昨日 M新聞の夕刊で
「心に縦軸を持たないと自分を表現できない」という見出しに目が留まった。
心に響く表現だった。
流派に寄らず 花をいける「花人」と称する方のインタビュー記事
見出しではなく、記事の中では
「心の中に歴史や伝統という縦軸をもたないと、自分を表現できないのではないか。そのことが一番欠けているんじゃないかな」
欠けているというのは、団塊の世代の多くの人たちを指しています。
団塊の世代の人たちのことを、どうこう言う気はないし、記事を読んだだけでは深い理解ができたわけではないけれど、なんとも「心の縦軸」という言葉が、心地良く、最近よく耳にする「心と体はつながっている」という言葉と繋げて考えてしまう。
体の中心に縦軸をしっかり持って、背筋を伸ばし胸を開き、深く呼吸する。
さわやかで凛とした気分になる。
それが、記事の中にも書かれている。
「花と人との一期一会の対話から表れる花の世界。鮮やかで、凛としているが、ごく自然で、出しゃばってはいない。『無私』の美しさ・・・」
私が、本当に心にも縦軸が持てるか・・・これからです。
ごく自然とか 邪念のなさ・・・って
私には程遠いって思う。
邪念だらけ。。苦笑
「心に縦軸を持たないと自分を表現できない」という見出しに目が留まった。
心に響く表現だった。
流派に寄らず 花をいける「花人」と称する方のインタビュー記事
見出しではなく、記事の中では
「心の中に歴史や伝統という縦軸をもたないと、自分を表現できないのではないか。そのことが一番欠けているんじゃないかな」
欠けているというのは、団塊の世代の多くの人たちを指しています。
団塊の世代の人たちのことを、どうこう言う気はないし、記事を読んだだけでは深い理解ができたわけではないけれど、なんとも「心の縦軸」という言葉が、心地良く、最近よく耳にする「心と体はつながっている」という言葉と繋げて考えてしまう。
体の中心に縦軸をしっかり持って、背筋を伸ばし胸を開き、深く呼吸する。
さわやかで凛とした気分になる。
それが、記事の中にも書かれている。
「花と人との一期一会の対話から表れる花の世界。鮮やかで、凛としているが、ごく自然で、出しゃばってはいない。『無私』の美しさ・・・」
私が、本当に心にも縦軸が持てるか・・・これからです。
ごく自然とか 邪念のなさ・・・って
私には程遠いって思う。
邪念だらけ。。苦笑