何年か前に、教員免許を取りたいので指導して欲しいという若者の訪問を受けたことがあります。彼の主眼は、小中学校の算数・数学・理科はまるきり分からないので、国語と社会だけで何とか合格できないだろうかという点にありました。私は、そういう人は免許を取るべきではない、と答えた上で、「ところで何をしているのですか?」と聞いたところ、何と「○○小学校教諭です。」と答えたのでした。
では、どうやって教師になったのかと聞くと、父親が××先生―地元のボスですね。―の後援会長なので、その力でなれたとのことでした。
日本全国全てがこうだ、とは思いませんが、かなり多いのではないでしょうか。民間の塾だったらば、なまじ学歴優秀で、出来の悪い子供の気持ちなど理解しようともしない人よりも、こうした人の方がいいかも知れません。ただ、それにしても最低限度の理解力さえなければ、せいぜいのところ、群盲象をなでるということにしかならないでしょう。
政治屋の圧力で公務員人事がひどく左右されるということも多いでしょう。しかし、教員採用という問題は、次代を担う人材を養成するという大事な任務の担い手の選抜という問題でもあります。ことは政治屋の一存―彼に幾ら寄付できるか?―などによって左右されてはならないのです。
日教組弾圧に汲々としている自民党政府が、他方では、自分たちの旗振りをしてくれる者の馬鹿息子・馬鹿娘を糞教師に仕立て上げてもいるのです。こうした背景を見据えなければ、学校荒廃や創造性劣弱化などの問題を真に解決することは出来ないだろうと思います。
では、どうやって教師になったのかと聞くと、父親が××先生―地元のボスですね。―の後援会長なので、その力でなれたとのことでした。
日本全国全てがこうだ、とは思いませんが、かなり多いのではないでしょうか。民間の塾だったらば、なまじ学歴優秀で、出来の悪い子供の気持ちなど理解しようともしない人よりも、こうした人の方がいいかも知れません。ただ、それにしても最低限度の理解力さえなければ、せいぜいのところ、群盲象をなでるということにしかならないでしょう。
政治屋の圧力で公務員人事がひどく左右されるということも多いでしょう。しかし、教員採用という問題は、次代を担う人材を養成するという大事な任務の担い手の選抜という問題でもあります。ことは政治屋の一存―彼に幾ら寄付できるか?―などによって左右されてはならないのです。
日教組弾圧に汲々としている自民党政府が、他方では、自分たちの旗振りをしてくれる者の馬鹿息子・馬鹿娘を糞教師に仕立て上げてもいるのです。こうした背景を見据えなければ、学校荒廃や創造性劣弱化などの問題を真に解決することは出来ないだろうと思います。