PEKOのTea Time

PEKOこと山崎浩子のブログです。
新体操の選手と同姓同名ですが、全くの別人です。

瓦礫・がれき!

2011-04-25 13:22:24 | Weblog
昨日は震災以来、初めて遠くに行きました。
栃木に用事があり、東北自動車道を走行。
支援物資を積んだ車や、お医者さんを乗せたバス、
ゴミ収集車や自衛隊の車両など、多くが被災地へ向かっていました。
私には被災地に行く機会もなければ、行くこともできない。
しかも、自分にできることは何もないと、情けなく思います。
自分の車に物資を積んで被災地に行く方は、ある意味すごい!
本当に真似のできないことだと、頭が下がります。

午後になって、いわき経由で帰ろうということになり、
東北道を北上し、磐越道でいわきまで行きました。
白河からは地震により80キロ規制と書いてあり、
パトカーも何台か走っていました。
福島に入ってから、傾いた家などが見受けられ、
高速道路の補修部分も多く、うねりもひどい。
これが地震の影響かと何となく納得。
スピードを出して走るのは危ないかと思います。

いわき四倉と常磐富岡は原発に近いため通行止め。
「いわき中央」で下りて海に向かいました。
地図がなかったため、とりあえず「塩屋崎灯台」を目指せば、
海の近くだろうと思ったのです。
そもそも目的は、いわきから親戚のいる北茨城まで走り、
状況を把握し、名古屋の姉に報告したいと言うのもありました。
小名浜もよく行く場所なので、どんな風になっているのか・・。

いわきは山の方から行くと、屋根の瓦がダメな家は多数ありましたが、
目立った被害がある家が少ないような・・・。
塩屋崎灯台と表示板があったので向かうと、途中から瓦礫の山が。
雨も降っていて暗かったこともあり、そこが海のすぐそばだと、
わからずにいました。
テレビで見ていたような瓦礫が道の両サイドにあり、
津波で運ばれてきたような、がらんどうの家や、
1階部分がつぶれているような家が多数。
その一画の数百メートルだと思いますが、驚くような場景でした。
がれきの光景にショックを受けました。
これが地震の爪あとなのか・・・と。
そういえば相馬に物資を届けに行った人が、
「想像していたよりもひどかった」という言葉を思い出しました。

その後、小名浜に向かうと、写真で見た光景が。
港に船が打ち上げられたまま・・・でした。
昔海産物を買った「ららみゅう」や水族館も被害は大きく、
まだ営業の目途は立っていないとのこと。
ヤマザキはここの水族館が大好きで、何回も行きました。
北茨城に入ると、平潟港、大津港の周辺は被害が多かったように思います。
ジャーナリストの蜷川さんのお墓も大津港のそば。
津波は来たかも知れませんが、今は引いているので大丈夫かと・・・。
がれきの山がある場所が、津波の被害があった場所というような、
目印のようで、見るたびに心が痛みます。
被害は家だけで、皆逃げて大丈夫だと良いなと希望的観測・・です。
親戚は北茨城の磯原市内。磯原も海際は津波の被害を受けたようです。
感覚的には茨城県より福島県の方が被害が大きいかも・・と感じました。

もっと津波被害の多い、宮城県や岩手県は、
確かに復興に時間がかかるのだと思います。
でも、まだ大きな余震が続いている状況。
精神的にも家屋的にも良くないと思われますので、
早く揺れが納まれば・・と思います。
「頑張れ!」なんて言葉は家を失くした人に言うべきではない・・かもと、
初めて瓦礫を見て、そう思いました。
ラリー関係の方も、石巻や気仙沼にいたようで、
家屋もラリーカーも、流されてしまったそうです。
「がんばれ!」でなく「あきらめないで!」の方が良いかも。

写真は海外のムール貝。
今回のブログの内容とは全く関係ありません。
悪しからず!






コメント (2)
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