PEKOのTea Time

PEKOこと山崎浩子のブログです。
新体操の選手と同姓同名ですが、全くの別人です。

訃報!宮嶋眞申さん亡くなられました。

2019-07-12 08:14:22 | Weblog
WRCをはじめ、F-1や世界各国の、
モータースポーツシーンを撮影されていた、
カメラマン宮嶋眞申さんが昨日亡くなられました。
心臓が良くなかったこともあり、
昨日の午後、急逝されました。
昨日の夕方、訃報を聞き、
大変驚いたのと、悲しいのと、
ショックでした。

宮嶋さんは千葉の白子に住んでいて、
私たちは海沿いによく魚を食べに行きましたが、
その際は、いつもお誘いしていました。
楽しかったです。
ここ最近では2週間くらい前にお会いしたのが、
最後となってしまいました。

宮嶋さんは京都出身で、
モータースポーツの写真を撮られていて、
一時はフランスに住まわれていました。
宮嶋さんの写真は、一瞬の、
ハッと驚くものや、心を奪われるものもありました。
仕事の詳しい部分は存じ上げませんが、
繊細な写真とは裏腹な、
正義感の強い、毒舌家でもありました。

私が宮嶋さんに初めてお会いしたのは、
1992年のサファリラリーでした。
私にとって初めてのケニアで、
その年のラリー中に、強盗に襲われ、
車の下に逃げ込んだ宮嶋さんは、
犯人の車に腰の辺りを轢かれ、
重傷を負いました。
同じホテルに宿泊していたこともあり、
宮嶋さんのクリーニングや、
病院の食事のお世話もしたのを思い出します。
フランスに帰りたいとしきりに言っていました。

フランスが長いこともあり、
宮嶋さんも岩瀬も外人同士で、
よく言い合いもしていましたが、
外人同士のケンカのようで面白かったです。
その場だけのことで、後腐れもなく・・。
日本人として受け止めると、
イヤな人と誤解されがちですが、
言いたいことを言わないと気が済まないという、
性格の方だったのだと思います。
気のいい方で、よくガレージにも、
寄って頂きました。

晩年は写真のお仕事も減り、
どうやって生きていくか、
悩んでいたと思います。
心臓のカテーテル手術もしていましたので、
体調は気になっていました。

最後にもらったメールは一昨日の夜で、
「サファリラリー復活しそうだね」
と書いてありました。
実は忙しくて返信していなかった・・。
お返事をしなかったのが悔やまれます。

お疲れさまでした。
ご冥福をお祈りします。





コメント (2)
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