11月最後の日
今年も後1ヶ月になりました。
10月末に四十九日を済ませ
義父のことは一応、ひとくぎり。
11月に感じたことは、家族たちの今。現実。
当たり前のことだけど、現実の生活があり
そして、いろんな問題も起こる。
さらに世界では、とんでもないことが起こっているけれど・・・
そんな中で、落ち着いたら、少し書こうと思いながら
11月が過ぎていきました。
書こうと思ったのは
義父が、どうして足を切断することになったか・・・
始めの頃は、具体的には書きませんでしたし
少しは書きましたが、ブログをよく読んでいただいてる方にも
よく質問されたことを、何かの・・どなたかのお役にたつかと思って書きます。
一番よく質問されたのは
「糖尿だったの?」
私自身も、そんな話は聞いてない・・と思いながら
夫に確認しました。
糖尿では全然なかったです。
14年前に、膀胱がんになり人口膀胱をつけた生活で
2.3年前から、じっと寝ている時間が多く、歩いてほしいと思いながら
積極的に歩くことはありませんでした。
それでも、長男である夫や孫たちが家に行けば
笑顔で見送りに出てくれる、おじいちゃんでした。
左足の付け根に血栓ができ 血液が流れなくなり
膝から下が壊死しました。
心臓の近くに血栓が出来れば、心筋梗塞
脳なら脳梗塞 ということだと思います。
もっと発見が早ければという思いはずっとありましたが
急なことでした。
ただ、1週間前から足が痛いとは言っていました。
でも筋痛みか何かと思っていたのか
緊急入院の4日ほど前に定期的に通っている循環器の先生にも
足が痛いことは言わなかったそうです。
実際に経験されたご本人から聞いた話ですが
足の指先が黒くなったので、すぐに病院に行って薬で治療できたそうです。
本当に亡くなった9月より
4月末に緊急入院して手術後しばらくの間のほうが緊迫していました。
いつ亡くなっても不思議でないという状態でした。
だからこそ、病院側から、家族に夜の付き添いもするように言われ、家族交代で24時間付き添いをすることになったのです。
夜の付き添いをやめるきっかけがつかみにくくて、結局、1ヶ月以上続きました。
途中、輸血も2回ほどしました。
食べ物が器官にひっかかって大変なことになったり
これはブログにも書いた通りです。
危険を乗り越え、幸い退院することができるまで回復しました。
病院からは、家族で看るのは難しいので療養型病院への転院を勧められました。
しかしながら、大部屋での生活は、その時の父には無理がありましたし家に帰るのが義父の希望でした。
ブログにも書きましたが、退院できるとわかってからの回復力は大きかったです。
退院の日、看護師さんたちが、「初めて笑顔を見た」と喜んでらしたのが印象的でした。
家族や親戚には、早くから笑顔を見せてたのですが・・・
要介護5の認定を受け、ケアマネージャーさんに万全の体制を整えていただきましたが
今年の厳しい夏には、やはり体力が持たなかったと思われます。
再度、書きますが
お年寄りの足の指が黒くなったら、すぐに病院に行ってください。
それから、血液がどろどろにならないような食生活、運動が必要ということ。
これは自分にも言い聞かせることです。