靖国神社に集まる人の考え方はこんな感じです・・
先の戦争はABCD包囲網によって追い込まれた日本が仕方なく行ったもので、
日本の意地をかけた聖なる戦いであった。
戦わずして負けるは恥であり、あってはならない。
その意地のために死んだ人たちのおかげで今の日本の繁栄がある。
国の交戦権は、国として真っ当な権利であり、
それを責める不当な東京裁判は認められない・・。
自存自衛の戦いであった・・。
日本魂、その崇高なる精神を守るがために戦った英霊たちに続け!!
・・・靖国神社と言う宗教団体はそう主張している。
########
日本は自由な国だ、このように偏った考えを持つ宗教法人の存在も、
信条も、小泉の言うように自由であり、認められる
(しかし国の責任者である首相が何をしてもいい自由なんて無いのだが)
一宗教法人なのだったら、自由にしていればいい、
分祀だってする必要ない。
全部かぶって偏狭な宗教団体として存在していけば良いと思う。
しかし、靖国神社は一宗教法人では納まらず、国を挙げての追悼施設になりたいのだ。
元々の立場がそうだったから、当然だと思っている。
そんなことは認められない。靖国神社になぞ任せられない。
国は民間・軍人を問わず、先の戦争でなくなった人々を偲び、平和を祈念する
別の施設を作るべきだ。
靖国は靖国で存在すればいい、していけばいい。
でもそれは一宗教法人としてのみの存在だ。
どうしたって影響力のある宗教団体に、国家の長が参拝することは、
一宗教法人を超えた存在へとズに乗らせてしまう。
それどころか、また国が過ちを繰り返す「遡上」となっていくに違いない。
既に見え始めているではないか、急ぎ断ち切るべきだ。
過去の政治家や日本人たちが曖昧にしてきた果てが今回の靖国参拝で、
小泉首相の信じられない「ねじ伏せ論理」を許したのであろう。
靖国に集まる人々は、先の時代を懐かしく思う人々。
自分たちの生き方を間違っているとは言われたくないだろう。
戦争に負けなければ正しかったはず・・
「遊就館」とはその想い(怨念)を展示している場で、
靖国神社とはその怨念が集まっている場所であると思う。
死んだ彼ら英霊のおかげで今の日本があるのではないよね。
死んだ彼らはまさか、こんな現在の日本を思い描いて死んだわけじゃないでしょう?
当時のあの窮屈な体制が続くことを望んで死んで行ったのです。
国のために命を捨てよう!
大切な人を守るためといって命を散らす!
そんなことが立派だと言われる時代には決して戻ってほしくない。
大切な人を守るためには遠く離れちゃダメだ、近くにいなくては!!
靖国に集う人々は、戦後60年も経った今もなお、
戦争の恩給や遺族年金をもらっている人たちでもある。
経済的な恩恵を受けている点というのも見逃せない。
この恩給を今までも、また今後も継続させることを餌に
自民党の有力な集票組織となって来ていて、その上に小泉の5年も、
これからの安倍の基礎へとつながっている。
同時に自民党への強力な圧力組織として機能している。
そういうシステムが思想と金で結びつき組織を堅固にしている。
そして、今はナショナリズムを煽ることによって若者の信徒を増やしているようだ。
遺族は高齢化、若者の取込は必須だ。
何も知らない若者に偏った歴史観を刷り込んで行く。
小林よしのりのゴーマニズム宣言と安倍晋三の本が遊就館の売店で山積みに
売られていて、多くの若者が立ち読んでいた。 恐ろしい光景だった。
現代史を勉強させず、戦争が悪いとだけ教えられ、
何が日本をあの戦争へと邁進させたのか? そのことを教育せずしてきた。
そんな歴史を知らないでいる若者の隙を付け込んでいく。
初めて聞く歴史にすんなり理解しちゃうそうだ。
スポンジのようにどんどん吸収して簡単になびくのだと言う。
妙な愛国心を植えつけていく。
めちゃくちゃな主張を押し通した小泉だが、今回福田が出馬を見送った理由が見えてきた。
今回の総裁選挙において福田ら反対勢力を一掃しようという動きがあったらしい。
郵政解散を思い起こす・・
議論さえ出来ない抗争へと持っていく毎度の小泉のやり口に恐れをなした福田らは
出馬を止めたらしい。
自宅まで燃やされた加藤議員、
これも小泉の威を借る右翼が行ったそうだが、こんなことが許されていいのか?
226と同じではないか?
国民全体に対する暴挙だ。
そのことを私たちは真剣に考えなければ・・。
福田が立てなかった今、
加藤さん、今、奮い立つならば・・!そんなことを思うのだが・・酷だろうか。
最後に「遊就館」出口には感想を書くノートが数多く置いてあり手にとって見ると
8割がたは展示を肯定的にとらえ、英霊にたいする感謝が書かれていた。
2割ほどだろうか、それに反対する意見もしっかり書かれてあった。
先の戦争はABCD包囲網によって追い込まれた日本が仕方なく行ったもので、
日本の意地をかけた聖なる戦いであった。
戦わずして負けるは恥であり、あってはならない。
その意地のために死んだ人たちのおかげで今の日本の繁栄がある。
国の交戦権は、国として真っ当な権利であり、
それを責める不当な東京裁判は認められない・・。
自存自衛の戦いであった・・。
日本魂、その崇高なる精神を守るがために戦った英霊たちに続け!!
・・・靖国神社と言う宗教団体はそう主張している。
########
日本は自由な国だ、このように偏った考えを持つ宗教法人の存在も、
信条も、小泉の言うように自由であり、認められる
(しかし国の責任者である首相が何をしてもいい自由なんて無いのだが)
一宗教法人なのだったら、自由にしていればいい、
分祀だってする必要ない。
全部かぶって偏狭な宗教団体として存在していけば良いと思う。
しかし、靖国神社は一宗教法人では納まらず、国を挙げての追悼施設になりたいのだ。
元々の立場がそうだったから、当然だと思っている。
そんなことは認められない。靖国神社になぞ任せられない。
国は民間・軍人を問わず、先の戦争でなくなった人々を偲び、平和を祈念する
別の施設を作るべきだ。
靖国は靖国で存在すればいい、していけばいい。
でもそれは一宗教法人としてのみの存在だ。
どうしたって影響力のある宗教団体に、国家の長が参拝することは、
一宗教法人を超えた存在へとズに乗らせてしまう。
それどころか、また国が過ちを繰り返す「遡上」となっていくに違いない。
既に見え始めているではないか、急ぎ断ち切るべきだ。
過去の政治家や日本人たちが曖昧にしてきた果てが今回の靖国参拝で、
小泉首相の信じられない「ねじ伏せ論理」を許したのであろう。
靖国に集まる人々は、先の時代を懐かしく思う人々。
自分たちの生き方を間違っているとは言われたくないだろう。
戦争に負けなければ正しかったはず・・
「遊就館」とはその想い(怨念)を展示している場で、
靖国神社とはその怨念が集まっている場所であると思う。
死んだ彼ら英霊のおかげで今の日本があるのではないよね。
死んだ彼らはまさか、こんな現在の日本を思い描いて死んだわけじゃないでしょう?
当時のあの窮屈な体制が続くことを望んで死んで行ったのです。
国のために命を捨てよう!
大切な人を守るためといって命を散らす!
そんなことが立派だと言われる時代には決して戻ってほしくない。
大切な人を守るためには遠く離れちゃダメだ、近くにいなくては!!
靖国に集う人々は、戦後60年も経った今もなお、
戦争の恩給や遺族年金をもらっている人たちでもある。
経済的な恩恵を受けている点というのも見逃せない。
この恩給を今までも、また今後も継続させることを餌に
自民党の有力な集票組織となって来ていて、その上に小泉の5年も、
これからの安倍の基礎へとつながっている。
同時に自民党への強力な圧力組織として機能している。
そういうシステムが思想と金で結びつき組織を堅固にしている。
そして、今はナショナリズムを煽ることによって若者の信徒を増やしているようだ。
遺族は高齢化、若者の取込は必須だ。
何も知らない若者に偏った歴史観を刷り込んで行く。
小林よしのりのゴーマニズム宣言と安倍晋三の本が遊就館の売店で山積みに
売られていて、多くの若者が立ち読んでいた。 恐ろしい光景だった。
現代史を勉強させず、戦争が悪いとだけ教えられ、
何が日本をあの戦争へと邁進させたのか? そのことを教育せずしてきた。
そんな歴史を知らないでいる若者の隙を付け込んでいく。
初めて聞く歴史にすんなり理解しちゃうそうだ。
スポンジのようにどんどん吸収して簡単になびくのだと言う。
妙な愛国心を植えつけていく。
めちゃくちゃな主張を押し通した小泉だが、今回福田が出馬を見送った理由が見えてきた。
今回の総裁選挙において福田ら反対勢力を一掃しようという動きがあったらしい。
郵政解散を思い起こす・・
議論さえ出来ない抗争へと持っていく毎度の小泉のやり口に恐れをなした福田らは
出馬を止めたらしい。
自宅まで燃やされた加藤議員、
これも小泉の威を借る右翼が行ったそうだが、こんなことが許されていいのか?
226と同じではないか?
国民全体に対する暴挙だ。
そのことを私たちは真剣に考えなければ・・。
福田が立てなかった今、
加藤さん、今、奮い立つならば・・!そんなことを思うのだが・・酷だろうか。
最後に「遊就館」出口には感想を書くノートが数多く置いてあり手にとって見ると
8割がたは展示を肯定的にとらえ、英霊にたいする感謝が書かれていた。
2割ほどだろうか、それに反対する意見もしっかり書かれてあった。