今から34年前の昭和61年に、言わば善光寺のウラ山とも呼べるZ山の
有料道路の開通が原因の一端とされた大規模な地滑りが
下部の高級住宅地を襲い、老人ホームの住人を含む
26人の死者を出すという大きな出来事がありました。
(地滑り直後)
(防災工事完成直後)
その跡地に整備された"防災メモリアル"の副題が付いたZ公園が
今回のトレッキングコースのスタート地点(標高554m)です。
そのほぼ直下、直線にしたら200mも離れていない場所に
今は二女が住む当時のマイホームがあるのですが、現在の我家からだと
この地点までは急坂を上ったりして2.5㌔の距離になります。
(公園への道路は当時の有料道路の一部。盆地を一望できる)
(現在。ローラー滑り台・アスレチック等あり)
(公園最上部にあるトレッキングコース入り口)
("健脚コース"以外の斜度は緩やかです)
のり枠やアンカーでの防災工事がされた斜面は現在、植林された
広葉樹林になっていて距離2.5㌔、標高差160mを上った所に残る
かつての"夢の痕"まで往復2時間もあれば充分です。
私が小学生だった昭和30年代の観光開発により設置された
ゴンドラロープウェーの乗場駅舎には、その規模が全国一と言われた
鉄筋の食堂、標高720mのZ山山頂駅周辺には動物園・遊園地
観光リフトその上さらにスキー場まであったのです・・・。
(面影すらないTバーリフト1本があったスキー場跡地)
高度成長時代となる40年代には、さらに奥の飯綱・戸隠高原に通じる
この有料道路が開通し、マイカー普及とともにZ山は
単なる通過点になってしまい急速に衰退した経緯があります。
帰りはこのコースを外れ遊歩道とされている山道を下ることに。
標高600m、30分も経たずに目の前に現れる景色がこれ。
「謙信物見の岩」と呼ばれ地元では有名な岩場です。
さらに下り善光寺納骨堂・雲上殿のすぐ横に出て
来た時の逆を辿って自宅に帰り着いたのは4時間後、距離は8.5㌔で
古き良き時代の遺物を懐かしんだ山歩きになりました。