1945年 東京 上野動物園
上野動物園は日本で最初の近代動物園であり、
隣接する上野公園、周辺に配置されている美術館、博物館。
と市民の憩いの場が集中しているので、休日は人混みが激しい。
しかし、彼のような男。
諜報に身を置く人間からすれば実に好都合な場所で、
この国では何かと目立つ容姿と背丈も「外人さんの観光」で紛れ込むことができる。
「社長」
「やあ、階級で言わない約束を守ってくれたか、いいね。
いくら人ごみに紛れているとはいえ、この国の目と耳はすこぶる鋭いからね」
「ええ、現に貴方を監視する人間があそこ
――――学生のように見えますが、銃を担いでいた癖があるせいで右肩が上がっている。
視線はズレているように見えますが、視界の隅で我々を捉えられるよう細かく移動しています」
「今僕が食べているアイスを買った店の店員もだ、
純朴そうなオリエンタル的美女だが、懐に銃を隠し持っていなければなぁ」
互いに背中を向けてベンチに座り会話する2人。
1人は国家社会主義者で弧状列島から追われ、鉤十字の国家に拾われた男、島坂。
もう1人は頬に傷があるドイツ系の大男で、その名は。
「貴方が辻大蔵大臣と接触したその翌日からこの有馬様です。
お陰様で大使や武官までもが監視対象となって彼らは激怒しています、この始末どうするお考えでスコルツェニー社長?」
「この帝国のキーマンと伝手が出来たから已む得ないと強弁するさ、
それに伍長殿も提督閣下もこの程度は失敗と判断しないさ・・・一部の阿保が騒ぐ以外は」
島坂の問いに無類の冒険博打好きで、
ある世界では「ヨーロッパで最も危険な男」と評されたオットー・スコルツェニーが笑って答えた。
「それに成果はあった、そうだろ?」
「はい、貴方が敢えて大臣と直に面談したことで日本側の注意が我々から逸れました。
無論僅かでありましたが、銀座から出て来た少女が東京湾に浮かぶあの「長門」に乗船、そして赤坂離宮で宿泊したのを確認しました」
「海に浮かぶ軍艦は機密を守るには最高の場所だ、
そして離宮に移動させるとは余程の人間が銀座の門から来たようだな・・・。
つまり未だ世界が知らぬ門の向こうにいる国家と日本が外交を始めた、というわけか。
くく、彼との友情を利用する形になったが恨まないでくれよ、僕はスリルを楽しむ体質だからね」
仕掛けは簡単であった。
有名人となりつつあるスコルツェニーが日本の大臣と面談。
これにより、スコルツェニーは日本の諜報機関から最も警戒と注目を浴びる存在となる。
スコルツェニー自身への監視は強くなるが、それ以外はどうしても疎かになる。
ロマノフ王朝から伝授された秘密警察の諜報手腕を以ても、ほんの僅かであるが防諜に穴が開く。
殆ど賭け、というより博打な行動であったが、
運命の女神は常に勇敢な者を愛する傾向にあり、これに成功した。
「さて、この話はこれで仕舞だ。
あまり長居すると君の顔を日本人たちが覚えてしまうから、解散としよう」
「お言葉に甘えて・・・件の少女を映した写真のネガは何時もの場所に入れます、では」
スコルツェニーの事実上の命令に島坂は小さく頷くと、素早く立ち上がりその場から去った。
「・・・さてさて、楽しくなってきたな。
こちらでもしたのだから『21世紀の日本』でもファンタジー世界と秘密外交を始めたはずだ。
この情報を巡って銃や爆弾を使わない外套と短剣の戦いが始まる、最後に生き残るのは誰か?
劣勢ながら奮闘する我が祖国か?
首位を走り続けるこの弧状列島か?
あるいは英国か?
または未だ知らぬ21世紀の列強か?
楽しみだな、勝つのは誰だろうか?」
そう、スコルツェニーは童子のような笑みを浮かべた。