昨日は震災以来、初めて遠くに行きました。
栃木に用事があり、東北自動車道を走行。
支援物資を積んだ車や、お医者さんを乗せたバス、
ゴミ収集車や自衛隊の車両など、多くが被災地へ向かっていました。
私には被災地に行く機会もなければ、行くこともできない。
しかも、自分にできることは何もないと、情けなく思います。
自分の車に物資を積んで被災地に行く方は、ある意味すごい!
本当に真似のできないことだと、頭が下がります。
午後になって、いわき経由で帰ろうということになり、
東北道を北上し、磐越道でいわきまで行きました。
白河からは地震により80キロ規制と書いてあり、
パトカーも何台か走っていました。
福島に入ってから、傾いた家などが見受けられ、
高速道路の補修部分も多く、うねりもひどい。
これが地震の影響かと何となく納得。
スピードを出して走るのは危ないかと思います。
いわき四倉と常磐富岡は原発に近いため通行止め。
「いわき中央」で下りて海に向かいました。
地図がなかったため、とりあえず「塩屋崎灯台」を目指せば、
海の近くだろうと思ったのです。
そもそも目的は、いわきから親戚のいる北茨城まで走り、
状況を把握し、名古屋の姉に報告したいと言うのもありました。
小名浜もよく行く場所なので、どんな風になっているのか・・。
いわきは山の方から行くと、屋根の瓦がダメな家は多数ありましたが、
目立った被害がある家が少ないような・・・。
塩屋崎灯台と表示板があったので向かうと、途中から瓦礫の山が。
雨も降っていて暗かったこともあり、そこが海のすぐそばだと、
わからずにいました。
テレビで見ていたような瓦礫が道の両サイドにあり、
津波で運ばれてきたような、がらんどうの家や、
1階部分がつぶれているような家が多数。
その一画の数百メートルだと思いますが、驚くような場景でした。
がれきの光景にショックを受けました。
これが地震の爪あとなのか・・・と。
そういえば相馬に物資を届けに行った人が、
「想像していたよりもひどかった」という言葉を思い出しました。
その後、小名浜に向かうと、写真で見た光景が。
港に船が打ち上げられたまま・・・でした。
昔海産物を買った「ららみゅう」や水族館も被害は大きく、
まだ営業の目途は立っていないとのこと。
ヤマザキはここの水族館が大好きで、何回も行きました。
北茨城に入ると、平潟港、大津港の周辺は被害が多かったように思います。
ジャーナリストの蜷川さんのお墓も大津港のそば。
津波は来たかも知れませんが、今は引いているので大丈夫かと・・・。
がれきの山がある場所が、津波の被害があった場所というような、
目印のようで、見るたびに心が痛みます。
被害は家だけで、皆逃げて大丈夫だと良いなと希望的観測・・です。
親戚は北茨城の磯原市内。磯原も海際は津波の被害を受けたようです。
感覚的には茨城県より福島県の方が被害が大きいかも・・と感じました。
もっと津波被害の多い、宮城県や岩手県は、
確かに復興に時間がかかるのだと思います。
でも、まだ大きな余震が続いている状況。
精神的にも家屋的にも良くないと思われますので、
早く揺れが納まれば・・と思います。
「頑張れ!」なんて言葉は家を失くした人に言うべきではない・・かもと、
初めて瓦礫を見て、そう思いました。
ラリー関係の方も、石巻や気仙沼にいたようで、
家屋もラリーカーも、流されてしまったそうです。
「がんばれ!」でなく「あきらめないで!」の方が良いかも。
写真は海外のムール貝。
今回のブログの内容とは全く関係ありません。
悪しからず!
栃木に用事があり、東北自動車道を走行。
支援物資を積んだ車や、お医者さんを乗せたバス、
ゴミ収集車や自衛隊の車両など、多くが被災地へ向かっていました。
私には被災地に行く機会もなければ、行くこともできない。
しかも、自分にできることは何もないと、情けなく思います。
自分の車に物資を積んで被災地に行く方は、ある意味すごい!
本当に真似のできないことだと、頭が下がります。
午後になって、いわき経由で帰ろうということになり、
東北道を北上し、磐越道でいわきまで行きました。
白河からは地震により80キロ規制と書いてあり、
パトカーも何台か走っていました。
福島に入ってから、傾いた家などが見受けられ、
高速道路の補修部分も多く、うねりもひどい。
これが地震の影響かと何となく納得。
スピードを出して走るのは危ないかと思います。
いわき四倉と常磐富岡は原発に近いため通行止め。
「いわき中央」で下りて海に向かいました。
地図がなかったため、とりあえず「塩屋崎灯台」を目指せば、
海の近くだろうと思ったのです。
そもそも目的は、いわきから親戚のいる北茨城まで走り、
状況を把握し、名古屋の姉に報告したいと言うのもありました。
小名浜もよく行く場所なので、どんな風になっているのか・・。
いわきは山の方から行くと、屋根の瓦がダメな家は多数ありましたが、
目立った被害がある家が少ないような・・・。
塩屋崎灯台と表示板があったので向かうと、途中から瓦礫の山が。
雨も降っていて暗かったこともあり、そこが海のすぐそばだと、
わからずにいました。
テレビで見ていたような瓦礫が道の両サイドにあり、
津波で運ばれてきたような、がらんどうの家や、
1階部分がつぶれているような家が多数。
その一画の数百メートルだと思いますが、驚くような場景でした。
がれきの光景にショックを受けました。
これが地震の爪あとなのか・・・と。
そういえば相馬に物資を届けに行った人が、
「想像していたよりもひどかった」という言葉を思い出しました。
その後、小名浜に向かうと、写真で見た光景が。
港に船が打ち上げられたまま・・・でした。
昔海産物を買った「ららみゅう」や水族館も被害は大きく、
まだ営業の目途は立っていないとのこと。
ヤマザキはここの水族館が大好きで、何回も行きました。
北茨城に入ると、平潟港、大津港の周辺は被害が多かったように思います。
ジャーナリストの蜷川さんのお墓も大津港のそば。
津波は来たかも知れませんが、今は引いているので大丈夫かと・・・。
がれきの山がある場所が、津波の被害があった場所というような、
目印のようで、見るたびに心が痛みます。
被害は家だけで、皆逃げて大丈夫だと良いなと希望的観測・・です。
親戚は北茨城の磯原市内。磯原も海際は津波の被害を受けたようです。
感覚的には茨城県より福島県の方が被害が大きいかも・・と感じました。
もっと津波被害の多い、宮城県や岩手県は、
確かに復興に時間がかかるのだと思います。
でも、まだ大きな余震が続いている状況。
精神的にも家屋的にも良くないと思われますので、
早く揺れが納まれば・・と思います。
「頑張れ!」なんて言葉は家を失くした人に言うべきではない・・かもと、
初めて瓦礫を見て、そう思いました。
ラリー関係の方も、石巻や気仙沼にいたようで、
家屋もラリーカーも、流されてしまったそうです。
「がんばれ!」でなく「あきらめないで!」の方が良いかも。
写真は海外のムール貝。
今回のブログの内容とは全く関係ありません。
悪しからず!