着付けの気づき

着付けの個人教室を行っている先生が、着付や着物に対するこだわりの思いを中心に語ります。

成人式着付け2025 新たな挑戦

2025-02-02 22:00:38 | 成人式

昨年の夏頃から左肩の痛みとそれによる可動域制限があるため、引き続き整形外科に通い続けています。

当初の見立てでは、
「じきに治る」
ということでしたので、
「引き受ける」
と伝えた成人の日とその前日の着せ付けのお仕事でしたが、予期せず良くなるどころか悪化し始めてしまいました。治療期間が長引くことを懸念された主治医からは、
「成人式のお仕事は受けない方がいいと思う」
と言われてしまいました。そのため最終確認の昨年10月には、
「一旦は受けると言っておきながら大変申し訳ありませんが、今回はご辞退したいです」
と申し出ました。
「わかった。無理をして川口さんの肩が壊れたら大変なことになるものね、兎に角良くなったら戻ってきて、今はリハビリを頑張ってね」
と優しいお言葉で励まされました。

いつもお世話になっているそちらの現場には、私の生徒さんたちを送り込むことになりました。その中で初めてお世話になる生徒さんがいらしたので、12月初めにご紹介がてら先方にご挨拶に行ったところ、社長より、
「川口さん、着せ付けはやらなくて良いから、この現場の総括やってくれないかな」
と言われました。総括のお仕事は仕上がったお嬢さまの仕上がりの総チェック、軽いお手直し、お嬢様に着崩れないように過ごす注意点をお伝えすること、ご不安などにお答えすること、万一クレームなどがあれば対応すること、現場の着付け師さんたちのフォローなどが主なお仕事です。80名ほどのお客様の大きな現場のお仕事が私に務まるのか否か不安になりましたが、受けることになりました。

当日は着付け師として入った生徒さんたちの頑張りを横で見守りながら、私も精一杯現場を動かしました。至らないことがあったかもしれませんが、今回お受けしたお嬢様全員のチェックをさせていただきながらお声掛けさせていただいた時には、着せ付けの仕上がりを皆さん満足されていると感じることができました。そのため、
「この現場のお仕事は成功したな」
と確信しました。全ての仕事が無事に終わり、その旨社長に連絡すると、
「有難う、この現場、川口さんにお願いして良かった」
と言われました。私としては初めて大きな現場の「全体を見る」という経験の場を持たせてくださった社長に本当に感謝しました。また、一生懸命お仕事される生徒さん達の成長を感じることもでき、頼もしく、また嬉しく思いました。

次は卒業式のお仕事が入ってきましたよ!
お互い頑張りましょう。
私も引き続き治療に集中していきます。

 

川口着付個人教室
 http://www.wbcs.nir.jp/~yoko

 

 

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着付け師が身体を傷めないためには

2025-01-16 22:14:01 | 着付け師

先日SNSで、ある着付け教室の先生が、ご自身の着付け教室のPRをされるショート動画が流れてきてたまたま見ることになりました。
その内容は、
「着付け師の方で、手や肘、肩、腰などを傷める方は着せ付けのやり方が間違っています。うちでは身体に負担をかけないやり方なので身体を傷めることはありません」
という趣旨のものでした。
身体を傷めるような無理な力のかけ方…というのは確かにあると思いますし、そんな動作は避けなければなりません。
私自身、右手、左手ともに指の腱鞘炎、そして右肩、左肩ともに負傷した経験があり、その都度医師や理学療法士にも相談しながら指、肩、肘などに負担をかけないように力加減を探ったり、力を入れる角度などを改善したりしてきました。
そして、それは左肩の治療中の現在も続いています。
肘を傷めていて通院されている生徒さんも居られるので、気をつけるべき動作については共有したうえで、身体に負担をかけない着付けの仕方を常に研究しています。
そして私なりに気をつけるべきことは改善し、新たなやり方を生徒さんたちに伝えてきています。
ですが、一方で、
「この動作をしていれば身体を傷めることは無いよ」
などという万全策は無いな、というのも実感します。
なぜなら身体は着せ付けだけに使っているわけでは無いということに加えて、生まれつき持っている筋肉や骨のつきかたや強さ、しなやかさの違い、また実際の仕事量、練習量の違い、また、年齢などによっても結果は変わってくると思うからです。
そもそも同じ動きをしていても身体を傷める人もいらっしゃれば傷めない方もいらっしゃるでしょう。
先日担当の理学療法士さんからは、
「理学療法士さんは腰を痛める人が多い」
とか、
「知り合いの理学療法士さんが五十肩になって大変だった」
と聞いたことがあります。
身体のことを学び、常日頃気をつけて過ごしているであろう理学療法士さんでも身体を痛めることがある位なのです。
またそもそも、現在私が患っている
「五十肩」
というのは、まだ原因のメカニズムすら良くわかっていないらしいですし、
私がかつて患った、
「腱鞘炎」
については、主治医の先生は、私の腱鞘が標準より細いらしく、
「これはなるべくしてなったね」
とも仰いました。
いずれにしても着せ付けは身体に負担をかける職種であることには間違いがありません。
それぞれの身体に応じて身体を壊さないように出来る術を見出していきたいものです。

 

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今度は肩関節周囲炎ですと?!

2024-12-20 23:13:08 | 肩関節周囲炎

右肩の腱板断裂術後1年が経過したことを書いたブログで、左肩にも痛みが出て治療をはじめたことを述べていました。左肩については、じきに治るかと思いきや、じわりじわりと痛みがきつくなり可動域制限が起こりはじめて、夜寝ている時にも痛むようなことが起こり始めました。

初めは「インピンジメント症候群」という診断でしたが、その後「肩関節周囲炎」いわゆる五十肩であるとの診断に変わりました。五十肩も、症状の軽いものから、重いものまであるようですが、どうやら私の場合、「重いもの」となってしまったようです。
「五十肩ごときで病院に通うなんて」
「五十肩は知らない間に自然に治るよ」
と仰る方も居られますが、症状が重いと、やはり病院のお世話にならなければ完治は難しいそうです。
そういう訳で、いまだに整形外科通いをしております。

左肩の疾患の発症理由については不明ですが、右肩の治療中に、どうしても右で出来ないことを左でかばうようなことをしていたことは容易に想像でき、左に相当な負荷がかかっていたのではないかと言われました。そして、左肩については完治には1年はかかるであろうという見立てとなり、またもや仕事が思うように出来ない状態になっています。なかなかの試練です。
確かに今まで着付けのお仕事やその他でも、手や肩を酷使してきたことには間違いがないので、それら身体の使い方については反省するところがありますが、医師には
「左肩についてはリハビリを頑張っていけば手術に及ぶようなことにはならないであろう」
と言われています。
右肩に引き続き、今度は左肩の治療…
「またか」
と落ち込みましたが、抗えない事実なので、ここにきて焦らず慌てず治療に向き合う覚悟を決めて、リハビリ通院と自主リハビリに励んでいます。

相変わらず痛みから着物を着ることどころか、洋服の脱ぎ着も不自由な状態ですが、着付けの教室の方は洋服着用で一部口頭指導をしたり、出張着付けのお仕事も生徒さんに助けていただきながらこなしています。こんな状態でも来ていただける生徒さんたちがいらっしゃることは有り難いです。生徒さんたち、家族や周りの皆さまに支えていただいていることに改めて感謝して
「きちんと治すこと」
に主眼を置いてこれからも腐らず治療に専念していこうと思います。

 

川口着付個人教室
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箪笥の肥やしにしておくなんて勿体無い!

2024-11-15 23:32:54 | 和裁

先日、私が和裁のサークル活動で通っている公民館の文化祭がありました。

こちらでは絵画、書道、生花…、その他さまざまな活動があり、それぞれ一年かけて作られた作品や活動の発表などを展示する場でしたので、我々のサークルも着物や帯などの作品の展示をしました。

それぞれの展示のブースには誰かしらサークルの担当者が付き、見にこられた方々からのお尋ねに答えたり、作品の紹介などをしたりしていました。私がその担当をしていた時のお話です。

 

ある年配数人の方々がブースに来られ、こう仰いました。

「素晴らしい作品ですねー。でも皆さん、こんなに着物や帯を作られてどうされるんですか? 私は着なくなった着物や帯をどうやって処分しようかと思案しているところなのに、こんなに作って、着ていくところがあるんですか?」

「私なんてこの間、不要な和服を売ろうと思ってリサイクルショップに相談したら二束三文なのね。こんなことならゴミに出したほうがマシだったと思ったわ」

「私、古い帯で鞄を作ったのよ。でも、そもそも古い帯だから、織り糸も弱っていて、折角苦労して作ったのに使っているうちにすぐに糸が擦り切れてきて、ダメになっちゃった」

「着物は洗えないしメンテナンスが大変よね」

「今度、公民館でバザーがあるからそれに出そうかしら」

 

こっちは好きで作って、自身が着たり身内に着せたりして楽しんでいるのに、何という言いようでしょうか。

ある意味、我々のような着物好きの人間以外の方々の、着物に対して持っている感情を聞けて勉強になったのですが、そもそも礼装用の着物を着る機会があまりないのは礼装用の洋服を着る機会があまりないのと同じことですし、普段着の洋服と同じように着物にも普段着となるものはありますし、普段にはそういうものを自由に着たら良いことです。

私はこのところ、自分用の、そして普段仕様の着物や帯ばかり作っていますので、そういった作品も出していました。来場者さまには、着物生地には洋服生地と同じように「洗える素材」もあることも話し、私が普段に着ている時の写真、またそれを楽しんでいる様子も見てもらいました。

 

私自身、最近、自分用にはメンテナンスの楽な素材のものばかり作っています。

例えば、礼装の場に着るようなものでも絹生地に似たポリエステルの生地だってあります。

来場者さまたちには、

「そういう素材もあるのね」

「そういう着こなし方もあるのね」

と言っていただけました。

出来ないこと、不自由なことばかりにスポットを充てていたら折角の日本文化も廃れてしまうのではないでしょうか。

 

着物は着てナンボのもの。

もう少し着物への凝り固まった先入観を捨てて、ファッションの一部として楽しむ方が増えたらいいのにと思いました。

 

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まずはきちんと鶴を折りましょう

2024-11-12 15:04:15 | 着付け教室

10月に入り、これから七五三シーズン。また来年1月には成人の日を迎えるので、現場に入られる予定の生徒さん達は技術磨きに一生懸命です。


着物の形は昔と変わらないとは言え、「装うもの」という意味ではファッションなので、衿合わせの角度、帯位置、また帯結びや帯揚げ、帯締めの整え方のアレンジ方法は微妙に変化、進化していたりします。
ですから、今のお嬢さまたちはどんな装いを好まれるのか、アンテナを高く張って、お客さまに喜んでいただけるようにしっかり対応出来るようにしたいと思います。


ある生徒さんには、
「先生〜、私、もしお客さまがこんなふうに整えて欲しいとか、こんな帯結びをして欲しいとか画像を見せられてもとっさには出来ない気がします…」
と言われました。
確かに、
「なんじゃこれ?一体どうなってるの?」
と思うようなアレンジを見ることもありますが、私としてはそれを再現できた時の喜びは、まるで学生の頃、難しい数学の問題が解けた時のような達成感を感じて、それらのやり方を読み解くのも好きなのです。しかし、限られた時間内で出来るようになるにはやはり相当練習しなければならないのだろうな、と正直思います。


でも、それらの難題を解くことが出来ないと着付けの仕事ができないのか?と言われればそれはちょっと違います。
例えば日本人で大人であれば折り紙で
「鶴を折ってください」
と言われて出来ないのは恥ずかしいかもしれませんが、
「カマキリを折って」
「ネズミを折って」
などと言われたとして、それらが折れなくても恥ずかしくはないですよね。折り紙を折るのに相当精通している方々が例えそれらを折れたとしても、仕上がりは折る人によってきっとさまざまだと思われます。
着付け師たるものも、出来ないと恥ずかしいという、昔ながらの「王道」の着方の「基本」をしっかり押さえて、それが当たり前に出来ることがまずは最も大切です。そしてその上の応用は感性や練習によるところも大きいと思います。


先程の例では、折り紙の大きさや色、素材によって、きっと「カマキリ」や「ネズミ」もそれぞれ違うものが出来ることが推測できるのと同じで、着せ付けの仕上がりも、着付け師によって、またお客さまのご衣装や小物の素材感によっても全く同じにはならないのだと割り切ることも大切です。
自分がお客さまにとって最良のデザイナーになるという意識と自信を持って、また、お客さまの気持ちに最大限寄り添うことが出来るように対応できることが大切なのではないかと感じます。
でも言葉で言うは易しで、常に研究していくことはやはり大切です。


「継続は力なり」
生徒さんも、私自身も、現場はしんどいことも多いですがお互いお客さまから喜ばれる仕事をして、楽しみながら精進していきたいと思っています。

 

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「質」と「量」の問題について

2024-10-02 17:38:58 | 着付け師

たまたまSNSで、大阪府の吉村知事と、サッカーの本田圭佑さんとの対談の一部が流れてきました。

その時語られていた内容は「質」と「量」の問題についてで、本田さんの発言を要約すると、

「量をやってない人間に質を語る権利はないと思っている。サッカーもそうだが、思いっきりたくさん練習することもせず、怪我もしてないような人間は、どのフェーズまでいったら疲れて怪我するのかもわからない。いっぱい動かないと質なんてわからない」

というものでした。

『確かに…』

私は、がむしゃらに着付けの練習をして様々な現場に出続けることで技術を磨き、漸くある程度自分の技術が定着しました。そして、どんな現場でも仕事上困ることがなくなってきて、仕事のやりやすさや楽しさを感じることが多くなってきたと思っていました。

本田さんが言うところの「質」を語るのはおこがましいかもしれませんが、それだけの「量」をこなしてきた自負はありました。

ですが、ここ数年で私の身体は悲鳴をあげ始めました。

左右の手の腱鞘炎で手術はするわ、右肩の腱板断裂で手術はするわ、現在は左肩の痛みでずっと不調続きです。つまり、本田さんがいうところの、より良い「質」を求めるために沢山の練習や仕事「量」をこなし過ぎてしまったのかもしれません。

私を診察されたどこの病院でも、それらの不調の原因は「加齢」と「使い過ぎ」と言われました。

「加齢」しかり。「使い過ぎ」しかり。自分自身でも思い当たる節がありすぎます。ここまで使うと身体に故障が出てくるのだな、と思ったのでした。 

今の時代なら、YouTubeなどをはじめとするSNSなどでは簡単に、しかもタダで着付けの技術の情報を取りに行けるので、それらを利用して量を伴わず質を改善してしまう人が沢山いらっしゃるかもしれません。私自身、自分なりに苦労して編み出した着付けの技術も、生徒さんたちには簡単に惜しみなくお教えしています。私の時代はSNSもなく、長い間現場の技術を教えてくださる方も居られず、

「技術は見て盗め」

などと言われる時代でしたから、仕事に集中すれば見ている暇などなく、結局わからず、悔しい思いも沢山しながら自分なりにトライアンドエラーを繰り返して技術を習得してきました。

ですが、

「簡単に教えてもらえたもの」は

「簡単に忘れてしまう」

こともあるな、と思うことも正直あります。私のように

「身体を壊すまで質を見極めるために量をこなせ」

と言うことはできませんし、それはある意味過りです。ですが、やはり、苦労して獲得したものというのは何事にも代えがたいものがあることを実感しています。

ですので、ある程度の量をこなした人でないと質を見極められないし効率性も上がらないのではないかという本田さんの意見には激しく同意します。

質を上げるには一定量の継続は不可欠。でも私のように心身故障しないために、指導者としてはバランスを考えながらご指導することも、今後はより一層大事だと思っています。

 

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フリーランスのデメリットについて

2024-09-13 15:41:36 | 着付け

先日インドネシアに赴任中の息子の家に初めて遊びに行きました。

既婚の息子には今年の3月に子供が産まれて、普段、息子は会社勤務中のお嫁さんと赤ちゃんと3人で暮らしています。お嫁さんは育児休暇取得中で会社のお仕事はしていませんが、会社からは給与の補填あるそうです。慣れない土地での子育ては本当に大変なのですが、自身の収入源があるというのは少しだけ羨ましいと思いました。

私が会社に入った頃は男女雇用機会均等法が施行されたばかりの時代でしたが、私が当時勤めていた会社も含め、多くの会社はまだ男尊女卑の部分が多かったです。それでも私は結婚して妊娠しても7ヶ月までは頑張って働いていましたが、出産後、保育園を予約することも至難の業でしたし、近くに支えてくれる親族も居なかったのでその後は会社を辞めることが自然な選択肢となりました。

結果専業主婦となり、子育てに専念することになったのです。

主人は、大方のサラリーマンがそうであったように朝早く出勤し、夜の帰りも遅かったので、家事と子育ては完全に私の担当となり、私自身が仕事に出るようなことは到底出来ない状況でした。当たり前の如く、私には収入がなく主人に養ってもらっていました。

学生時代までは男女も平等で同等に働くべきだと教育されていたのに、周りの環境は追いついていないし、何より、自身が社会と切り離されて、私は子育てと家事を無償でする以外は誰からも何も評価されず、社会の中では何も価値がない人間なのではないか、でもそうではない、私はここにいるんだと言える何かが欲しくて、もがきながら自分は

「川口さんの奥さん」

「〇〇くん(子供の名前)のお母さん」

以外の、社会とつながっているという証が欲しくて常に模索して過ごす日々でした。

そもそも今の着付けのお仕事はそんな葛藤の中で始めたのでした。

さて、現在私はその頃から続けてフリーランスの着付師、着付け講師として仕事をしています。30年近く一生懸命着付けの分野の技術や知識を磨いてきました。がむしゃらに育児も家事も仕事も頑張ってきました。

ですが、5年ほど前から更年期症状が出始めたり、3年前から『左右の手の指の腱鞘炎』そして昨年は『右肩の痛みから腱板断裂』をわずらったりしました(それぞれ手術しましたそして今度は『左肩の痛み』が発症していて治療中です。着物をきちんと着る、着せるということが意外と力仕事or体力勝負であったんだということを思い知らされます。

そして、悲しいかな、身体の不調の度に私の仕事が思う存分出来ないという状況になっています。私の仕事は実際身体を動かさないとお仕事ができない職種です。長い不調が続く中、一体いつになったら思い切り仕事が出来るようになるのでしょうか…?

そういう先の見えない時期が、精神的にも大変な苦痛であるということを実感する日々です。

また、着付けのお仕事をするだけでなく、フリーランスのお仕事をされている方々全般の地位を向上させて、安心して働けるようにするアクションができないものかとも考える今日この頃です。

 

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腱板断裂手術後1年が経過しました

2024-09-04 14:49:32 | 腱板断裂
右肩腱板断裂の手術をして丸一年が経ちました。
少しずつですが、後ろに手を回し、上にあげることが出来るようになってきています。目標の、
「肩甲骨あたりまですんなりとあげられるようになる」
にはもう一息といったところまできて、何となく先が見えてきました。

さて、ここで新たな問題が発生してきました。
何と、今度は左の肩が痛み出してきたのです。
実は少し違和感を持ち始めたのは右肩の術後10ヶ月が経過した頃です。
約一年前、右肩の手術が決まった際に整形外科では左肩の超音波検査もしていたのですが、その際
「左肩の腱も少し切れちゃってますね」
と言われていました。
それを告げられた時は大変ショックでしたが、肩の腱板は加齢で自然に切れているような人も多く、また、切れているけれど、痛みが出ない状態で過ごしている方が多いこともネットの情報として知っていました。
兎に角右肩を治して、左肩に関しては断裂が広がっていかないように気をつけて痛みが出ないように過ごしたいと考えていました。
なのに…、です。

そもそも腱板が少しでも切れてしまうと自然に治るということはほぼ無いということも知っていましたので、気をつけて過ごして、それでも痛みが出てきた時は温存(痛みを軽減させるリハビリをして手術を回避する)療法などを試すことなく手術で根本的治療をしてもらおうと考えていました。
ですが、まさかその日がこんなに早く来るとは思いもしませんでした。
そして、この度痛み出した左肩も手術をしてもらうことになればまた半年や一年、或いはそれ以上は着付けの仕事が思うように出来ない期間が出来ることが確定した訳なので正直本当に落ち込みました。
ですが、
左は利き手ではないので、右に比べれば不自由になる度合いは少ないかも知れませんし、今や右肩を手術した経験はある訳なので、どのように回復していくのかは経験済みです。
この際、左も手術でしっかり治していただこうと決心しました。

実は右肩を診ていただいてきた病院の対応には色々と不満がありましたので、左肩が痛み出すようなことが起こってきたら病院を変えてみることを考えて前々から色々な方に相談して情報収集をしていました。
結果、主人の知り合いの医師に紹介していただいた先生がいらっしゃる病院に行き左肩のMRIを撮っていただいたところ、
「(左の腱板は)切れてないよ。これ、リハビリで治っちゃう。超音波で切れてるって言われたの?普通は超音波で調べて怪しい、となった時にMRIで調べるんだよ」
「切れてない。間違いない」
「リハビリは週に1回位通ってもらわなくちゃならないだろうけど、もう少ししたら思う存分仕事が出来るようになるよ。大丈夫だ!」
と言われました。
「え?切れてないんですか?」
手術を覚悟して伺っていたので、あっけにとらわれました。
打診されていた、成人の日の着せ付けのお仕事や、来年度の美容学校の和装技術の講師としてのお仕事も、お断りしなければならないと思っていましたが念の為その点も尋ねたところ、
「出来ると言っておいていい」
と言われました。
何と頼もしいお言葉。
今まで、悶々と、前に進めないでいた私の目の前の霧が一気に晴れ、大変有難く思いました。
嬉しくて涙が出ました。

そういう訳で暫くはまた整形外科でのリハビリに通わなければならなくはなりますが、左右の肩共ども、心配なく仕事に復帰できるような肩になるようにもう一踏ん張り頑張りたいと思っています。
 
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着付け教室と呉服屋の関係について考える

2024-08-23 21:27:36 | 着付け教室

着付け教室に通うと、呉服類の展示即売会的な催しや織元などを訪ねる旅などに誘われて、

「高価な着物や帯を買わなければならなくなる」

と聞きます。

多くの方が悩まれていることなので私の考えを一つ。

ぶっちゃけますと、大手の着付け教室は、良い悪いという問題では無く事実として呉服屋や織元、悉皆業者などと繋がりを持っていることが多いです。なぜなら、そのような大手は、着物を着たい、着せたいと思っている人が多く集まってきているので当然大きな購買の需要があるからです。そしてそこでは着付け教室も呉服屋もお互いに仕事をもらいような、win-winの関係が成り立っています。

着付けを習いに教室に通い着物や帯が必要になった場合、その教室に付き合いのある呉服屋などの紹介で、自ら欲しいものがみつかって、その金額に満足ができる買い物が出来る場合は大変良いことですでも、正直買う側にとってみると安い買い物ではないが為に、負担になることも少なからずあります

「教室とのお付き合いの為に買わざるを得なくなる」

とか、挙げ句の果てに

「何も買わないでいるときちんと教えてもらえなくなる」

ような気持ちが起こると、着付け教室に通うことそのものが苦痛になる方も出てくるのは仕方がないことかと思います。

かくいう私も着付け学院に通っていた頃は展示即売会的なものに案内されたことはあり、確かに素敵なものであるには間違いがないのだけれど、かなり高価なものなので、

「兎に角早く技術を習得して教室に通うのをやめたい」

などと思ったものです。

純粋に

「着付けができるようになりたい」

と思った方々が、そんなことで嫌な思いをしなくて済むように私の教室では敢えて

「呉服屋や織元などとの繋がりを持たない」

ということを徹底しています。

ですが一方で、呉服類を作る側、売る側の仕事をしている方々にとってみれば売れないと生活がままならなくなりますし、ひいて業界全体の技術も廃れてしまうことにもなりかねません。

私のような仕事をしている者や着物好きの人間が買ってあげないと、この業界自体がなくなってしまうのではないかと思うこともしばしばです。

また、着付けの仕事を取ってくるには大手の呉服屋やレンタル衣裳屋の営業力に頼らない場合、私自身独自に、それ相応の結構な営業をしなければなりません。個人での営業は大変です。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たずで、実は根深く、大変難しい課題だと思っています

 

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自分で着物が着られるのにプロに着付けを頼むということ

2024-08-21 22:10:57 | 着付け

最近、ある着付け講師の先生が、

「礼服着物の着用シーンの際、私はお金を出してでも着付け師に着せてもらった方が絶対にいいと思う。自分も勿論着られるが、その着姿は着せてもらった仕上がりには叶わない」

と仰っていました。

『確かに、一理あることよね』

と正直今の私ならそう思います。

私はもともと自分で着物が着られるようになりたくて着付けを習い始め、着物を着ることができるようになってからは礼服着用シーンであろうとなかろうと自分で着てきました。

つまり長いこと私自身は、

「自分で着ることができるのにわざわざお金をかけて着せてもらうなんてあり得ない」

と思っていました。

ですが、ここ10数年くらい前からか、着付け師として着付けの現場で自身が仕事をしたり、着物のスタイルブックなどを見たりするにつけ、きちんと着せてもらったお客さまやモデルさんは本当にお皺一つなくとても美しい仕上がりとなされているのに気づきました。当時の私には持ち合わせていなかった数々の着せ付けの技術にショックを受けて、現場で活躍される着付け師の先生にその技術を教わりに行くことになったのです。

そこでは昔からその時まで私が習ってきた着せ付けのやり方が全否定されるくらい、当時の私の技術が現場のそれと大きく違っていることに衝撃を受けました。

「日本は昔、みんなが着物を着てきたのだ。着物を着たり着せたりすることは日常のことなので着付けは技術ではない」

という考えももはや昔の考えで、昔の着方、着せ付け方しか出来ない状態では

「着付け師」

としては正直通用しない現場もあるようなことにまでなってしまっています。

また、更に細かいことを言えば、着物を着るシチュエーション…例えば撮影なのか、撮影ならどんな動きを想定するのか、特にどこの角度から美しく見えるような仕上がりにすべきなのか、お出かけなのか、お出かけ先はどんなところなのか、どんな立場で参列し、どんな動きをすることを想定するのかなどなどで着せ付けの技術も変わり、またその技術も進化しているのが現状です。

仕事をしながら周りの同業者たちと切磋琢磨して常に技術を磨いて最新の技術にリセットするようなことも必要で、学びに終わりはありません。あまり現場に出ていない着付け講師や着付け師の中にはこの、シチュエーションによる着付け方の違いを知らないで仕事をしている人も少なからずいらっしゃるかもしれません。

そして、美しく着せたいと思う気持ちは、自分自身も美しく着たいという気持ちにも当然繋がります。

ですが、やはり自分の全身の姿は自分では見えないし、悲しいかな、

「自分で着物を着る」

という動作によって着崩れるということもあります。そんなことから着姿は、

「自分で着るより着せてもらった方が綺麗だ」

ということになるのかもしれません。

「しかるべき時は人に着せてもらったほうがいい」

という考えは、そのようなところからもきています。 

しかし一方で、私は自分自身が着る時については、長時間着ていて楽なことを大変重視するのですが、そちらに関しての最良の着付け師はやはり自分自身だと思っています。自分自身の腰紐を締める心地よい位置、帯を巻く心地よい位置、それぞれを締める最適な力加減などは、やはり自分が一番よく分かっています。 

最近、私の着物の着用シーンは自分が主役であることは殆どなくなっています。それでも一張羅としての着物を着たい時に天候が悪かったり、炎天下のなか移動しなければならなかったりする場合は、私は動きやすい洋装で現地の式場やホテルなどの更衣室に赴き、涼しいところで着替えをするということを非常に良くやります。

自分で着れれば着付け師とともに移動しなくて済むのもメリットです。

いずれにしても、私自身は自分で着る技術を持っていて良かったな、と思ったことが数知れません。

これからもどんな時も自分で着たいと思っています。

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