いではないか。

YamatoDynastyの全訳

2009年09月20日 05時07分10秒 | ひとりごと
最近になって歴史捏造研究書で一部だけ公開しているYamatoDynastyやGoladwarriorsの翻訳を全編送って欲しいと言うメールが多い。
どこかで紹介されたのか、なんだろう・・・・。
マヨのぼやきに全部ダウンロードできるようにしてあるので、そちらを見てもらえば二十世紀のファウストも見ることが出来る。
どうも皆さん高橋五郎から検索してたどり着くようだ。
二冊の翻訳が完了してずい分月日がながれ、もう自分がそのような事をしたということすら忘れつつある。考え方もずい分変わり、いま翻訳したらまた違う視点で翻訳したかもしれない。
それにしてもその当時の文章は下手くそなので恥ずかしくて本当は人に見せたくないのだ。

荘園制度はなくなっていない。

2009年09月19日 09時40分07秒 | 古代史
昨日は現在の日本で律令制は続いていると述べた。実はこれこそ日本の真実であり、国家の最高機密なのだ。民主党も閣僚を送り込み、さあ、がんばるべ・・・と思い張り切って官僚達と話し合いを始めると、最初に聞かされることは実は税金の使い道はほとんど決まっていると知らされるだろう。自由になる金などほとんどないのである。唯一自由になるのは苦労して官僚達が考え出した、いわゆる特別会計だけで、後の予算はほとんど手を入れる余地がないほど決まっている現実に出くわすはずである。官僚達や麻生さんの言う財源を示せ、と言うのは残念ながら本音なのである。

では、なぜ財源が硬直化しているかといえば、それが荘園制の名残であり、国家とはいえ、平安時代から荘園や寺社領はアンタッチャブルだったのだ。
秀吉の時代、太閤検地でそれは解消したのでは?その通り、でも表向きはそうであっても、現実に秀吉もあちら側の人間で、表面的には消したとしても仕組みとしては残ったのだ。どのようにして残したのかは私が知るよしもないが、はっきりしていることは既得権益を差し出すほど貴族たちも僧侶たちも甘くないという事。

パチンコ屋さんには出玉率というのがある、コンピューターで管理されているので、経営者はその率を操作することで儲けはいか様にも変えられる。ただ、あまり率を絞るとお客さんが遠のくので、そこは経営者のさじ加減ひとつである。

国家は国民から搾り取った税金をどのぐらい国民に還元し、どれぐらいを領主さまに差し出すかを常に考えなければならない。つまり、還元率ですな。

いつも言うように、私は平成になりその還元率を変えたな?と思うわけで、一般会計と特別会計をあわせれば、私の試算では400兆円、他でいわれるのでも300兆円の国家収入がある。爺さんから赤ん坊まで入れて、一人当たり300万円以上払い込んでいるのだ。そのうち、国民に90%を還元したらパチンコ屋なら大繁盛であろう。そうなのです、領主様の搾取がひどいと、昔なら百姓一揆が起きたのです。

今回の民主党の勝利は間違いなく出玉率ではなく、国民還元率の変更を求めた一般大衆の平成一揆だったのだ。

どうか、領主様方は国民の声に耳を傾け、数パーセントでもいいから改善をお願いしたい。

律令制

2009年09月18日 06時23分05秒 | ひとりごと
さあ、民主党と官僚の戦いの火蓋が切られたが、脅威の縦割り社会に政治家が風穴を空けることが出来るか、毎日緊張し、かつ楽しみにニュースを注視しなければならない。
それにしても日本の官僚制度と言うのは平安時代から続いている律令制が基本である。つまり、天皇という象徴の下に藤原家が君臨し、家柄により各省庁を割り当てられている。簡単に言えば、シバちゃんが農水省、マヨちゃんは厚生省、パリちゃんは財務省・・・などのように。各個人は同族ではあるが利害が対立しかねない。そこで、各省庁はお互い独立し干渉しないことが不文律となる。いうまでもないが、藤原各家は該当する省庁の人事権を握り、その省庁の利権で生活をすることになる。
考えてみれば縦割りになるのが当たり前である。橋本龍太郎氏は行革と言って省庁の数を減らしたために命を失ったともいえる。日本の場合、触っていけないものは絶対に触ってはいけないのだ。
今でも日本は律令制のままで、これを止めさせようとすれば必ず死者がでる。要は人事権を握るものがその省庁を握るのである。
方法は簡単だ。人事権を完全に閣僚が握ることである。無理だろうけど・・・。
日本の支配構造は平安時代そのままと考えてもよい。つまり、荘園制のもと貴族と寺院は無税なのである。彼等のその特権を侵すものは総理大臣でも殺されるのである。

あたらしい法務大臣

2009年09月17日 06時24分07秒 | ひとりごと
新しい法務大臣に弁護士出身の千葉景子が就任した。これは非常にうれしい。彼女は人権派であり、これまでいくつも指摘してきたような検察や司法の行き過ぎに待ったを掛ける事ができるのである。
麻生政権下の森法務大臣は実にひどいことをしている。死刑囚の死刑執行は法律がある以上やむを得ないと思わないでもないが、ほんの少しであっても疑わしい場合、あるいは再審の可能性がある場合、あるいは再審を求めている場合、とりあえず執行は見送るのが当たり前ではないか。
精度の点で信頼性に疑問があったDNA鑑定だけで死刑を執行された飯塚事件の久間さんは、足利事件で再鑑定の可能性を見てあわてて執行された可能性が捨てきれないのだ。
真相は我々が知るすべもない。しかし、このような疑問を持たざるを得ない死刑執行が行なわれる限り、私も死刑廃止に同調するだろう。
私は仏様のような寛大な人間ではないので人間とは思えない獣のような犯罪者を擁護する立場にはない。ただ、有名な大高アベック殺人事件の被告を弁護した人と話をしたことがあるが、どんな人間にも生い立ちやその後の人生において、何がしか情状酌量の余地はあるんだと言っていた。
いくら重大な犯罪を犯した人間でも、残った長い人生を国家が奪っていいものか私も大いに悩むのであります。ましてやその犯罪が間違いなくその人間が行なった行為かが疑われるのであればいうまでもないことである。
このたびの民主党政権下で従来の死刑執行のあり方が見直されることを望むものです。