歌うように語ろう

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おかしな言葉と不思議な論調

2013年02月13日 | フィギュアスケート

そろそろ12-13シーズンも終盤。あとはシーズンクライマックスとなる世界選手権(ついでに国別もB級大会もありますが、注目度で)を

残すのみとなりました。

しかし、さすが(?)五輪プレシーズンだからなのか、いろんな印象操作を敢行したい輩が跳梁跋扈していますね。

その中にスケ連理事まで混ざっているのはいかがなものかと思いますが、おそらく集団で苦情を言ったところでどうにもならないのだろうなと

いう諦念があります。

各国スケート連盟は、各々の所属選手をバックアップしその関係者は選手たちのために最善を尽くすのが義務だと思っていましたが、

残念ながら一枚岩どころか、特定選手にのみ過重な枷を持たせたがるものさえうようよいるのが現状です。

 

それとはまた次元が違いますが、フィギュアファンと思しき人々の間でも、摩訶不思議な用語や論調を弄す人が少なくないのもまた事実。

そういう方々からすれば逆に、私もまた変な人になるのかもしれませんが(笑)ここはあくまで私が思うところを語る場ですので、常々引っかかっていた

摩訶不思議な論調や妙な言葉(と私が思うもの)を俎上に挙げてみたいと思います。

 

*リアルルッツ

しみじみ妙な言葉だと思います。この言葉を連発する方の特徴として、ルッツ至高主義であることが言えます。ルッツこそが特別なジャンプで

あり、エラーなしのルッツが飛べるということが最大の武器だと信じ込んでいるようです。

そして、逆にこういう方々は決して「リアルフリップ」という言葉は使いません。つまりはルッツ>>>>>>>フリップと信じて疑わないのでしょう。

確かにルッツはジャンプの種類の中では得点は高いです。しかし、現行のルール上、いかにルッツが得意であろうと3回転のルッツなら一つのプロで

2回が上限です。そして女子のFSならジャンプを試みることができるのは7回です。また、SP・FS共にアクセルジャンプも必須です。(SPは2Aまたは3A)

ルッツを最大の武器として活かすなら、むしろ他の種類のジャンプもしっかり飛べてこそだと私は思うのですが、ルッツ至高主義者の皆さんは

そうではないようです。ルッツが得意な選手でも、フリップのエラーもち(いわゆるリップ)だったり、ループジャンプが苦手な選手もいるわけですが、

そこにはまず触れません。まずルッツありき。そういう意味では「ルッツ原理主義者」とも言えるのかもしれません。

現行のルールでは、5種類のジャンプ(6種のトリプルをそろえようとしている選手もいますが、彼女は例外中の例外なのでここでは置いときます)を

バランスよく飛ぶ方が点数のみならずジャッジ受けもいいはずなんですが、それをさておくとしても彼らはルッツを尊び、ルッツにエラーがつく選手を

しばしば蔑みます。しかしフリップエラー持ちには格別あれこれ言いません。

不思議ですねえ~。(本当は不思議でもないのですがね。こういう方々は大抵ルッツが得意な選手の大ファンですから)

 

*踊れる(もしくは踊れない)

アイスダンスを筆頭に、フィギュアスケートには舞踊のセンスは確かにあるとよりよいものだと思います。特にアイスダンスはその名の通り、曲調とシンクロした

踊りを氷の上で披露する種目と言っていいでしょう。しかし、そのアイスダンスでも何より重要なのはスケーティングスキルであり、エッジワークの巧みさ、リフトなどの

さまざまな技です。決して氷の上でただ踊っていればよい点数が出るという競技ではないと思います。

にもかかわらず、なぜかジャンプを何度も飛ぶシングルでまで「いかに氷の上で踊れるか」をさも格別重要なことであるかのように主張する方がいるんですよね。

あれ? いつからフィギュアスケートは舞踊競技になったんでしょうか? 私の知る限り、スケート競技だったはずなんですが。

特にシングルではジャンプが占める点数の割合が高く、いかに高度な構成を組むか、もしくはGOEを稼ぐかに選手や関係者は心血を注いでいるように見えます。

また、スピンも3回必須ですし、繫ぎやコレオシークエンスもあります。

舞踊に繋がるとしたらステップ・コレオシークエンスや、繫ぎの部分もまあ入れようと思えば入れられるでしょうが、あくまで滑っている間重視されるのはエッジワークや各種の技です。

PCSのパフォーマンスの部分にも影響は与えるでしょうが、舞踊のセンス=パフォーマンスとは言い切れないでしょう。

フィギュアはあくまでフィギュアスケート、スケートであれば滑りの巧みさやその上に成り立つ技を競う競技です。踊れるか踊れないかは、少なくとも

フィギュアスケートにおいて最重要ポイントではないことは確かだと思いますがいかがでしょうかね?

 

*陰謀論

個人的に一番笑ってしまうのがこのワードですね。この言葉を乱発する方はたいてい、ジャッジは正しく不正も間違いもないと信じている、ある意味

大変平和主義者な方々です。

そしてこういう方々は採点やなにかフィギュアにかかわることに疑問を呈すると、どこからでもやってきて「これだから陰謀論者は…」云々とご高説を披露されます。

しかしちょっと考えていただきたいのですが、そもそも現行のルールになる前、ソルトレイクシティー五輪で何が起きたかおぼえていらっしゃらないのでしょうか?

その後も、度々説明のつかないような結果が出た時に、各国関係者から様々な主張が飛び出し論議になることはどう説明されるのでしょう?

 

フィギュアスケートに限りませんが、特に五輪においては国の威信をかけて場合によっては力技(どんな技かは様々ですし、真実はやぶの中に押し込められることが

ほとんどなので具体例はあえて挙げません)を繰り出してでも限られたメダルを奪取しようと各国必死になることが度々です。

戦っているのは何も選手たちだけではない、これだけは現実逃避したがる平和主義の皆さんでも認めざるを得ないでしょう。

もしこれすら認めないとしたら、あまりにもスポーツの背景を知らな過ぎるとしか言えません。

 

昨年も夏季五輪がロンドンで開催されましたが、すべての競技で適正なジャッジがされていましたでしょうか?

それなりに見て居た方なら揃って「No!」と答えるはずです。注目度の高い夏季五輪ですらこの有様です。

ましてやマイナー競技で、ジャッジは国名おろか名前すら会場にいる観客以外には知らせず、またプロトコルにおいても誰がどの選手にどんな点を

与えたのかを全く明示しない競技なのです、フィギュアスケートという競技は。しかも採点の甘さ厳しさは大会ごとに大きく異なります。

どっぷりフィギュアにはまっている方よりも、むしろ一般のフィギュアを知らない人にシステムを説明すれば彼らははっきり言いますよ。

 

「フィギュアスケートっておかしいよ」

 

でも、平和主義者たちはよくこういう抗弁をします。「本当におかしいなら、なぜ選手がおかしいと言わないの? 言わないならおかしくないんでしょ?」

ほら、また忘れ(ようとし)ていますね。今度不祥事を起こしたら、フィギュアスケートは五輪競技から追放になることが言い渡されているんですよ

たとえ選手が納得できなくても、不服申し立てはご法度になっているのが暗黙の了解なのですよ。なぜなら自分のアクションが原因で、

フィギュアスケートが五輪から消えたら、競技として大きく衰退しかねないからです。そんな大きなリスクを、選手も関係者も負ってまで自分の主張を

通せますか? それがフィギュアスケートの現状です。

 

これでもまだ、「陰謀なんか存在せず、ジャッジは正しくてISUは正常に機能している」と言えますか? 言えるというなら、あなたは現実逃避して

お花畑に住んでいるに過ぎないのだと、私は思います。

 

 

今日は私にしてはかなりはっきりばっさりと、思うところを書き散らしました。うちは知る人ぞ知るブログなので、ビジターさんも少ないでしょうが、

どこからともなく今回ばかりは何か言われるかもしれませんね(笑)

拝聴する価値ある建設的なご意見なら、真面目に反応しますがひやかしや嵐は適当にしかいじりませんのであしからず。

ここまで書くのもそれなりにエネルギーを使いますので、不要なアクションは取りません。よほどの誹謗中傷でなければお返事しますがね。

 

以上、私にしては長文の記事にお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。