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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
改題版
* 岡寺イーリーと龍
東光山 龍蓋寺 07
ゴエーカ;
けさみれば つゆおかでらの にわのこけ
さながらるりの ひかりなりけり
またまたドターンと昔のことであります。
龍というのは、限度というものがわからない
アホな生きものであります。
しかし、アホというのは人間の考えであって、
龍には、龍の生きる論理を、
立派に抱いているのであります。
人が雨が欲しいと願えば、
それはそれは、大雨を降らすのでありました。
降水何ミリで何時間降らして欲しいなどというように、
量と時間を指定して、
お願いすれば、龍にしてもわからないことは、
なかったのでしょうが、
ただ単に雨を降らしてなどということを
聞きますと、待ってましたとばかり、
世界中の空から、
雲という雲を掻き集めて来るものですから、
下界は堪ったものではありません。
川は氾濫して、田畑は流されるわ、
粗末な作りの家は壊れるわで、
散々な目に合うのでした。
龍にしてみても、いいことをして恨まれるのですから、
きっと納得がいかなかったことでありましょう。
ひとりよがりは、やっぱり良くないんでしょうねえ。
話し合いの場でも、あればいいんでしょうが、
龍が姿を見せると人々は逃げ散ってしまいますので、
お話になりません。
人間は都合のよいときばかり利用して、
普段はハナも引っ掛けないばかりか
反対に忌み嫌うので、龍にしても、
心はすっきりしなかったのでしょう。
そういうことが、1回・2回、
もう数えきれないほど続きますと、
人と龍との間には、越えがたい深くて長い溝が、
出来上がりました。
これは、ご先祖さまが悪いということになります。
龍もいいとは言えないが、
ご先祖さまたちの接し方にも、
大きな問題があったと言っても、過言ではないでしょう。
そんなわけで、いつのまにか龍は悪いヤツという
イメージが生まれました。
龍族にしても、人間という奴は何と礼儀知らずで、
身勝手な集団なんだろうと、
思っているようであります。
岡寺の観音はん、岡寺イーリーは、
そんな両者の関係に、頭を悩ませていました。
何とか、仲直りをさせて折り合いをつけて
暮らせないものかと、考え続けているのでした。
龍の持つ雨降らせの技術は使いようによっては、
おおいに役にタツのです。
龍は羊飼いが羊を上手に扱うように、
おおーい雲よと呼びかけて、
雲の動きをコントロールすることが出来るのです。
イーリーはその力を評価しております。
天気は気紛れと申しますが、
条件が複雑にからみあっているだけで、
その因果関係さえわかれば、
これほどはっきり予想できるものはありません。
けれども、今の科学の力では、
その条件をつかみ切れないのであります。
わかってはいるんでしょうが、
まだまだどうしようもないんですね。
何も龍の手を借りなくても、
天気のコントロールは、
出来るようになってくるのでしょうが、
まあ当分の間は、利用価値があるでしょう。
イーリーは、両者の仲を取り持つために、
一つの案を思いつきました。
それは、人間には龍を馬鹿にしたり、
無視したりすることを、
させないということであり、
龍には、不必要に雨を降らさないという、
約束をさせることでした。
龍には住み家を与え、
人はその龍に感謝するということであります。
イーリーの仲介は、何とか成功したようであります。
岡寺の池には、龍のマイホームが作られました。
池の中にある「阿字石」は、
龍のマイホームの玄関にあたるそうです。
人々は雨が欲しくなると、
その石の揺りぐあいで雨の量を伝えるそうですが、
龍も最近では、歳を取ってきているので、
身体があまり動かないようであります。
願いを叶えてあげられなくて、
すんまへんと恐縮しているようであります。
この項おわり