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藤井聡太七段が棋聖奪取最年少タイトル獲得記録更新、17歳11カ月

2020-07-16 19:16:00 | 日記
うおーーーー!すごーーーい!


ツイッターで公式アカ乗っ取り相次ぐアップルなど被害

2020-07-16 13:28:00 | 日記
乗っ取り、良くない!
昨日メッセンジャーがやられました。賢明な友人達のネットワークでなんとか収束。ムムム、乗っ取り駄目!絶対!

もしかして良い機会?

2020-07-16 07:45:04 | 日記
なんだかとても良くしみる話ですね。「虚礼」かあ。いい機会なのかもしれませんね。

昔、住んでた部屋が「ガス爆発」させられ、命からがら逃げ出したものの、部屋がなくなったとき、私の部屋は「全焼」で吹き抜けになってました。2階の部屋でしたので、1階から見上げると、ロフトが消えたみたいに「部屋ごと焼失」していました。

その時に「無くして困ったもの」が半分ありました。手紙や映画フィルム、卒業アルバム、フランスメトロで使われたポスターなどは、無くして悲しかったものです。

一方「燃えてくれてよかったもの」も半分、あったのです。人生には「捨てるに捨てられず」なものが、持ってるもののうち、半分はそれだったことに気づきました。

「火事でなくなる」という、避けようのないもので無くなってくれることが、一番の供養になるようなものたちでした。不思議な感覚です。

生島さんの記事を読んでそれを思い出しました。
コロナ禍はたしかに悲惨なものですが、「自宅で一緒に過ごす時間」だったり、「仕事や学校をを長期間休む事」だったり、「人に会わないで済ます事」なんていうのは、コロナ禍でもこない限りは、日本人には到底できなかったことでした。

大きいところに、多くの人が集って、声を掛け合って、助け合っているのが当たり前だったのが、「そうするのが怖くなる」理由として、突然生まれたのです。

不思議なものです。「当たり前」だったものが、見えないナニカで、くるりと向きを返したのです。なーんだ、当たり前なんて、こんなもんだったんだと、知れてよかったです。
ある意味、なんでもありなんですねって、思える良い機会にもなりました。