保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

神や仏は何をしている !?

2020年09月09日 | 私と新型コロナ

不動明王、薬師如来、鍾馗(しょうき)など、詳しい知識は
これまで持ち合わせていませんが、古くから「無病息災」「疫病退散」
「厄難消除」等の効力があるとされる神や仏も新型コロナの
蔓延を予め抑えることはできませんでした。

にも拘わらず、最近のTVニュースで見ました。

「終息祈願」

多くの民衆は年の初めに初詣と称して馴染みの神社仏閣を訪れ
「新年の無事と平安を祈願」なさったにも拘わらずそのご利益はなく
2カ月後にはこの疫病&厄難の真っ只中に放り込まれました。。。

さらに"さざ波"であるほど沈静化が楽なことは世の厄難の常なのに
抑えきれずに第1波、第2波と大波になった後でその神仏に
終息を懲りずに祈願する神経がどうにも
理解できません。

(注)これを聞いて、ご利益があったからこそこの程度の
被害(感染者数や死者)で済んだと思われたり、少なくても本人が
罹らないのは〇〇様(神や仏)のお陰に違いないと信じられる方は
以下をお読みになる必要はまったくありません。


その上、初詣の60%を占める70歳以上の(信心深い)高齢者は
"コロナが重症化し易い"、片や「ほとんど行かない」が
75%を占める20歳未満の若者は"無症状または軽症で済む"
この無慈悲な現実を神や仏はどう説明するのでしょう?

とは言え、医療に今ほどの病気回復の期待が持てなかった頃の
人々の頼りは正に宗教だったことは歴史が物語っています。

発達していない医療の下で疾病からの回復を願い、またいつまで生きられるか
分からない不安を抱きながら劣悪な社会環境の辛い現世を暮らす中で
死後の天国や極楽・浄土に生まれ変わることを望み
宗教に期待が集まったとされているのです。

10数年前に実際に経験したことですが
大正末期に開祖された「〇波之光」なる神道系新興宗教の
大規模な竣工式を覗ける機会があった際、その教祖たる人物を前にした
信者代表の挨拶は竣工とは何ら関係のない「誰も直せなかった病が直った」等
"不治の病"からの生還話が数人続き、参加者全員がその話が終わるたびに
拍手とともに定型の称賛の声を挙げるというもので、なるほど
信者にとっての最大のご利益は不治(かどうか?)からの
救済なんだと強く認識したことがあります。

ところが現代、定期健診等の予防医学を含んだ医療の発展に伴い
多くの病人の拠り所は病院や医者に移ったとされ、同時に社会環境が
整ったこともあり昭和22年以降、平均寿命は飛躍的に
伸び続け、今ではゆうに男女ともに80歳台に達し
健康寿命でさえ70歳台です。

結果として良い悪いは別にして、その気になりさえすれば
医療と上手く付き合うことで健康~疾病~介護~死に至る今後の
人生設計が出来るようになり、また死の直前まで医療が関わることで
この計画を共にこなすことが生きることであり死ぬこと
そのものになっていると言えます。

これはつまり漠然とした死に対する精神的不安・恐怖などを通して
宗教が入り込む余地が減少したことを意味します。

なお、宗教に入信する動機は時代とともに変化しますが
主な3つは病気・貧困・家族関係と言われます。

そんな時代背景の中で今回のコロナ騒動は勃発しました。

基本的に宗教は、信者のマインドコントロールをすると同時に
主宰者のカリスマ性を維持するためにも大切な役目を負う
集会によって成り立つものであり、三密、特に密集を
回避しなければならない状況下ではその活動に
大幅な制限が加えられることになります。

つまりその昔に民衆が自ら信じる神や仏の前に集い
同じ"何か"を唱和したり所作をしながら、ただ偏に祈る姿は
(表面的には)今は見られません。

そして日本では今、江戸時代に意図して作られた葬式仏教の
多くの町寺は、収入の柱である葬式や法要を執り行うことさえ
自粛要求されるのですからこれはまさに死活問題です。

一方、多くの信者(とされる)とインバウンド需要がお金を落とす
有名処の神社仏閣は、疫病・厄難を予め防げなかったことを棚に上げた
「終息祈願」などでメディアに取り上げられ、その宣伝効果により
外国人までは無理にしても、外出自粛に伴って激減した
参詣客を呼び戻そうと必死です(そう見えます)。

ちなみに、僧侶・宮司を含めた神社仏閣を信仰の対象とするか
または伝統と文化の遺産とみなした観光地に過ぎないかは
日本では現在、混在して曖昧とされます。

このように、葬式を含めた一連の儀式などしなくても
または(そこまでは出来ないが)充分長生きした大往生で
深い悲しみも少ないので適当に端折って簡略化しても、他方
遠方から高額な出費をしてわざわざご利益が期待できそうもない
神仏参詣などしなくも、つまりは宗教にそれほど深く関わらなくても
現代社会の生活は充分成り立つことを多くの民衆が知ってしまうことは
このコロナ禍がもたらす日本での隠れた被害になるのかも知れません。

 

【お願い】

すでに離檀・墓&仏壇仕舞いまで終わらせた無宗教の一個人による
独断的な感想・見方に過ぎず、何よりもここを議論の場にする気は
毛頭ないのでコメントは求めていません。
それでも頂いた回答や解説などは、内容により
「未公表」
にさせていただくことをご了承ください。

コメント
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