歌うように語ろう

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それでもフィギュアスケートは「競技」なのか?

2012年08月08日 | フィギュアスケート

そろそろ終わりに近づいてきたロンドン五輪ですが、各競技を観戦しているとそれぞれ誤審など問題点もあるものの、

多くの競技で公正性・公平性をより追求する方途として選手やコーチなどからの異議申し立てやリプレイを請求できるように

変わってきていることが見受けられました。

これが本来五輪競技としてあるべき姿であり、なんら後ろ暗いことなどないことを各競技において証明するものでもあります。

 

間違ってもどこの誰が採点したのかわからない、ましてや採点に疑問を呈することさえ許されないなどということはない。

それがあるべき姿でありましょう。少なくとも、五輪競技として世界中の人々に見られる競技であれば。

 

それでもジャッジ絶対主義者や日和見主義者、既得権益を守りたい人々に守られながらフィギュアスケートの不透明性はまだまだ

続きそうです。

他の競技とは異なった、ポイントもつかない興行的な試合をいくつも開催し、たびたび自国選手が不利益をこうむっていても

いまだに審判の採点結果(プロトコル)をあたかも聖典でもあるかのようにありがたがる人たちの考え方は全く不可思議ですが、

まあそういった方々には、どんなに不透明な結果でもプロトコルありきなので話が通じないですから仕方ないですね。

 

観客にも明々白々な競技であり、選手も納得できない場合には異議申し立てやリプレイを請求できる。

このような透明性はまずジャッジの国名や名前を明示することから始まると思うのですが、残念ながらロシアまで反対している

現状を見ると、少なくともフィギュアスケートでは他協議のような透明な採点に至るのは遠そうです。

 

ひょっとしたら、永遠にそんな日は来ないか、あるいは五輪競技から追放される日の方が先にくるかもしれませんね。

 

ロンドン五輪において不手際がないわけではありませんが、スポーツの透明性を高めようと他の競技が努力する様を見るにつけ、

フィギュアスケート採点システムのの残念ぶりに思いをいたらせずにはいないフィギュアファンのぼやきでした。